3-18『羽村さんのラストスパート』

「ちょっと親猫を説得してくるから、それまでカラスを見張ってて」

「わ、わかりました!」

 清子きよこくんのウキウキとした返事に、お前は初めてお遣いを任された子供かと苦笑いしつつ、俺は親猫の元に向かう。

 まずは話が通じるよう落ち着かせることに専念する。が、親猫は俺の声を聞いて一瞬驚いた後、『お前が羽村はむらって人間か』といきなり呼び捨てにしてきた。驚いたが、おかげで話はスムーズに進めることが出来た。

 どうやらこの辺りの猫の間じゃ大分名前が知られているらしい。いつぞや俺にベンの対処を押し付けたゴジュなんかは話し好きだし、あちこち広めているのだろうか。

『俺の子を助けてくれるのか』

「時間がない、お前は俺の頭の上に乗ってなんとか木に飛び移るんだ。まずは子供を助けるのが先だからな」

『むぅっ……わかったよ』

 親猫としてはカラスに一撃かましてやりたいようだったが、一番は仔猫の安全だ。

 俺が屈むと親猫は迷わず俺の頭に飛び乗って、器用に丸まった。思った以上に重かったが、愚痴など口にしてる場合じゃない。清子くんに猫が落ちないよう見ておいてと伝えてから、俺は慎重に立ち上がる。

 それを見たカラスは警戒してか、少し後ろへ飛び退いた。

『なんだコイツ、あの喋る人間と手と組んだのか?』

 カラスは、驚きの声をあげながら怯んでいた。その機に乗じて俺は親猫に合図してから、張り付くように木に掴まった。すると親猫は手早く仔猫の首を咥えてから、俺の身体を利用して素早く地上へ降りてしまった。

 それを見たカラスは枝を伝ってこちらへひょこひょこ跳んできたので、仕方なく俺は脅しをかける。

「おう鳥公、俺の声が聞こえるなら今すぐ逃げたほうがいいぞ。今お前を捕まえるために、仲間をたくさん呼んだからな」

『くそー、猫どもめ、ついに人間に媚びを売るようになりやがったな』

 意地からか、カラスはまだ俺との睨み合いをやめようとしなかった。ヤケになって目ん玉を突かれても嫌なので、俺は最後の一押しに出る。

「ほら、さっさと逃げないと、人間が大勢で押しかけてきて八つ裂きにされちゃうぞ。食い意地が張ってる奴は、お前をそのまま食っちまうかも」

『ち、チキショー!』

 すっかり震え上がってしまったカラスは、木々の間を抜けてどこかへと飛び去って行ってしまった。

 終わってみればあっという間だったが、気を張ったせいかまたどっと疲れた気がする。すると、座り込んだ俺の膝に猫の親子が乗っかってきた。

『恩に着るぞ、羽村とかいう奴。あのカラス、何かと猫に喧嘩を吹っかけてくるチンピラでな。目を離した隙に子供が追われて大変だったんだ』

 と言いながら、親猫はようやく落ち着いてきた仔猫をもっと安心させるためか、毛繕いし始めた。

「無事なら何よりだけど、もう助けてあげられないからな。街中のカラスに目を付けられたら、俺もう外に出られなくなっちゃうからさ」

『ああ、あんなチンピラどもにもう負けてたまるか』

 会話を終えて俺が立ち上がろうすると、猫の親子はすぐに膝から降りてくれた。そして二匹でもう一度礼を言った後、さっさと茂みの中へ消えてしまった。

「ふぅ……さて、戻ろうか」

 すっかり気が抜けた感じで、清子くんにそう告げた。ふと、さっきのスタッフと目が合い、解決したことを合図すると、親指を立てて返事をしてきた。黒木田さんといい、なんか俺の周りには馴れ馴れしい奴が多い気がする。

 もう参加者はこの公園から出ているのか、慌ただしい気配はない。スタッフが備品を片付ける音はするが、それ以外は静かなものだ。

「これからカンカンの冷蔵庫くんに叱られるのか、なんか言葉にすると変な感じだ」

「何言ってるんですか羽村さん」

 すっかり終了ムードだった俺の腕を、清子くんが力強く引いた。

「まだ運動会は終わってません。最後まで頑張るんですよ」

「いやー、でももう俺もうクタクタだなーって」

「ダメです! ちゃんとやりきらないと、本当にみんなに合わす顔ないじゃないですか。ほら、あと少しなんですから、行きますよ!」

 口答えなど許さないとばかりに、清子くんはグイグイと俺の身体ごと引っ張るような勢いで走っていく。

 まったく、なんて情けない光景だろうと自嘲するが、もうしばらくは清子くんのなすがままにされてしまいそうだ。



 坂道を降りていくと、まだスタッフは律儀に待ってくれているようだった。ちゃんと最後の一組まで待ってくれたのかと思うと、少しだけ悪い気分になる。

「羽村さん、誰か座り込んでませんか?」

 そう言われてみると、確かにスタッフの横には小さな女の子と、蹲る小さな背中が見えてきた。

 背丈も同じくらいだけど迷子か何かだろうか、にしてはタオルを首からぶら下げてるし。

 不思議に思いながら駆け下りてスタッフに首掛けリボンを貰おうとすると、座り込んでいた人間がふと立ち上がった。

 思わず自分の眉が釣り上がる。今日何度もイラッとさせられた憎たらしい面が、どういうことか目の前に立っていたのだ。

「お、お婆ちゃん、もう大丈夫なの?」

 小さな女の子が心配そうに木崎きざきの婆さんを気遣う。よく見たらこの子、さっき冷蔵庫くんが言ってたあのお孫さんじゃないか。

「だから心配するなと言ったろう。婆ちゃんはちょっとばかり疲れただけだよ。運動会で救急車呼ばれるほど落ちぶれちゃおらん」

 小さな身体でも、腰に手を当てて大口を叩いているとそこはかとなく威厳あるように見えた。

 なんて呑気なことを考えながら見ていると、ふいに婆さんが俺達を睨みつけてきた。

「さてと、どうやら競う相手がまだいるようだし、最後の一勝負でもするかな?」

 少し遠回しな挑戦状だった。元気過ぎる老婆は、まさか逃げやしないだろうなとばかりに、口元をニヤつかせた。

「頑張る理由が出来ましたね」

 小声で嬉しそうにささやく清子くんに苦笑いで答えてから、俺は大きく深呼吸をした。

「焼きが回った婆さんと一騎打ちか」

「お前みたいな甘ちゃんよりはマシさ。さあ、無駄話はここまでだよ!」

 喝を入れるような大声に促され、俺と清子くんは走り始めた。

 いつでも抜かせるんだぞ、とばかりに婆さんが追い立ててくるので、頭に来た俺は清子くんの手を取った。

「こうなったら、絶対勝つぞ清子くん!」

「はいっ!」

 人が消えてガランとした商店街を、俺達は全力で駆け抜けていった。

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