3-10『清子さんとフォンくん』

 今回の特別イベントとなる、愛犬家コンテストの準備が進められていく。

 清子きよこくんがフォンを連れて出場する仔犬の部で行われる種目はとてもシンプル。要は呼びかけて一番先に飼い主の元に着いた犬が勝ちだ。

 出場するのはフォンだけなので、ベンは俺が一時的に面倒を見ることになっている。というわけでリードを預けに来た清子くんだったが……。

「おね、ゴホン。お願いしますっ!」

 物凄く緊張していた。俺にベンのリードを渡す時の手も、見るからに力みまくっている。

 そんな様子のまま行ってしまおうとするので、面食らった俺は思わず呼び止めてしまった。

「なんでそんなに緊張しちゃってるの」

「え、いや、その、私も、よくわからなくて」

 清子くん自身も、落ち着きのない自分に戸惑っているのが見て取れた。

 おろおろする彼女を見て、俺は一瞬だけ考える。呼び止めてしまってなんだが、残念ながら俺はカウンセラーではないから、話してもらっても清子くんの気持ちを和らげる事はできない。

 とはいえ、安易に呼び止めてしまった責任と、朝に昼にと飯を頂いた恩義もあるので、出来ることを何かしてあげたい。

「フォンと打ち合わせでもする?」

 結局思いついたのは、自分の能力を安易に使うことだった。

「え? それはちょっと、ずるいような気が」

「ルールに犬とお話しちゃいけません、って書いてあるなら控えるけど。それにフォンはまだ子供だから、あんまり意味のある言葉は喋ってくれないしさ。こっちの言ってることはある程度わかってるみたいだけど」

 俺がそう説得すると、清子くんは口を噛み締めて考え込んでしまった。悩む飼い主を他所に、フォンは有り余る元気を放出するかのように走り回っていた。

『何をアイツと話しているかはわからんが、俺に出来ることはあるか?』

「清子くんの言うことを素直に聞きなさいって、親父の口から言ってやることじゃないか」

『フン、フォンはもう、俺よりアイツに懐いてるんだ。俺が言ったって聞きやしねぇさ』

 と、愚痴めいたことを吐いたかと思うと、ベンは不貞寝してしまった。こっちはこっちで大きな悩みを抱えているみたいだ。

 それはさておき、清子くんは若干後ろめたさを見せつつも、話をすることに同意した。真面目なのはいいことだが、利用できるものは利用することも必要なのだよ。

 さて、いざ通訳をやろうとしてみて、俺は重大なことに気づいてしまった。

「あ、翻訳はやったことあるけど、通訳って記憶がないや……」

 そもそも周囲で俺の力について知っているのは、清子くんくらいなわけだし、やったことないのも当たり前か。

 一瞬ドラマでの通訳シーンが浮かんだが、それと同じことをしても何の意味はない。というか、俺は動物の言葉が話せるというわけじゃなく、俺の言葉が相手に伝わってしまうだけなのだから。

「えーっと、とりあえず清子くんの言葉を俺が復唱してフォンに聞かせるから、自由に喋って」

「はい、で、ではお願いします」

 というわけで、俺はしばらく翻訳機のように清子くんの言葉を繰り返し、フォンに伝え続けた。

 清子くんは、このコンテストのルールのことを話すと、フォンの意志を確かめずに参加を決めてしまったことの謝罪を始めた。

 フォンは、『んー』と首を傾げるだけで、理解してるのかしていないのか、よくわからなかった。

 うちのぽんすけもフォンとあまり変わらない歳のようだが、奴は年の割には饒舌な方だ。理由はわからないけど動物によって知識の習得スピードは変わってくるらしい。

 一方フォンは、人間で言えばまだ言葉を覚えたての子供みたいなものだ。なんとなく言っていることはなんとなくわかっても、自分の中で噛み砕くことが出来ないようだ。

「私、まだまだ犬の飼い方とかも素人で、とりあえず食べさせちゃいけないものだけすごく覚えて、その、えっと」

 清子くんは、飼い主としての不安を話しつつも、ベン親子と暮らすことでより今の生活が楽しくなったことなどを、必死に伝えていた。

 俺はそんな話を通訳しながら、言葉の通じない相手と暮らす不安をいつしか忘れてしまっているんだなと気付かされる。

 とんでもなく疲れるからやらないが、この能力は耳を塞ぐように意図的に遮断出来る。が、それ以前に意志とは関係なく声が聞こえなくなる時期もあった。

 ただ、聞こえなくなった時期は動物と暮らしておらず、縁遠かったせいもあって、俺の中で動物の声が聞こえない日常はもうイメージが出来ない。

 あるいは、唯一声が聞こえない生き物である虫と暮らしているイメージだろうか。ただ、虫を飼った記憶もないので、それすら実感は薄い。

 俺は、自分が実感出来ない辛さを安易に押し付けてしまったのかもしれない。なんて、俺まで余計な罪悪感で心を痛めていると、ふいにフォンが口を開いた。

『清子と居るの、好き』

 のんびりした声だが、はっきりと彼はそう言った。

『清子がしたいこと、フォンもやりたい』

 特に言い換えることでもないので、そのまま言葉を伝えると、清子くんはビックリして固まっていた。

「えっと、もう、話すことある?」

「……大丈夫です」

 そう言って、清子くんはフォンを優しく、しかし愛おしそうに抱きかかえた。

羽村はむらさん、本当にありがとうございます」

 少し涙ぐんだ彼女にそう言われ、俺は気にするなと手を振った。というか、俺はただ生き物の命という重荷を、押し付けただけだ。

 清子くんの嬉し涙に、俺の力なんてたいして関わっちゃいない。

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