2-12『羽村さんのお仕事』
アライグマの名前はガジドというそうだ。少し前、よく会っていた知り合いが一斉に姿を消したことで、危機感を覚えてこの辺りまで逃げてきたらしい。
そこでたまたまこの別荘を見つけて、穴の空いていた部分をこじ開け侵入、人間が居ないのをいいことにここを住処にしていたわけだ。
常々、ガジドが家族を作っていなかったのは幸いだった。時期的には繁殖期のはずだけど、もし大所帯だったらもっと激しく抵抗され、説得どころじゃなかったかもしれない。
ましてやそんな中でぽんすけが捕まっていたら、このしたり顔を見られなかったと思う。
『そ、それで、どこなんだよ? 俺の家になりそうなのは!』
「いや、今探してもらってるところだから」
そう答えるとガジドが声を荒げたので、俺はすぐ穏便に宥めた。アライグマは基本、臆病さの反動から気性が荒く、感情が爆発しやすい。だから刺激しないように収めるのは大変だ。
急かされても、俺は不動産屋じゃないから、別に動物の家になりそうな場所を把握しているわけじゃない。ただ、事前に代替の住処に関して、何らかの手配はしている。
だからあくまで俺は、頼みの綱がやってくるのを待つしかなかった。
「
しばらく邪魔をしまいと黙り込んでいた
「うん? 何か?」
「羽村さんのお仕事って、動物を退治することじゃ、なかったんですね」
清子くんは、少し嬉しそうな声で聞いてきた。しかし俺は、苦笑いをしながら答える。
「いや、俺の仕事は駆除屋さんだよ。ただ、追い出すだけで済むなら、それに越したことはないから、事前に手を打っているだけでね」
駆除の手続きには時間がかかる。それは依頼主にとっても、そして仕事をする側にとってもそれなりに手間だ。
「どうして、羽村さんみたいに動物と話せる人が、駆除をする仕事をしているんだろうって、ずっと疑問だったんです。羽村さんは、すごい優しいことをしているんですね」
「ははっ、清子くんが思っているような理由だけでこんなことしているわけじゃないよ」
首を傾げる清子くんに、俺は夢を壊す話を続けた。
「交渉が決裂したり、口約束を破ってまた人間の家に現れたり、口で言ってもわからない相手なら、俺は相手を構わず殺す。この仕事はあくまで人のためのものなんだ。こいつらを助けるのが本分じゃない」
そう答えると、清子くんは少し寂しそうに黙ってしまった。
「ベンの時抵抗しなかったのは、脅しだって勘付いたのもあるけど、そもそも仕事じゃなかったからに過ぎないしさ」
もう少し気の利いたことでも言えればいいんだけど、俺のこの仕事に何かメルヘンチックな何かを見出したのだとしたら、それは否定しないといけないと思った。
一通り言い終わると、清子くんは少し俺の話を咀嚼してから、口を開いた。
「でも、きっと羽村さんはそれだけじゃないと、私は思います」
そして清子くんは、笑顔で俺に振り向いた。
「だって、動物のことを考えてなかったら、こうやってお家を探すところまで面倒見ないですよ」
「いや、それは戻ってこないようにするためであってだね……」
「それだけなら、無理矢理追い出した後にすぐ侵入口を塞げば済む話ですよ」
俺はさらに言い返そうとしたが、言葉が見つからなかった。確かに今この時点でガジドを追い払い、侵入口を応急処置で塞いで忌避剤を撒けば、ひとまず最低限は終了だ。それをしない理由が、思いつかなかった。
「羽村さんは、とても立派なことをしていると思います。羽村さんにしか出来ないことを、精一杯やってるんだって」
「……それはまた、人を照れさせる言い方だね、清子くん」
と言って俺が頭を掻くと、清子くんはふぅと息を吐いて、
「ですから、あんまり気取らないでください。ハードボイルドみたいなのに憧れているのはわかりますけど、らしくないです」
「一回りも年の違う子に、それ言われるのはキツイなぁ!」
容赦なく痛いところを突かれ、俺は身をよじった。しかしガジドが怪訝そうな感じでこっちを見たので、すぐ気を取り直した。
「それはそうと羽村さん、ここでじっとしてて、大丈夫なんですか?」
「え、ああ、心配いらないよ……って安請け合いは出来ないけれど、ちゃんと手は打ってあるから、任せたまえよ」
少し偉ぶった口調で答えたが、清子くんの表情は晴れない。
「このアライグマ、処分されないですよね?」
「正直なところ、まだわからない。新しい家の気に入ってくれなけりゃ、交渉決裂だから。でも、何とかなるんじゃないかと思うよ」
などと話しながら待っていると、空から黒い影が飛んできた。それは、軽く会話を交わしたカラスのウィセンだった。
「あのカラス、さっきの子ですか?」
「ああ、アライグマが住めそうな洞穴はないか聞いてたんだよ。良い報告が来るといいんだけどなあぁ」
不吉の象徴であるはずのカラスが、今の俺には何か幸福を運んでくる存在のように見えた。
『よう、すげぇな。本当にあのおアライグマを引きずり出せたのか?』
『な、なんだこの生意気なカラス野郎は』
一度会っているはずの二名だが、ガジドは覚えがなかったらしい。ガジドは反射的に身構えたが、ウィセンはケロッと返事をする。
『おれっちはな、お前のために住処を探してやったんだぞ? おれっちのことが気にいらなくても、お礼の一つは言ってもいいんじゃない?』
ウィセンは、胸を張るようにそう告げた。
ウィセンに案内され、俺達全員が引き連れられた先は、小屋から歩いて三〇分ほどの、さらに山を登ったところだった。
何か別の動物が掘ったらしい、小さな洞穴がそこにはあった。森の奥深く、あまり他の動物が好んで寄り付かなそうな場所だ。
今は明らかに使っていないようで、気配はおろか周囲にはもう足跡すら見当たらない。アライグマが入れるかは心配だったが、杞憂だった。
一通り穴の中を見て回ったガジドは、ここなら暮らしていけるだろうと言ってくれた。その言葉に嘘がなければ、俺がコイツの命を奪う機会は訪れないはずだ。
『お、俺のために、その……悪かったな』
ガジドは最後に、おどおどしながら礼を言った。俺達は別に構わないと答えた。しかしその後、ウィセンは『おっかない相手の居場所が分かれば安心だ』と小声でつぶやいていた。
「一応最後に注意しておくが、またあの家に戻ろうなんて思うなよ、そんなことしたら……」
『あ、ああ、もうしないさ。どっちみち、入れないようにするんだろ?』
「そうだけど、あの家に入ろうとする素振りを見せただけでも、お前の立場は一気に悪くなるから、忘れるなよ」
そう言い聞かせると、ガジドは少し身を竦めた。アライグマの中でもとびっきり臆病な性格らしいコイツには、これくらい言えば牽制になるはずだ。
『おいネズ公、ビックリさせて悪かったな』
『ぽんすけ様だぁ! まぁオイラはあの程度でビビるようなヤワなハムスターじゃねぇけどよぉ』
ぽんすけは、そう言って胸を張った。しかし俺のポケットには微かな振動が伝わっていた。
ずっと強がっていたが、小動物にとってあの時間は地獄に等しい一時だったに違いない。俺は、自分の不注意を改めて恥じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます