2ー4『草川さんと椿さん』
三人の客を待たせながら、俺は事務所の扉の前でウロウロしていた。間もなく、ノックの音がしたので、俺は恐る恐る事務所の扉を開けた。
「はーい、お待たせしましたー」
脱力感溢れる声とともに、
「本当にすいません黒木田さん、恩に着ます」
「いいえー、少しでも昨日のお礼が出来ればー、私も嬉しいんですよー。それに同じビルで暮らす者同士ですしー、遠慮なさらずー」
そう言い残して、お盆を俺に渡した黒木田さんは、後で取りに来ると伝えつつ自分の店に戻っていった。今回ばかりは本当に黒木田さんの存在に助けられた。
普段は無礼にも彼女を疫病神だと忌み嫌っていたが、今日だけは女神様と崇めたい気分だ。
「すいませんね、いろいろとお待たせしまして」
「そんな
普段なら原居さんが来ても、うちはお茶を出せないくらい困窮していた。せいぜいだせても水くらいだ。
しかし、久々にまともなお客ということで、俺はなんとかこの仕事を物にしたかった。
そこで俺は、電話で黒木田さんに無理を言ってお願いし、お茶を頂くことにしたのだ。いずれ代金は払うからと申し出たのだが、当人は昨日のお礼もあるからと言ってくれた。
遠慮なく、ご厚意を受けようと思う。ただ、少なくともこの恩を返すまでは、彼女の温情を忘れないだろう。
俺は、心の中で手を合わせながら、お茶を出していく。ハーブティだろうか、妙に高級感ある香りがして、俺は思わずそれに浸りそうになってしまった。
「これくらいどうってことはないですから。それで、お仕事というのは?」
俺はお茶を机に並べながら、まずは仕事の話を聞くことにした。客人用として頼んだので、俺の分は用意されていない。少しだけ三人が羨ましい。
「初めまして、依頼人はこのワタシです。うわー、このハーブティ美味しい」
と、お辞儀しつつ申し出たのは背の低い少女の方だった。しかしハーブティの美味さに飲まれてしまっているようだ。
「アンタ何しに来た。初めまして、
と、ボーイッシュな少女、草川さんはぶっきらぼうに自己紹介してきた。言葉とは裏腹に、お前にはそう簡単によろしくしてやらないぞ、といった感じの態度だ。
一体彼女に俺が何をしたのかはわからないが、導火線に火を付けないよう注意して取り扱おう。
「どうも、当事務所の所長、羽村
ひとまず、草川さんのピリピリしたムードには気づかないフリをして、俺も自己紹介する。
よく見ると、警戒心全開なのは草川さんだけで、椿さんに至ってはハーブティに心を支配されている。いや、アンタはうちに用がないなら上の喫茶店で和んでこい。
「伊智子ちゃん、本題本題」
原居さんが耳打ちすると、椿さんは「ハッ」と口に出しながら、名残惜しそうにハーブティを机に置いた。
「いやー失礼しました。で、頼みたいお仕事っていうのは、うちの別荘の話でして」
「へぇ、別荘ですか……別荘?」
俺は思わず身を乗り出すような勢いで聞き返してしまった。それが面白かったのか、椿さんは少し自慢げに話を続ける。
「実はウチの一家、そこそこの金持ちなんですよ。で、親戚一同が集まれるようにって、別荘を持っているんですわ」
俺は驚いて、ますます呆けた顔になってしまった。
目の前に居るこの娘が、金持ちの令嬢だと? はっきり言って、そう言われなければどこにでも居る普通の少女にしか見えない。
だって金目の物は身に付けていないし、それらしい雰囲気を漂わせているわけでもない。実際、この自慢だって、俺の反応を面白がってやっているようだし。
「で、ワタシ達三人は、そんな別荘を使わないのは勿体無いと、長期休暇にはいつも保養という名目で遊びに行ってるんですよ」
内緒話のようなポーズを取りつつ椿さんが言うと、草川さんがその頭を軽く小突いた。
「初対面の相手にアタシ達の素行が疑われるようなことを言うんじゃない……まさか、妙なこと疑ってないでしょうね?」
俺は草川さんの問いかけに、全力で首を横に振って否定する。触ってもいないのに、導火線からは既に煙が出始めていた。
「もう、伊智子に任せてると日が暮れそうだからアタシが話す。要するにその別荘に野生の動物が住み着いちゃって、これから泊まる予定のアタシ達が困ってるってこと」
草川さんの說明は、実に簡潔でサッパリしていてわかりやすかった。それを聞きながら、椿さんはまたハーブティに口をつけ、はぁーと息を吐いている。当事者が一番無関係そうな顔をしていた。
「その動物って、何だかわかりますかね? 相手によっては許可を取らないといけないところもあるんで」
俺は、なんだか仕事をしてる感じがする、と内心感動しながらそう申し出た。
個人的な感銘はさておき、一部の動物は有害だからと言って、おいそれと駆除出来るわけではない。動物によっては許可が必要で、無視すると法に触れる可能性がある。
なので、わからないと言われた場合は、大変困ってしまうので、事前にまずどんな動物が駆除対象なのか、というのははっきりとさせたい。
しかし、椿さんは眉をひそめ、頬を指で掻きながら答えた。
「それが、よくわかってないんですよなー。ワタシも、掃除を頼んだ使用人から聞いて知ったことなんで」
使用人、という言葉を聞いて、俺の口から乾いた笑いが漏れる。住む世界違いすぎるだろう、チクショーめ。
「ウチの使用人も、襲われて逃げてきただけらしくて。怪我はたいしたことなかったんですが、何分ビビっちゃって……やっぱ事前にわかっていないとダメですかね?」
「現地で俺が調査する期間を頂けるなら、構いません。ただその分お値段には……」
と、恐る恐る俺が伝える。同業者の相場などを俺は知らないが、余裕のあるところなら調査費用はサービス出来るかもしれない。
しかしうちは言うまでのなく零細事務所だ。細かいところで出費が嵩むと赤字になってしまいかねない。
金銭面以外にものっぴきならない事情があるので、余裕があるなら調査機関は欲しい、というのが本音だ。しかしいくら理由はあるとはいえ、費用が嵩むとなると、依頼者は尻込みしやすい。これはダメかもしれない。
椿さんはうーんと少し考えるポーズを取ってから、ニコッと笑って親指を立てる。
「そんじゃまぁ、お願いしちゃいますかね」
なんでサムズアップなのかはわからないけど、とりあえずこれで俺は久々の仕事を得ることが出来た。冷静を装っているつもりだが、内心戦勝パレードのような大歓声があがっている。
「で、調査期間っていうのはどれくらい?」
「一日予備日を頂ければ十分かと」
「あ、もし手続きなしでいけそうなら、その日のうちにお仕事も済んじゃうんですよね?」
ええまあ、と俺は答えた。
「わかりました、都合の良い日をワタシの家から直接連絡します」
「どうもありがとうございます。で、肝心の場所は……」
俺はまた腰低く問いかけた。あまり遠いと電車代が足りなくなる可能性もあるからだ。
しかし、椿さんは手をパタパタと振って答えた。
「あ、ウチから迎えの車を出しちゃいますよ?」
俺はその一言を聞くと、思わず脱力して尻餅をついた。
「だ、大丈夫ですか羽村さん!」
「いや、ちょっと腰抜けた」
と、痺れ薬でも飲まされたみたいに硬直する俺を見て、原居さんは心配してくれた。
「……本当に大丈夫? この人」
そんな俺達を見て、草川さんがボソッと不安を口にしたのを、俺は聞き逃さなかった。
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