3-5『清子さんも怒ります』

 一〇〇メートル走で軽快な走りを見せた草川くさかわさんが、ゴールテープを切った。うちらの集まりでは初のトップである。

「おぉ、一番だなんてナッコ本気だなぁ。私なんて一輪車レース結構自信あったけど三位だったのに」

「本当にすごいわねー、私達のエースかもしれないわねー」

「ナッコは見ての通り運動神経が良いんですよ。若さをここぞとばかりに見せてきましたなぁ」

 椿つばきさんが、俺によく聞こえる声で友を讃える。はいはい、どうせ俺は四位ですよ。ちなみに冷蔵庫くんはハードル走で三位、くろさんは障害物競走で二位だった。ますます肩身が狭い。

 そんな中、清子きよこくんは少し怒った顔で俺のことを見てくる。曲りなりとも雇い主である俺のあまりの情けなさに、怒り心頭なのだろうか。

羽村はむらさん、一つお聞きします」

「……はい、なんでしょう」

「今日の朝御飯はなんでしたか?」

「はい……はい?」

 責められるかと思いきや、急に朝飯のメニューを聞かれ、俺は拍子抜けしてしまった。何故そんなことに興味を持つかはサッパリだったが、とりあえず素直に答える。

「昨日スーパーで買ったミニアップルパイ。いやぁ、二割引きで買えたから、なんとワンコインで買えちゃって」

「なんで運動会の日の朝御飯が菓子パン一つなんですかぁっ!」

 初めて聞く清子くんの怒号に、俺はバカみたいに口を開けるしかなかった。黒木田さんは首を傾げ、椿さんはやれやれと眺めている。

「走ってる時になんだかフラフラしてるなと思ってましたけど、それじゃ午前中すら乗り切れませんよ! 倒れちゃいますよ!」

「は、はい、申し訳ありません……」

 何故か敬語になってしまう俺だが、清子くんはまだ憤りが収まらないようだった。

「もう、運動会の時すらそんな状況だなんて、わかってたら朝のお弁当くらい作ったのに」

「そこはほら、清子くんが来るなんてわかってなかったし、頼めなかったんじゃないかなー、なんて」

「いいえ、絶対羽村さんはそんなお願いしてくれません! 従業員から施しは受けられない、とかなんとか言うに決まってます!」

 完全に図星だった。俺は施しに対してお返しが出来ないから、清子くんがくれるお菓子もそれとなく遠慮している。知らないうちに、俺の行動パターンは読まれているようだった。

「羽村さん、私のお料理ではご不満ですか?」

「いえいえそんなことは! 別荘の味を思い出すと日頃のひもじさが耐えられなくなるくらいには」

「では、ちょっと待っててくださいっ!」

 頬を膨らませたような勢いで、清子くんは傍らに置いていた自分の鞄を漁り、ハンカチに包まれた弁当箱を取り出した。複数の弁当箱が重ねて入れてあり、一番上にはアルミホイルで丸く包まれたものが数個置いてあった。

「間食用に作ってきたおにぎりです。これを食べて午前中を乗り切ってください」

「これ、みんなの分のお昼じゃ……?」

「羽村さん、きっとあまり食べてないだろうからと、多めに作ってきてあるから大丈夫です。流石に菓子パン一個とは思いませんでしたけどねっ」

 ツンといた感じで差し出されたおにぎり二つを、俺は肩を竦めながら受け取る。久方振りに目の当たりにするまともなおにぎりに少し恐縮ながらも、一つ目にかぶりつく。

「んっ、これは明太子?」

「はい、お父さんの大好物なので、おにぎりにはよく使います」

「……俺は、とんでもない贅沢をしている」

 しみじみと味を噛み締めながら、俺はおにぎりを頬張っていく。

「これが普通なんです。いや、むしろこれでも少ないくらいですよ」

「俺だってね、たまには近所のラーメン屋でクーポン配ってたら、たまには大盛りの一杯くらい頼む度胸はあるんだよ!」

「もう、その発想自体がさもしいです」

 なんだか、段々と清子くんの態度が冷たくなっているように感じるのは、気のせいだろうか? などと不安を抱きつつも、俺は次に渡された鮭おにぎりも遠慮なく頂いた。

 食べ終わって、用意されていた水筒の麦茶まで口にすると、自分の身体に力が沸いてくるのを感じた。食事とはこうも人間生活において大事なのかと、文字通り身をもって知ることとなった。

「ありがとう……ありがとう……」

「羽村さん、なんでまた泣くんですか」

 半分呆れた顔で清子くんに宥められる俺見て、椿さんが「駄目パパを世話する娘さんみたい」とつぶやいた。

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