3-11『親友達の目』

 参加者の集合の呼びかけがくると、清子きよこくんはフォンを抱き上げていってしまった。まだ緊張はしていたが、それでもさっきよりは堂々としているように見えた。

 お互いの気持ちは改めて伝わったようだし、結果としては良いことが出来たのかもしれない。

 ほっとしながら、ステージに向かう清子くんを眺めていると、待ち構えていたかようなタイミングで俺の両隣に人が座り込んできた。

 見ると、それは訝しげな顔をした草川くさかわさんと椿つばきさんだった。雨雲を吹き飛ばしたと思ったら、今度は雷雨がやってきたみたいな気分だ。

 というか二人とも、どうして俺のことをそんな目で見てくるのか、理由がわからない。

 思わずベンに目で助けを求めるが、さりげなく距離を取ったうえで狸寝入りを始めていた。くそ、力一杯引っ張ってやろうか。

「な、なんでしょう?」

 俺は出来る限りの愛想笑いをしつつ応対した。すると二人は、含みのある笑顔を浮かべて話し始めた。

「清子と随分仲良さそうだったので。一体どんな話をしてたのかなって、ちょっと気になったんですよねー」

 満面の笑みを浮かべる草川さんさが、それに反して声がまったく笑っていなかった。背筋の凍りついた俺は、首を締められたような声で「えーっと……」とつぶやくしかなかった。

 それを見かねてか、椿さんが腕を組みながら話し始めた。

「まあ、うちらは親友のことが心配なんですわ。悪い虫が付いてないかとか」

「悪い虫って、もしかして、俺のこと?」

 二人は面と向かって頷きはしなかった。が、これ見よがしに目を細めてきた。そんな目で見られていたとは、大分ショックだ。

「俺、そんな如何わしい男に見えるのかな」

「はっきり言うなら、旦那はすんごい変人だとワタシは思いますけどね」

「…………」

 椿さんは冗談を言っているようで、結構マジな顔でそう告げた。

 俺としては普段から清子くんとの関係性に変な噂が立たないよう、気を遣って行動していたつもりだった。

 個人として変人に見えるのは百歩譲るとしても、そちらの方はほとんど効果がなかったようだ。気が徐々に沈んでいく俺の傷口をさらに抉るように、草川さんは頭を掻きながらダメ押しする。

「普通に考えてみてくださいよ。たまたま出会った良い年のおっさんの汚い住処に、女子高生が足繁く通うなんて、世間体は最悪でしょうに」

「またおっさんって言ったよこの娘……本当に何の遠慮もなく」

「あのね、真面目に話してるんですよ、こっちは」

 いやおっさん呼ばわりが一番堪えるから真面目に言ってるんだけど、という切実な抗議は口に出す前に一睨みで制止された。

「アタシもあなたは悪い人じゃないと思ってるんです。ただ、それはアタシが見える範囲での判断でしかないですから」

「不安に思うのはごもっともだよ。ただこれでも、俺も清子くんを雇い入れるまでは、大分戸惑ってたんだけどね」

 椿さんの別荘で本音を明かされるまでは、正直清子くんがどうしたいのかわからなかった。いや、今でも全部を理解しているかと言えば怪しい。

 ただ清子くんはどんな理由であれ、自分の意志で俺に顔を見せにやってくる。それなら俺は無下に断らないのが、唯一の応え方だと思っている。

 と、いうことをストレートに伝えると、今の二人相手には余計な誤解を生みそうな気がする。さて、どう言葉にすれば良いかと悩んでいると、その前に草川さんが口を開いた。

「言いたいこと言わせて頂きましたけど、今は親友が信じるあなたを……羽村はむらさんを私も信じようと思ってるんです」

「……それはどうも」

「ただこれだけは覚えておいてください。もしアタシ達の親友の信頼を裏切って泣かせるようなことがあったら、アタシがその鼻っ柱を粉々に砕きにいきますから」

 冗談とは思えないその一言に、俺は肩を竦めて苦笑いした。ニヤけたらまた叱られてしまいそうだったが、どうも頬の緩みが抑えられない。

 当然、それを見た草川さんは本気で睨んできた。

「冗談だとでも思ってるんですか」

「いやいやいや、そんなつもりはないよ。ただ、なんか安心したというか」

「安心?」

「人間なんて、いつ理性が壊れるかわからない。勿論、俺は自分で大丈夫だと思っているけど、絶対と言える根拠は正直出せない。だから、全力で馬鹿を止めてくれる人間が居るっていう安心、かな」

「それ、むしろアタシが羽村さんを信用出来なくなるんですけど」

「むしろ、信用なんてしなくていい。誰かがちゃんと睨んでくれていれば、俺は自分の顔面が潰れた後のことが浮かんで、気が引き締まるから」

「……」

 草川さんは、とても不服そうな顔で俺を見上げている。まあ、これは話しながら自分がなんとなく導き出した理由でしかないので、今一真剣味がなく聞こえてしまうのも仕方ないか。

 もっと堅苦しい言い方をすれば、抑止力があるのに越したことはないということだ。ましてや、普段から人間関係が希薄な俺みたいな人間には、そういった監視の目がなければ、信用などまず出来ないのは当然だ。

 だからこそ、清子くんの懐き方は非常に不思議でしょうがないわけだが。

「旦那、それって新手のナンパっすか?」

「しれっと人を尻軽男に仕立てようとするな!」

「そうやって冗談が通じないところ、きよちーにそっくりっすよ」

「このからかい屋娘が……!」

 腕をわなわなとさせる俺に気づいているのか居ないのか、椿さんはへらへらしたまま続ける。

「ワタシはナッコと違って、羽村の旦那みたいな人を一々疑うなんて時間の無駄だって思ってるんで」

「悪かったね、時間の無駄でしかない心配してさ」

「勿論、ウチの子に何かあったら、平手打ち程度の落とし前で済ましゃしませんがね」

 と、少し目の色を変えた椿さんが、舌舐めずりをしながら、親指で首を割くジェスチャーをする。

「……椿さんって、もしや黒い世界の人?」

「ご想像にお任せしやすよってね」

 俺は思わず助けを乞うように草川さんの方を向いたが、彼女はそっぽを向いてしまった。

 なるほど、清子くんは本当に良い親友をお持ちだ。

「あ、始まるみたい」

「よっしゃぁ! 頑張れきよちー! ワタシ達が付いてるぞー!」

 この催しは仔犬が主役なんですけど、と俺は心の中で突っ込んでおく。

 やがて、いつの間にか飲み物を買い出しに言っていた黒木田くろきださんと冷蔵庫くんが戻ってきて、大所帯での応援が始まった。

 フォンは予選を勝ち抜いて決勝枠に残ったが、疲れてしまったのか結局入賞出来ずに終わった。

「疲れちゃったみたいです。ゆっくり休んでね、フォンくん」

 すやすやと眠るフォンを抱いて帰ってきた清子くんは、負けてしまったのにどこか晴れやかだった。

『人間は、負ける方が好きなのか?』

 ベンがそう聞いてきたので、俺は首を横に振った。

「大会の勝ち負けより、お前達と仲良くなることの方がずっと価値があるんだよ、きっと」

『だから別に、俺はアイツのこと嫌っちゃいないぞ』

 心外そうにベンが言うので、俺はその態度がいけないと言おうとして、やめた。あの仔犬が、いずれコイツのサバサバした心を安らげてくれるだろうから。

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