第三・五話『清子さんの生活指導』
前編『羽村さん自炊計画』
ぽかぽかと晴れた昼下がり。
このフレーズから始まる光景と言えば、普通はどんなものを想像するだろう?
紅茶を嗜む紳士、日傘片手に談笑する貴婦人、あちこちでさえずる小鳥……とまあ、俺なら優雅な一幕をイメージする。
そんな穏やかな一時において、俺はソファーの上で正座させられていた。
顔をあげると、長い黒髪を揺らし、太い縁の黒眼鏡をかけた少女が、厳しい表情で俺の前に立っていた。
彼女は害獣駆除事務所を営む俺が、唯一雇っている非常勤の従業員、
しかし今は、立場が逆転している。というか、雇い主にしてこの事務所兼居住者たる俺が、なんでソファーのうえで肩身を狭くしていないといけないのか。おまけに相手は俺より一〇歳以上も年下の学生だというのに。
「
「はい」
しかし、清子くんにピシャリと言われてしまうと、口答えする度胸が失せた。叱られる原因に心当たりがありまくるからだ。
俺の背後には、日がな一日座って過ごす事務机がある。そんな仕事に使うための場所には、使い古した家電がたくさん放置されていた。
「みんなで集めたお古の家電、どこに置くかちゃんと決めておいてくださいって、土日に入る前に、確かに、言いましたよね?」
「……はい」
「じゃあ、これはどういうことなんですか!」
思いっきり怒鳴られ、俺は頭を抱えて蹲る。
「誠に申し訳ございません! 言い訳のしようもございま……なんか俺、叱りつけられてる子供みたい……」
「子供さんの方が、もっと言うこと聞いてくれますよ!」
怒鳴る彼女に許しを乞うべく、俺は必死に手を合わせた。そして、背後の電化製品どもを恨めしく一瞥する。
あれは先週のこと、突然リュックを背負った清子くんがうちを訪ねてきた。そして、机に突っ伏して寝ていた俺を揺り起こしてから、こう言い放った。
「人間らしい生活をしましょう、羽村さん」
「おいおい清子くん、藪から棒に何を言い出すのかね。どこをどう見たらこれが人間らしくないと……」
「毎日毎日菓子パン一つで過ごす生活は普通なんかじゃありません!」
前触れなく怒鳴られ、驚いた俺はつい背もたれに抱きついてしまった。なんだかいつもの清子くんとは様子が違う。
「運動会の時もそうでしたが、それが終わった後に寝込む姿を見て、私は思ったんです。羽村さんはきっと、慢性的に栄養不足なんです!」
「え? 確か菓子パンって結構カロリー高かったような」
「バランスの話です!」
これまでにない清子くんの威勢に、俺は恐縮してしまった。
俺が口答えしなくなると、清子くんはこちらをキッと一睨みし、俺の部屋をグルリと指差した。
「大体、ここ殺風景すぎます! むしろ電化製品が冷暖房と固定電話と、あとは台所の近くの冷蔵庫だけしかないって、ここはいつの時代で止まってるんですか!」
「ああ、固定電話以外は元からあった奴だよ。これでも昔はテレビも拾ってきたのを使っててね。今となっては懐かしいな、確か半年使っただけで煙吹い……」
なんて半笑いで話し始めたら清子くんにより鋭く睨まれたので、俺はすぐ口を閉じた。今日の清子くんはとびきり機嫌が悪いようだ。
「とにかく、これは人としてあるまじき生活です。ダメダメです、サイテーです、人でなしです」
「そこまで言うかな!」
「というわけで、今日は皆さんにご協力頂くことにしました。お願いします!」
清子くんが呼びかけると、事務所の扉がバタンと開いた。
何事かと机から身を乗り出してみると、見覚えのある面子がぞろぞろと集まっていた。しかも、各々電化製品を抱えながら。
「清子さんに頼まれたからな、仕方なくお下がりをくれてやる。まあ、使わなくなったとはいえ、一升炊き炊飯器を粗大ごみに出すよりはマシと考えてやろう」
と、最初に机へ乗せられたのは少し大きい炊飯器だった。
「今度買い換えるのでー、せっかくならあげちゃおうと思いましてー」
と、やけに嬉しそうな様子な
「なんつーか、これは人間らしいとかそれ以前の問題じゃない?」
などと呆れ顔で台所を眺めつつ、
「さて、お金持ちなウチからのプレゼントは! もう使わないからこれで」
自分で盛り上げておいてあっさり盛り下げた
「今日、誕生日じゃないはずなんですけど」
「私がお願いして、使わない電化製品を用意して頂いたんです。ちなみに私は、使わなくなったフライパンやお鍋とか、たくさん持ってきました」
と言いながら清子くんはリュックからいろいろな料理道具を取り出していた。うちで料理教室でも始めて、事務所の稼ぎの足しにでもしてくれようというのか。
状況を判別しかねている俺に、清子くんは両手を広げて大々的に発表した。
「自炊しましょう、羽村さん!」
突然押しかけてきた清子くんが立案したのは、「羽村さん自炊計画」なるプロジェクトだった。最初はやんわりとお断りしようと思っていたが、これだけいろいろ持ってきてもらったのに追い返すのは気が引けてしまう。清子くんの策か誰かの入れ知恵家は知らないが、的確な心理作戦である。
最後に抵抗として、俺はそれとなく難色を示すが、「今よりも絶対にお金を有効に使える」という清子くんからのダメ押しの一言に、心が動いた。
「先生お願いします」
あっさり掌を返した俺に対し、清子くんは一瞬ハッとした顔になった。そして週明けまでに与えられた家電のレイアウトを決めて欲しいと言い残し、帰っていった。
