掌編一『羽村さんと朝の体操』
公園とは名ばかりの小さな広場で、さわやかな日差しを背に人々が身体を動かしていた。
人々の前には、今時珍しいラジカセが置いてある。ハキハキとした男性の声と、爽やかなピアノの音色が、朝の景色に流れていく。
俺は老若男女の中に混ざって、一緒に身体を動かしている。このラジオ体操に参加して三日程経つが、最初は見慣れない男が、ワイシャツにチノパン姿で混ざっていることを随分訝しげに見られた。今でも不思議そうに見る人間はいるが、恥ずかしがったら負けだ。
俺は運動に適した服を持っていなかった。いや、そもそもまともな外着がこういうのしかないのだからしょうがない。それでも参加したかった俺は、あくまで「出勤前に身体を動かそうとしている」という体を装って参加している。
しばらく身体を動かしていなかったから、曲げたり伸ばしたりする度に身体から音がするのがわかる。錆び付いた機械を強引に動かしているような感じだ。
身体を前後に曲げる運動が始まる。慣れていないせいか、後ろに上半身を反らせる度に変な声が出てしまう。ただでさえ悪い意味で注目を集めているので、下手に周囲から意識されるようなことは控えたいのだけども……。
しかし、ここからは運動の内容も楽になってくる。身体を捻る運動では、子供達が面白がって勢い良くバタバタと身体を振り、親に叱られていた。
気持ちはわかるぞ、君達。俺もあと十数年若ければ一緒に騒いでいたかもしれない
……無意識に年寄り臭いことを考えてしまった! 俺はシワクチャな思考をビリビリに破り捨て、再び運動に集中する。
やがて、両足で飛ぶ運動が始まった。ここまで来ると、この体操も終わりに近い。そして最後は大きく深呼吸をして、心身共にリラックスしたところで、音楽がゆっくりと止まった。
『それでは、今日も一日、元気よくいきましょう!』
ラジカセのアナウンスとともに、参加者は一斉に姿勢を崩す。俺も終わった途端、気が抜けたようにヤンキー座りとなってしまった。
正直に言うと、今の俺はたったこれだけの運動で、猛烈に疲れている。大袈裟に聞こえるかもしれないが、少し遠いスーパーから、重い米袋を二つ担いで帰ってきたみたいな……地味に無理した時の疲労感だ。
そんな体力がないくせに、俺がどうしてこの朝の体操に参加したのか? それはこれを仕切っている禿頭の親父が持っているものを見ればわかる。
「はい、今日もお疲れ様でしたねー」
と言いながら、ビール腹の親父が配っているのは、市販されている惣菜パンだった。
実はあの親父、個人でコンビニを経営している。だがシャッター商店街の中にあってはコンビニの客足は少なく、売れ残りのパンがしばしば出ていたという。
さりとて安易に配ってしまったら商売にならないし、さりとて廃棄として捨てることになってしまうのは、心苦しかったそうだ。
そのことを町内会で話すと、朝の体操の参加賞として配ろうではないか、という話になり、さらに他の食品店経営者にも広がっていったようだ。
最終的に、町内会は会費で売れ残りのパンを各店から格安で買い取り、その代わりに朝の体操の仕切りを、コンビニの親父を筆頭に買い取って貰った連中が担当することになったらしい。
そんな経緯はさておき、ここまで言えばもう俺の目的もわかるだろう。そう、俺はタダ飯を食らうために、日々身体を動かしていたのである。
参加賞として配られる惣菜パンは残念ながら選べない。が、食えるモンなら俺としては万事問題ない。少なくとも甘ったるい菓子パンばかりになるよりずっとマシだ。
やがて、俺の番が来て、親父は愛想笑いを浮かべながら朝の体操のスタンプを押す。
「はい、今日もお疲れ様……あー、しまった」
と、親父が自分の頭をペチンと叩いた。俺は手を差し出しながら首を傾げる。
「さっきの子にあげた分で今日は終わりだ。悪いけど町内会の割引券で勘弁してくださいねー」
そう言って渡されたのは、いかにも田舎臭いレイアウトの町内限定割引券だった。しかもよく見ると明日までの期限だというスタンプが押されている。使用可能な店舗は案の定この運動会の運営を任された連中ばっかりだった。
思わず俺は割引券を握り潰してしまった。只ならぬ様子に、親父が恐る恐る俺の顔を伺う。
「ど、どうかなさいました?」
「俺ね、ずっと腹空かしてたんすよ」
我ながら質問を完全に無視したような返答が、口から飛び出す。
「昨日も俺、来てたでしょ? で、惣菜パン貰ってたじゃないっすか。実はあれ以来、何も食ってないんです」
「え?」
「今月、本当に苦しくて、クーポン貰っても一つ二〇〇円もするパンなんて、買えないんですよ」
「……」
親父の目が細くなった。お前がちゃんと用意してこないのが悪いんだろう、と叫ぶ気力もなく、俺はがっくりと肩を落とした。
「ねえ」
ふいに、誰かが俺の手を引いてきた。誰だろうと思って振り返ると、そこにはまだ袋に入ったままのパンを持った少年が立っていた。
「オレ、パセリ嫌いだから、あげる」
「お、おお……」
目前の少年に、後光が差していた。まるで天から俺を救うためにやってきた、天使のような少年ではないか。
「ありがとう、ありがとう」
と、俺が固く少年の手を握り、何度も何度も礼を言った。すると少年が気恥ずかしそうに周囲を気にしはじめて、俺はようやく我に返った。
子供からパンを恵んでもらっている俺って、一体なんだ……?
気づけば、まだ残っていた参加者達が、俺のことを冷たい目で眺めていた。
「……失礼します」
俺は首を限界まで下げながら、そそくさとその場を後にした。
その後、俺がラジオ体操に参加出来なくなったのは言うまでもない。出禁ではなく、世間体的な意味で……。
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