3-17『不器用な意地』
広場では、
「お疲れ様です! さあ、後はこっちですよ!」
休憩したいところだったが、ここで足を止めたら上位を狙うどころではなくなる。もう動きたくないと悲鳴をあげる身体に鞭打ち、必死に彼女の後を追う。
「良かった、頂上にあったんですね。こっちの道には、四つスタンプが置いてありましたけど、ゾウは見当たらなかったのでたぶんそうだとは思っていましたけど」
「え、そんな頑張ってくれたの?」
よく見れば、清子くんは肩で息をして、額からは汗が止めどなく流れ出ていた。騎馬戦やさっきのリレーのあとだってこんなに消耗してはいなかったのに。
「
ちょっぴり頼もしく見える笑顔を見て、あの二人がわざわざ釘を刺しにきた理由を改めて理解する。
清子くんはどんな時でも真剣に相手を考えて行動できる娘さんだ。俺の勝手なイメージではあるけど、今時こんなに真っ直ぐ生きられる人はなかなか居ないだろう。
そんな美しい心を持つ少女が、得体の知れない男と交流してたら、親友なら心配して当たり前だ。
どんなに堕落しても、清子くんを泣かせるほどガッカリさせるような真似は、厳に慎まないといけないな。
そんな俺の決意など知らない清子くんに誘導された先には、また小さな広場があった。同じような広場ばっかりだが、ここにはトイレと公衆電話が申し訳程度に設置されていた。
広場にはニワトリのスタンプ地点があった。俺はスタッフに引かれるほど念を入れてからスタンプを押して貰う。
こうして、全てのスタンプは埋まった。が、喜びを感じる暇も、一息付く間もなく、俺達はすぐ出入り口に繋がる広場へと駆け戻る。
正直この時点で、上位を目指せるかはわからなかった。しかし、広場に戻るとまだ地図を見て振り回されている人の姿が見受けられた。
そういえばさっきは疲れて休んでいた人もいたし、もしかすると俺達、かなり速いペースでスタンプを集められたのではなかろうか。
「清子くん様様だよ。婆さんに勝てるかはともかく、これなら上位は狙えるかもしれん!」
「急ぎましょう、きっと皆さん待っていますよ!」
と、二人で希望的観測をして喜び勇んだその時、ふと違和感を覚えた。
さっきバクのスタンプを押していたスタッフの姿が見当たらない。もう参加者が全員通過したから撤収したのかと思ったが、机と旗はそのままになっている。
軽く周囲を見渡すと、広場を囲む木々の中でも一番高い木の下に、件のスタッフは居た。彼は木を見上げたり地面を確認したり、どこかおろおろしていた。
不思議に思いつつ、気にすることでもないかと、俺はさっさと通り過ぎようとする。
『これ以上近づいたら怪我だけじゃ済まんぞ、人間!』
ふと声が聞こえてきた。神聖なるスポーツが行われる中、あまりにも似つかわしくない物騒な言葉だ。
思わず足を止めてしまった俺に、清子くんは不思議そうに眉を顰めた。
「あの、羽村さん?」
「ちょっとごめんよ」
首を傾げる清子くんに少し後ろ髪を引かれつつ、俺はそのスタッフのところに駆け寄った。
「どうかしました?」
「ああ、危ないっすよ!」
と、注意されて足元に気を向けると、威嚇態勢に入った猫がこちらを睨みつけていた。
『これ以上近づくな人間ども!』
あの物騒な台詞の主はコイツだった。見るからに興奮しているし、下手に刺激すれば容赦なく爪を立ててくるだろう。
「あれ、誰かと思ったら、さっきのうるさい人」
悪かったな、ヘラヘラ野郎。
「いやね、仔猫が木の上に登っちゃってるんですよ」
と、指で示された木を見てみると、毛を逆立てた仔猫が枝の上で震え上がっていた。そしてよく目を凝らすと枝の先にはカラスもいて、仔猫を睨みつけていた。
『おいカラス野郎! オレの子に手ぇ出したら八つ裂きにして引きずり下ろすからな!』
親猫は人間を警戒しながら、カラスに対しても警告を行っていた。やたらと気が立っていたのは子供に危機が迫っていたからというわけか。
しかしカラスは何も言わず、仔猫の動向をじっと観察している。
「あの仔猫、向こうの茂みからカラスに追い立てられてきたんです。すごい勢いで横切ったかと思ったらそのまま木に登っちゃって。いつかカラスにやられちまうんじゃないか、ちょっと心配ですね」
「そう、なんすか」
一通りの事情を聞いてから、いや、聞く前から俺の答えは決まりつつあった。
俺ならあの仔猫を助けることが出来る。
今は競技中だろうとか、自然の摂理に反するとか、ただの偽善とか、そんな言葉が俺の決意を破壊しようと、次々にぶつかってくる。
何よりも、今からしようとしていることは、せっかく頑張ってくれた清子くんの行動を無駄にしてしまうようなことだ。
……でも、俺の心はやっぱり変えられなかった。
「俺、こういう動物を扱う仕事をしてるんです。後は俺に任せてください」
「マジっすか? なら安心だ。あ、でも競技の方は大丈夫で?」
「そう思ってくれるなら、あの親猫をこれ以上刺激して余計な時間は食いたくないんで、離れてくれます?」
と言うと、スタッフは素直に現場から離れて撤収の準備を始めてしまった。まったく現金な奴だとは思うが、自分の力について喧伝したくない身としては、一言で人払いが出来たのは喜ばしいことだ。
ふと、
「羽村さん」
背後から、少し張り詰めた声が聞こえた。
俺は振り向かなかった。今この状況で、彼女に合わせる顔がどこにあるのだろうか、というのもある。もっと本音を言ってしまえば、相手をしている暇はない。
「悪いね、冷蔵庫くん達にも後で謝るからさ。いや、謝るだけじゃ全然済まないよな」
スタッフにはあんなことを言ったが、この選択をした時点で、ほとんど勝負は諦めていた。
こうして葛藤する間にも時は流れ、視界の横に公園の坂を降りていく参加者達の姿は見える。今から猫を助けにいけば、上位どころか間違いなくビリッケツだ。
しかし、彼女は一歩も動く素振りを見せない。まるで、言ってやりたいことがあるんだと訴えるように。
「これが終わった後なら、いくらでもタコ殴りにしてくれていい。だから、今は止めてくれるな」
これ以上の問答はしない、という意志を込めた一言だったが、彼女はむしろ一歩踏み出してくる。
もし彼女が邪魔をするつもりなら、相応の態度で追い払う。俺はそう覚悟を決めて身構えた。
「私に手伝えることはありますか」
清子くんは、なんとなく嬉しそうに聞こえる声で言った。
人の苦労を自分のエゴで踏み躙ろうとしている男の背中を、優しく押そうとするお人好しが。
まったくもって人のことは言えないが、清子くんも大概変わった娘っ子だな。
自分でも明確に出来ない感情を抱えつつ、俺は振り返らないまま、手だけでこちらへ来るよう催促した。
清子くんは、やっぱりどういうわけか嬉しそうに俺の横へと並び立った。
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