翌日、貰った家電やら料理器具を片付けようと思ったが、いきなりこれだけの物量を目の当たりにすると、げんなりしてしまった。
「週明けでいいや、清子くんが来る前までに済ませられるだろうし」
というわけで、今思うと嫌な予感しかしない楽観的な想定で、俺は貰った電化製品を全部事務机の上に放ったらかしにした。
そして当日、ぽんすけによる飯の催促で叩き起こされた俺は、寝ぼけ眼のままフラっとソファーの上に身体を預け……目が覚めたら昼になっていた。
当然電化製品は机の上に転がったまま。爽やかな笑顔で事務所にやってきた清子くんの仏のような笑顔も、五秒で憤慨して崩れた。
「大体、いつも使う机がこんな状態で、困らなかったんですか?」
「まあその、うちって毎度暇なもんで、あってもなくても同じだからそのまま放置した次第でして」
「一刻も早く片付けてください!」
滅多に聞かない清子くんの怒鳴り声にどつかれ、俺は大急ぎで電化製品を持ち上げた。
「ふぅ、お部屋の改革は一応終わりました。次はお買い物の意識改革です!」
右手で眼鏡を持ち上げすっかり先生気分の清子くんに対し、俺は魂が抜けたようになっていた。
家電のレイアウトは案外すぐに終わった。けれど、すぐには使わない鍋などを台所備え付けの棚に入れておこうとした時、問題が発生した。放っておいたせいで棚の中が埃まみれで、衛生的に笑えない状況になっていたのだ。
しかしその可能性を予見していたのか、清子くんは手早くリュックから掃除用エプロン、三角巾、マスクを取り出して変身、あっという間に綺麗にしてしまった。
「乾くまでは時間がかかります、その間にお買い物へ行きますよ! 早く支度してください!」
「は、はい……」
すっかり逆らえなくなった俺は、いそいそと身支度を済ませた。
■
俺達は、この辺りでは有名なチェーン展開型のスーパーにやってきた。かつて近所にあった個人経営の食料品店を捻り潰したほど強力な店だが、周辺住民にとっては家計を助ける救世主となっている。
「しかし清子くん、こんな昼間じゃ惣菜どころか菓子パンだって値引きされませんのですが」
「……まずその間違った節約意識を変えていきましょう」
いきなり俺の買い物意識を否定された。が、落ち込む暇もなく、清子くんに腕を捕まれ店内へと引っ張られていく。
カゴを入れたカートを押し、まず向かったのは調味料のコーナーだった。いつもは通り過ぎるだけで意識すらしないが、こうして見ると知らない名前の調味料が山程ある。
清子くんは俺を料理人にでも仕立て上げようというのか。予算はなんとか捻出して五〇〇〇円、これを一日で無駄に使い果たしたら、今月ミイラになることがほぼ確定するギリギリの額だ。
「まずは調味料を揃えます。えーっと……」
清子くんは携帯片手に次々と商品をカゴへ放り込んでいく。おいおいそんな放り込んでいきなり予算オーバーしないだろうなとビクビクする俺など眼中にない様子だ。
清子くんは商品を入れるごとに、携帯の液晶画面をポチポチと押していた。何をしているんだろうと首を傾げていると、急にその画面を俺に見せつけてきた。
「これが必要最低限となる調味料のお値段です。一ヶ月で全部使い切るわけじゃないと考えたら、ずっとお得だと思いませんか?」
「は、はぁ……」
携帯電話の画面には電卓らしきものが映し出され、恐らく買い物の合計金額を算出していた。
清子くん的には安いようだが、ここ最近三桁を越えるような買い物すら滅多にしない俺からすると、良く言えば二〇〇〇円台で収まっているが、四桁の数字が並んでいるだけでも背筋が震えるには十分である。
スッキリしない反応に痺れを切らしたか、清子くんはまた俺を次のコーナーまで引きずっていった。連れていかれた先には、一つの棚が卵のパックで埋め尽くされているコーナーがあった。清子くんは卵パックを持ち上げつつ、大々的に掲示された値札を指差した。
「この卵は一パック一〇個入りで九八円です。羽村さんがいつも買っている菓子パンはおいくらですか」
「値引き品で考えたら五〇円くらい、かな?」
「これを買えば、卵一つで菓子パンよりもマシな食事が出来ます。そう考えたら、とっても安いと思いませんか? 一食に付き大体一〇円ですよ」
「いや、生卵の丸呑みはちょっと」
「調理にするに決まってるじゃないですか!」
清子くんの怒号に、周囲の客達が思わずこちらへ振り向いた。居たたまれなくなった俺達は、肩を竦めて頭を下げた。
「と、とにかく、さっきカートにも入れたサラダ油込みで考えても、少なくとも菓子パン一つ分よりはずっと安いんですよ。お腹にも溜まります」
「一つ大体一〇円、かぁ」
顔を真っ赤にした清子くんの言葉を、目の前に提示された数字と睨めっこしながらもゆっくり噛み締める。
やがて、その効率の次元が全く違うことを実感してきた俺の身体は、自然と震え始めた。
「大丈夫ですか」
「なんか、すごい数字を見せられて、ビックリしちゃってね、言葉が出てこなくて、身体が勝手に震えてきた……」
清子くんは、見せつけるかのように深いため息をついた。
「科子ちゃん、よく生きてこられたねっていう言葉の重さが、私もよくわかってきちゃったよ……」
あの娘っ子め、人が知らないと思って失礼なことを! と機嫌を悪くするより先に、友人の言葉に深々と納得して苦笑いする清子くんの反応に、俺はしょんぼりしてしまった。
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