2-13『捨てられた者達』
「丸く収まった……ってことでいいんですよね?」
別荘まで戻る途中、蚊帳の外に置かれていた清子くんが聞いてきたので、俺は頷いて答えた。
ぽんすけは、流石に疲れたのか眠っていた。まあ、ずっと気を張っていたのだから当然だろう。
それに戻ってからも、アライグマの唾液が付いたカゴにそのままでは入れられないので、掃除が終わるまでは寝ていてくれるとありがたい。
「ぽんすけくんに怪我がなくて、本当に良かったです」
「ああ、良かったよ、本当に良かった」
俺は、ぽんすけが眠っているポケットに軽く手を当てた。布越しでもほんのりと温もりが感じられた。
清子くんも、ホッとした顔で俺のことを見ていた。穏やか表情を見ているうちに、俺はここに来た時、ぽんすけのことをはぐらかしたことを思い出した。
「あまり良い気分になれる話じゃないんだけど」
「はい?」
「ぽんすけを保護した時の話、聞きたい?」
そう尋ねると、彼女は真面目な顔ではいと答えた。
俺は、聞きたくなくなったら言ってねと念を押しつつ、話し始めた。
「今年の始めの、ちょっと寒い時だったかな。久々の仕事帰りに、電車賃を浮かすために歩いてたんだ。そうしたらダンボールに猫が群がっていてね」
清子くんが、身体を強張らせたのがわかった。それだけで、これから始まる嫌な光景が想像出来たのだろう。
「よく見たら、ダンボールは赤く染まってた。すぐ猫をどかして中を見たけど、中はもっと酷かった。カイロを包んでたタオルが真っ赤になってる中、一匹だけ運良く無事だったのが、ぽんすけだったんだ」
「……それって」
「後で箱を閉めてみたら、拾ってくださいってメモが貼ってあったよ。ハムスターは寒さに弱いってのに、ろくに温度調整も出来ないカイロだけ敷いた箱の中に置かれてね。ぽんすけは脱水症状だったみたいで気を失ってた」
清子くんは、言葉も出ないのか、何とも言えない表情で俺を見ていた。しかし、話をやめろと言い出す様子はなかった。
「その時貰った仕事の代金のほとんどはぽんすけの病院代に消えちゃったよ。不幸中の幸いは、気絶してたおかげで、自分の身に起きたことを覚えてなかったことかな」
「……」
「すぐに飼い主を見つけようと思ってたんだけど、知っての通り人脈が全然なくて、金もないのにペット飼ってる状態になってるんだ。まあここまで来たら、最後まで育てるつもりだよ」
話し終えたところで、清子くんは、俯き加減になってしまっていた。我慢させてしまったかなと思い気遣うと、「大丈夫です」と答えが返ってきた。
「こちらこそ、大事なことを話して頂いて、ありがとうございます」
と、清子くんは深々とお辞儀をすると、すっかり元気な様子に戻った。ちらっと、彼女が拳を握り締めていたのが見えたのが気になったけど。
「さて、アイツが住んでた所を掃除して、穴を応急処置で塞いで、忌避剤撒いて、って、まだまだ仕事はたくさんあるな」
別荘に戻ってきた俺は、自分のやるべきことを口に出して確認する。まだまだ仕事は終わりそうにない。
「でも、その前に」
という清子くんの一言に合わせたかのように、俺の腹の虫が遠吠えをあげた。
「お昼御飯にしましょう。今温め直しますね」
と、清子くんが小屋に戻っていったので、俺もそれに続くことにした。
小屋はログハウスよりもずっと質素ではあるものの、ここで普通に暮らせそうなくらい丈夫な作りに見えた。
しかし広さはそうでもなく、少し進むとすぐに台所と食卓が見えてきた。そこでは、清子くんが丁度二人分の食事を並べていた。
「いやぁ、いつ以来だろう、こんなまともなカレーライスと対面したのは」
「いくらなんでも大袈裟ですよ……」
手洗いなど食べる前の準備を一通り済ませ、俺は早速カレーに手を付けた。
香りに見合った、ちょっとピリ辛なカレーだった。最近は明らかに栄養価の低い菓子パンばかり食べていたので、これは程良い刺激だ。
「す、すいません、あんまり辛くしたつもりはなかったんですけど」
「え? あ、あれ、涙?」
清子くんの慌てぶりを見て、俺はようやく自分が感激のあまりホロリと涙していたことに気づいた。温め直したものなのに、味付けが落ちているようにも感じないし、これは料理人の腕が良い証拠だ。
目元を拭いながら、味の感想を素直に伝えると、清子くんは少し照れながらも「そんな褒められるほど、手はかけられなかったですけどね」と答えた。
もう少し、じっくり味わいたかったが、カレーライスという魅惑の一品が俺の食欲を爆発させた。一気に平らげた俺は、久しく言った記憶のなかった「お腹いっぱい」の一言を口に出した。
二人とも食べ終わって一息付いてから、清子くんが俺の分を含めて食器を片付け始めた。せめて洗い物はやると俺は申し出たが、清子くんはこれは自分の役目だと言い張るので、引っ込むしかなかった。
