2ー5『出発します、羽村さん』

 そして、数日後の晴れた日の朝、俺は肩を回しながら目を覚ました。

 昨日は緊張していたせいか、寝付くまでに時間がかかってしまった。無意識に力んでいたのかもしれない。

 それとも歳のせいか、という言葉が頭をよぎるが、俺はそれをすぐに振り払った。

「ぽんすけ、朝飯食べたら今日は出発だぞ」

『んあ? なんでだよぉ』

はらさん達が来た時に言っただろ、長くここを出ることになるから、その間は連れて行くぞって」

 残念ながら、俺には動物の面倒を見てくれるような友人知人がいない。上のくろさんは飲食店経営者ということもあるが、何が起こるかわからない怖さがある。これはお互いに生まれた星が悪かったのだから仕方ない。

 冷蔵庫くんは言わずもがなだ。帰ってきたらぽんすけが冷蔵保存されてた、なんてあったら……とまあ、頼める仲にはないということだ。

『まぁ、オイラは飯食えりゃ、付き合ってやってもいいけどよぉ』

「朝飯で十分あげたっつってんのに。おやつくらいなら持っていってやるから、支度……つっても何もないだろうけど、まあ心の準備くらいしておけ」

『あいよぉ!』

 同居者への通達を終え、俺は、いつもとそんなに変わらないスーツ姿に身を包。

 そして、ぽんすけの外行き用小型ケージと、仕事鞄を準備しておく。

 あとは迎えの車が到着するのを待つばかり。俺を呼ぶ時はクラクションを鳴らすはずなので、事務所の窓を開けておくことにした。

 外を見ると、朗らかな陽気が青い空に輝いていた。まるで、前途洋々な俺の未来を祝しているようだ。

羽村はむらぁ、なんだかワクワクしてねぇかぁ?』

 ギクッ、という擬音が俺の頭に鳴り響く。高級な車で迎えられると思うと、まるで要人として迎えられているようで、興奮を抑えられない。

 これでステッキとハットがあれば申し分ないが、生憎どちらも持ち合わせていないのが残念だ。

 などとやっているうちに、ビルの前に一台の車がやってきた。着くやいなや、クラクションが鳴り響く。

「……あ、はい、今行きますー」

 俺は、到着した車を見下ろした後、力なく返事をして、ぽんすけをケージに入れてから、トボトボと歩き出した。

『なんだぁ? 今度は随分元気ねぇなぁ』

「いや、ちょっと夢見すぎたってだけさ……」

 俺のその答えに、ぽんすけは『はぁ?』と疑問符を頭に浮かべていた。

 確かに、俺はちょっと夢を見すぎていたのかもしれない。生まれて初めて高級リムジンに乗れる、なんて高望みも甚だしかったと言えよう。

 しかし、今目の前にあるのは、金持ち感が全くない乗用車だった。中古屋に並んでいてもおかしくうなさそうな、ちょっと年季の入った中型車だ。

 なるほど、俺にお似合いなのはこの程度ってことか……。

 まあ、別に車へ乗るためにこの仕事を受けたわけじゃない。そう頭を切り替えた俺だったが、車に乗っていた人を見て、さらに驚かされることになる。

「あ、おーい羽村さーん!」

 車の窓から、原居さんが手を振っているのが見えた。

『うわっ、コラァ、羽村ぁ! 落としそうになってんじゃねぇ!』

 ぽんすけにそうどやされて、俺はなんとか正気を取り戻した。




 見た目に反して、車の乗り心地は快適だった。これならぽんすけが車に酔って具合が悪くなる可能性も低そうだ。

 で、そのぽんすけが入ったケージは、原居さんの膝の上にある。俺が助手席に座ることになったので、直射日光が当たりやすいを避けるため、彼女にお任せしたのだ。

 それはそうと、原居さんがどうして乗っていたのかを俺は真っ先に問いただしたが、どうやら別荘の案内をするために乗っていたのだそうだ。

 ちなみに他の二人は用事があるため、すぐには来られないらしい。むしろ、今日中に別荘へ行くかどうかは、俺の仕事にかかっているのだと言われた。

 妙にプレッシャーかけられるな、と思っていると、隣から朗らかな声が聞こえてきた。

「アハハハ! お兄さん、なんか具合悪そうっすね! 気持ち悪かったらすぐ止めますんで言ってくださいね!」

 運転手は、よりにもよって一々声のでかい男だった。タクシー運転手にはこういうのが多いというイメージがあるが、実際こんな感じなのかもしれない。

 すなしろという名前らしい彼は、運転手として椿つばきさんの家で雇われている使用人なのだそうだ。もうちょっと気品のある人かと思って気を張っていたのに、出会って一秒でその緊張感は良くも悪くも解れた。

 人生の一秒一秒が全て幸せという、俺には眩しすぎる笑顔で出迎えてくれた彼は、車中で俺が原居さんに事情を聞いていた時を除いて、常に喋りっぱなしだった。

 正直なところ、俺は口数の多いタクシー運転手的なタイプは苦手だ。とはいえ、クライアントがわざわざ出迎えの車を出してくれているわけで、文句など言えるはずもない。

「いやいや、心配には及びませんよ。確かに俺、車には滅多に乗らないけど、別に酔うからじゃないんで」

「そうっすか? いやー、これ俺の車なんで、汚されたら困るなーって。いやー参った!」

 コイツのマイカーだったのか。というか何が参った、だよ。まだ何も惨事は起きてないだろう。

「実は、旦那様が先日ボーナスくれましてね、貯金と合わせて、中古ですけどようやく自分の車を買えたんですよ! いやー、基本的にケチっぽい人ですけど、気前の良い時は本当に太っ腹で!」

 と、車を運転しながら彼は腹を叩く。そんな太っているようには見えないが、お腹からボールを叩いたような可愛らしい音が聞こえた。

「砂城さんはいつも元気ですけど、今日はとびきり機嫌がいいから何かと思ってましたけど、車買ったからなんですね」

 彼のことを既によく知っているらしい原居さんですら、苦笑いを禁じ得ないようだった。というかこんな奴を相手にしていると、雇っている椿さんなんか、疲れないんだろうか。

「え? そんな機嫌良さそうに見えちゃいます? いやはや、きよちゃんには見破られちゃったかー。まあ隠す気なんて元からないっすけど、ハハハハハ!」

 いや、俺でも何となく機嫌が良いのはわかったよ。というか、今何がおかしかったんだ、お前は。

「あっ、もうそろそろ別荘のある山に着きますよー。山っつっても別荘までそんなに距離はないですからご心配なく」

「あ、山の前で降りるの?」

「まあ入れないこともないんですけど、すんげぇ揺れますし。そこまで時間に差は出ませんからね」

 ああ、要は自分の車を傷つけたくないのね、と俺は察して突付くのをやめた。中古車だけに無理はさせられない。ここまで送ってもらっただけでも、俺的には十分である。

 軽く原居さんに目を向けると、彼女は手を振って「別に大丈夫ですよ」と、俺の意図を察してくれた。慣れてる人でも問題ないと言うなら、そんな大変なこともないはずだ。

「しかし、案外遠くなかったなー」

「そもそもこの辺りが田舎みたいなもんじゃないっすか! 土地なんかもきっと安いんですよ! 売っても二束三文にしかならない山とか、あるらしいですよ」

「なら俺達にくれよってな」

「ハハハ! 誰か山の中に土地の権利書でも落としてないかな? なんて、アハハハハハ!」

 結局、俺は最後まで砂城くんのトークに付き合うことになってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る