3-14『それゆけ、黒木田さん』

「は、羽村はむらさん、大丈夫ですか?」

「なんで、まだ競技参加してない俺がボロボロになりかけてんの」

 などと愚痴る俺など無視して、上から凄まじい殺気が降り注いできた。見れば、凄まじい形相の男女が俺に殺意を向けているではないか。

「おいコラ! せっかく僕達が差を詰めたのに、寝てんじゃねぇぞ!」

「さっさと起きないと腹蹴っ飛ばして起こしますよ!」

 すっかり気が立っている二人に急かされ、俺はすぐさま跳ね起きた。仮にこれが黒木田くろきださんと接近したがための不幸だとしても、序の口で済んで良かったと考えよう。

 すぐにダンボール箱に駆け寄ろうとするが、既に黒木田さんは手刀を構えていた。

「アチョー!」

 という掛け声とともに箱に振り下ろされたそれは、封をしていた紙ガムテープを分断する亀裂を作った。驚くほどに鮮やかななお手並みだった。

「やったー! 上手くいきましたー、何度やっても快感ですねー」

「って、浸ってる場合じゃなくて! 俺がみんなから袋叩きにされる前に出発するよ、黒木田さん!」

 主に冷蔵庫くんと草川くさかわさんからの殺気に押され、俺はすぐ大玉を箱から取り出した。なかなかの重さだったがなんとか一人で持ち上げた俺は、勢いのままに大玉へ手をかける。

「さあ、いざ行こう黒木」

「ドーン!」

 と、黒木田さんは俺の声を聞く前に、勢いよく大玉に突っ込んでいった。こうして大玉は、俺を置いて弾みながらコースを転がっていく。

「……ちょっと待てぇい! アンタの相棒じゃなかったのか俺はぁぁぁ!」

 一瞬呆けてしまったが、俺はキレ気味に怒鳴りながら追いかけた。「五秒以上二人で大玉に触れていない場合は失格です」という明らかに俺達を名指しにしたアナウンスを聞き、さらに慌てて大玉を追いかける。

 必死に走ったおかげでギリギリ追いついた俺だが、まだボールに触れる手が安定しない。付いたり離れたりしていたら、突き指しかねない。

 こんな状況下でまったくスピードを緩める気がない黒木田さんに、俺は恨めしそうな目を露骨に向けた。

「ドンドンドーン! ドンドンドーン! ドンドンドンドンドンドンドーン!」

 肝心の彼女は、爽やかな汗を流しながら、口で三三七拍子を口ずさんでいた。完全に俺の存在を忘れてるじゃんか! ペア競技なんですけど!

「黒木田さん! ちょっと黒木田さーん!」

 と呼びかけながら手を伸ばすと、彼女の肩に軽く当たった。するとようやく気づいたらしい黒木田さんがわざわざこちらを見て、にっこりと笑顔を向けてきた。

「羽村さんも声を出してくださーい、ドババンドカーンですよー」

「掛け声はもうどうでもいいから! ああちょっと前見て!」

 などとやっているうちに、もう折返し地点のカラーコーンが見えてきた。大玉に合わせてか、改めて近くで見るとかなり大きかった。しかし、黒木田さんはなんだか曲がる気配がない。もしかして何も言わなかったら本当に直進して校舎まで突っ込んでしまうのではないか。

「黒木田さん、ここで折返さないと!」

「えー? ああー、本当ですねー! 曲がりますよー!」

 なんて呑気なことを言っていたら黒木田さんはいきなり機敏に動き出し、大玉の側面へ回り込み始めた。それに対応出来なかった俺は、カラーコーンと大玉に挟まれる形になる。

「イタタタタタ!」

 カラーコーンを倒すまいと踏ん張ったばっかりに、大玉の重みが俺にかかってくる形となった。いつぞや乗った満員電車で、背後に居た女性に余計な誤解を産むまいと踏ん張った時のことを思い出す。

「あららー、すいませーん! でもちょっとだけ我慢してくださーい」

 なんて軽く言われた俺は、歯が割れるのではないかと思うほどに食い縛って耐えた。

 やがて大玉がカラーコーンから離れると同時に、俺の腕は綺麗で細い手に掴まれた。

「さあー、あともうひと踏ん張りですよー」

 この時、俺の腕を掴んだ黒木田さんが、死神ではなく長年連れ添った相棒のように、輝いて見えた。そして前を向けば、必死に応援する仲間達の姿もある。

 今の順位を確認する余力はないが、ここまで来て上位に入れないのだけは御免だ。

「このまま一気にゴールまで、行ってやらぁぁぁ!」

「ドドドーン!」

 俺の咆哮と黒木田さんの気の抜ける掛け声が重なって間もなく、俺達の大玉がゴールテープを押し潰した。

 最初にゴールテープを切ったということは、俺達がトップだ!

「やったー、やりましたー」

「俺達やったなって、うわっ!」

 ゴールした途端、はしゃぐ黒木田さんに思わず足を引っ掛けられた俺は、まだ転がり続ける大玉に飛び込んでしまった。

「うおぉぉぉぉぉ!」

 そのまま身体を持ち上げられた俺は、無情にも地面へと叩きつけられ、さらに跳ね上がった大玉が俺の身体を押し潰した。

「ぐえっ! 思ったより、重い……」

 疲労と痛みで力を入れる気力のない俺がぐったりしていると、周りにチームメイトが集まってきた。

「小学校の頃、こんな感じで怪我してた男子がいたっけ……」

「うわー旦那、そのオチはベタすぎるっすよ」

 と、女子二名に冷たい目で哀れんできた。

「ま、最期に人の役に立てて、コイツも本望だろう」

 冷酷男は、ここぞとばかりに好き勝手なことを吐き捨てる。張り倒したい。

「ピクリとも動きませんねー、大丈夫なんでしょうかー?」

「そ、そんなこと言ってる間に、早く助けないと!」

 諸悪の根源が呑気なことを言う間に、一人の心優しく良識的な少女が、俺の上に乗っかっている大玉をすぐにどかしてくれた。ヒリヒリする顔を抑えている俺の目前で、笑顔の悪魔が救急セットを持ち出し現れた。

「羽村さんが無事で良かったですー、消毒薬や絆創膏をどうぞー」

「その準備の良さが怖いわ!」

 天使の顔した悪魔からの施しは、迷わず遠慮しておいた。

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