「そんなに喜んでいただけると、本当に力になれたみたいで、嬉しいです」
「いや、何度も言うけど、十分助かってるから……」
「私、元は捨て子なんです」
こちらを振り向かないまま、清子くんはさらっとつぶやいた。突然の暴露に驚いたが、俺は黙って聞くことにする。
「とても小さい頃、本当のお母さんに公園で置き去りにされました。捨てられたって気づいて、宛てもなく歩いてた時、助けてくれたのが今の両親です。もう本当なら孫が居てもいい年なのに、私をここまで精一杯育ててくれた、大好きな両親です」
清子くんは、そっと自分の胸に手をあてた。
「捨てられた子供は、非行に走ることも多いと聞きます。でも私は、両親が大事に育ててくれたおかげで、何不自由のない、幸せな毎日を送ることが出来ました。大切な友達も出来ました」
「俺も、今聞いて驚くくらいには立派な人に育ってると思うよ」
「ありがとうございます。でも、私は、ある時思ったんです。自分は周囲の人に何を返せているんだろうって。だから自分なりにいろいろと力になりたいと思っているんですけど、何をやっても、自分が力になれた実感がなかったんです……」
そう一通り話した後、清子くんは険しい顔とともに、俺の方へと振り返る。
「正直に言います、私はとても失礼な理由で
「……」
「生半可な気持ちで無理矢理付いてきて、いろいろ嫌な思いをさせてしまったと思います。本当に、本当にごめんなさい……」
深々と頭を下げる
別に、俺に気があるんじゃないかとか、自惚れた期待があったわけじゃない。彼女がそんな甘酸っぱい動機で俺に近づいていたわけじゃないことは、明らかだったし。
ただ、それにしては、俺のことを何かと知りたがっていたので、何故だろうとは思っていた。しかし、こうもはっきり「利用しようとしていたからだ」と言われると苦笑いするしかない。
俺は、清子くんのことを至って普通に暮らしてきた幸せな娘さんだ勝手に思っていた。しかし、事実はそれとは正反対だった。
もしかしたら、さっき話したぽんすけのことで、思い詰めてしまったのかもしれない。
「それに対して、俺がなんて返せばいいのかわからないけど」
「はい」
「えーっとね……」
清子くんは、真っ直ぐと俺を見つめている。まるで罪を犯した犯罪者が、厳粛な面持ちで言い渡される裁きを待っているかのようだ。そんな深刻になられる方が、俺としては困る。
「偉そうなことを言える立場じゃないけど、清子くんは勘違いしてるよ」
清子くんは、少しだけ首を傾げた。
「まるで気休めみたいに聞こえるかもしれないけど、大事にされるってことは、周囲の人が清子くんのことを必要としてるってことだ」
清子くんは、聞いているのか呆然としてるのかよくわからない顔になった。やっぱり、良い事言おうとして失敗しちゃったか。しかし、今更茶化すことも出来ない。
「清子君は俺のことを優しいなんて言ってくれたけど、俺は今日清子くんの優しさに助けられた。誰かのために頑張ろうっていうその真っ直ぐな気持ちは、たぶん清子くんだから生まれる気持ち……なんじゃない、かな」
「そう、なんでしょうか……?」
「なら聞きたいんだけど、清子くんは俺に利用価値がなくなったら、何も言わずに消えるつもりだったの?」
「そ、そんなこと、絶対しないです! 嫌々で羽村さんの所に通っていたわけでもないですし!」
「じゃあ、利用してたなんて、自分で言ってて悲しくなるような言い方、しないでいいんじゃない?」
前のめりになっていた清子くんが、またポカンとした顔になる。
「まだ知り合って間もない俺が言うのもなんだけど、今日の清子くんは悪ぶりすぎだ。全然似合わない。まあ、俺みたいなダメ男なら頼ってくれそうって思われてたのはちょっと複雑だけど」
「すいません……」
「そこは自業自得だから、だけど俺みたいな奴でも、必要とされたら嬉しいって思ってくれると、こっちも悪い気分はしなかったしね。人脈が薄い俺の言うことじゃ説得力ないけど、人間関係ってそういうもんじゃないかな」
清子くんは、俺の突拍子のない話を咀嚼しているのか、しばらく心ここにあらずといった様子だった。
が、ようやく飲み込んでくれたのか、清子くんはようやく曇りのない笑顔を見せてくれた。
「それじゃあ、これからも羽村さんのこと、遠慮なく頼らせてもらいます」
清子くんから恭しく差し出された手を見て、本当何もかもが丁寧だな、と俺は苦笑いする。
「そいつはお互い様で……」
俺は、照れくささを隠せないままに握手を交わした。
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