3-2『羽村さん、出場せよ』
目を開けると、何かが視界を塞いでいた。手でどかすと、それは乾いた音とともに床へと落下する。
拾い上げて見るとそれは、飲みきったコーヒーの空き缶だった。そうだ、近所の酒屋に設置された格安自販機で、缶コーヒーが五〇円で売ってたから衝動買いしたんだった。
値段相応の味だったけど、今の俺には十分な贅沢だったなと、缶に残ったコーヒーの残り香を堪能する。
しかし、夢と同じ乱暴なノック音がその余韻を邪魔してきた。
「おい、居るのはわかってるんだぞ、暇人! いやまさか、お前はこんな昼間でも寝てるっているのか? さてはナマケモノか? 変温動物か貴様は!」
「……ここ最近で一番酷い目覚めだ」
俺がこの世で最も嫌いなことは、夢を見ていた所を、乱暴に邪魔されることだ。特に、一秒でも多く顔を合わせたくない奴に阻止されるのは、腹に据えかねる。
仕方なく扉を開けると、目付きの悪い冷酷色白男、冷蔵庫くんが仁王立ちしていた。俺は不機嫌さを隠さず、遠慮なく睨みつけた。
何故、コイツは一々そんな偉そうな格好をしないと出てこられないのだろうか。こう言っちゃなんだが、やっぱり教育が悪いのだろう。
「寝起きだからってこの態度は……。まあいい、今日は素直に喜んでもいい話を持ってきたぞ、家賃滞納者」
「ははは、その日がどんなに幸福でも、お前さんの顔を見ると一瞬で奈落の底に落とされた気分だよ」
「ほう、お前が今まで滞納してきた金の多くをチャラにしてやれる、美味しい話を持ってきてやったんだが?」
「はっ、お前の話なんざ、頼まれたって聞きたくないって今なんておっしゃいましたか冷蔵庫くん!」
俺が目を輝かせると、冷蔵庫くんは露骨に嫌そうな顔を向けてきた。まあ、今は気にしてあげないことにする。
「忍者もひっくり返りそうな変わり身だな……。あと、訂正しても無駄だとは思うが、僕の名前は
「で、ご用件は? 大口のお仕事でも見つけてくれたとかですかね? へへっ」
「気持ち悪いゴマすりはやめろ。残念ながら今回持ってきたのはいつもの仕事じゃない」
と言って、冷蔵庫くんは事務所の窓を指差した。
「我が町内会の尊厳を守ることだ」
「……勉強のしすぎで脳味噌溶けた?」
「年中とろけてる奴に言われたくないんだよ!」
そして、いつものような低レベルな言い争いが始まった。
冷蔵庫くんの訪問から三日後、俺は用意されたジャージに着替えていた。仕事兼普段着として使っているいつものワイシャツとチノパンは、珍しく全てが休暇に入っている。
いつもと違う着心地に違和感を覚えつつ、俺はつい息を吐いてしまった。
「……なんでこうなったかなぁ」
『おぉ?
「毛がどうとか言うな! な、なんか怖い!」
頭髪を抑え付けながら、俺はぽんすけに答えた。
「いいか、今日は一日外に出るから、おとなしくしてろよ」
『どこ行くんだよぉ』
「お前に言ってもわかんないだろうけど、町内会対抗の運動会に出ることになったんだよ」
ぽんすけは、聞き慣れない単語のオンパレードに混乱してか、首を傾げていた。まあ、俺も正直、聞いた時は首を傾げたが。
要約すると「町内会の運動会の参加し、勝利に貢献しろ」ということだった。爺さんからの推薦だそうだが、当の本人はぎっくり腰でダウンしたらしい。
推薦した爺さん曰く、「家賃免除を餌にすれば少しは役に立つ」とのことだそうだが、見透かされているのが悔しかった。
その後、参加表明したのはいいものの、運動用の服がないことに気づき、調達の過程で冷蔵庫くんとまた揉めたのはここだけの話。
嫌な回想を打ち消しつつ、俺はぽんすけの質問に答える。
「要はその、人間の群れ同士で競い合うんだよ」
『ほぉ、なんかよくわかんねぇけどよぉ戦いかぁ。代わりってこたぁ、お前ぇがリーダーになんのかぁ?』
「リーダーは悔しいことに、身内人事で冷蔵庫くんになった。奴に顎で使われるのは不本意だが、これも家賃チャラのため。絶対に勝つんだ……!」
最後は、ぽんすけへの説明というより、自分を奮い立たせるために出た言葉だった。
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