1-終『どうぞよろしく、原居さん』

 今日も今日とて、我が害獣駆除業者は絶賛仕事募集中である。

 こんな寂れた商店街の片隅で、商売繁盛など望むべくもない。しかし、これはあまりにも仕事がなさすぎるのではないか。

 今日も朝飯は菓子パン一つだった。巷では炭水化物ダイエットというのが流行っているそうだが、俺がオススメするのはズバリ、極貧ダイエットである。

 いかに食欲があろうとも、貧乏を極めれば食料を大量に買いたくても買えない。さらに食費のかかる同居者、特にペットが居るとさらにベストだ。

羽村はむらぁ、暇すぎて腹減ったぜぇ……』

「この間は地震にビックリして腹減ったとか言ってたな。お前が腹減らない時っていつだよ」

 ちなみにぽんすけの朝飯は、指南本に則った適量の専用フードを投じている。ついでにおやつ分もあげたはずなのに、もうそんなことを言い出し始めている。

 きっとぽんすけと暮せば、どれほど脂肪に愛された女性すら、数ヶ月でげっそりしているんじゃなかろうか。

『そういやさぁ、また来るのかなぁ、アイツ』

「どうかな、一昨日来たばっかりだし、というか流石にもう……」

 とか、ソファーの上でつぶやいていると、階段をあがってくる音がした。

 いつもなら、あの冷血な家主の孫が来ると身構えるところだ。しかしその穏やかな歩調と、後ろに付いてきているらしい足音を聞いて、、今日はそうではないと判断して警戒態勢を解く。

 そして、コンコンと優しく扉を叩く音がしたので、俺は「どうぞ」とすんなり入室を許可した。

「どうも羽村さん、今大丈夫ですか?」

「ええ、どうせ暇ですからね」

 来客者ははら清子きよこさん、公園での騒動の時に出会ったあの少女だった。彼女に釣れられた元野良犬のベンも一緒だ。さらに少女の腕の中には、すやすやと寝息を立てる仔犬の姿も見えた。

「ご迷惑でしたか?」

「お気になさらず、迷惑かけられるほど、忙しくもないからいいですよー」

 俺は拗ねたように返答する。この事務所に家賃の催促以外で来客が来るのは悪いことじゃない。

 しかし、花も恥らう高校生が、こんなカビ臭い事務所に出入りするのは良くない気がしてならない。ちなみにこうして顔を出しに来るのは、彼女がベンを引き取ったからだ。

 あれから俺は、「野良犬達の引き取り手を探したいから、友達に飼えるかどうか聞いて欲しい」と原居さんに頼んだ。すると、彼女は自ら飼い主になると申し出た。

 最初、俺はあまり良い顔はしなかった。ベンは原居さんを襲ったわけだし、おまけに突っ込んだ話を聞いてみれば、彼女は犬を飼った経験がないというではないか。

 荒れた生活を送っていた野良犬を、飼育経験のない人間が飼うというのは難しいのは目に見えている。俺は、人間に慣れていない野良犬を飼うリスクを、自分でも嫌になるくらいネチネチと伝えた。

 しかし彼女は、むしろそれで燃え上がったらしい。

「私は、絶対に見捨てません。どんなことがあっても」

 やけに深刻な顔をしてそう言う原居さんに、俺は一応念を押して「でも……」と渋ってみせた。

「心配なら、定期的に見せに来ます! 私に任せてください!」

 と、原居さんは少し怒ったように答えた。私のことを見損なうなと、憤るかのように。

 そこまで言われては俺もそれ以上失礼なことは言えず、勢いのまま彼女に任せることにした。彼女は実家暮らしで、ちゃんと庭もある家とのことで、暮らすうえでの問題はなかった。

 って、それならそれでちゃんと保護者には話を通したのか、と俺が質問すると、彼女はハッとした。どうやら肝心なことを忘れていたようで、しばらく頭を抱えて狼狽していた。結果として犬の引取は了承して貰えたわけだが。

「どうですか? ベンくん、何か不満なことがあるとか、言っていませんか?」

 ここに来ると、最初に来る問いかけがこれだ。まあ大見得切ったとはいえ、犬の飼育に関してはまだ初心者だし、不安になるのは無理もない。

「ベン、なにか不都合はないかって」

『キヨコの腕で眠ってるガキを見ればわかるだろう。一々聞くな』

 ベンはツンと答えた。無愛想だが彼なりに感謝をしているらしい。

 そうそう、ベンがあれから連れてきたのは、彼の子供であるフォンだった。妻の忘れ形見だそうで、息子を守るために形振り構わず食料集めに奔走していたらしい。

 原居さん曰く、獣医さんに見せたらやや衰弱していたそうだが今は持ち直し、こうして元気に暮らしている。

「大丈夫、フォンの寝顔を見ればわかるだろってさ」

「それは、良かったです……」

 一体俺はいつから犬のカウンセラーになったんだ? と思わないこともない。

 しかしホッとする原居さんを見ると、怒る気もなくなる。実際彼女には野良犬親子を引き取ってくれた恩があるわけだし、これくらいは押し付けた責任者として、やらなくちゃならないか。

 そういえば、これは副産物的なことだが、原居さんがこうして通ってくれることで、一つ大きなメリットが出来た。

 それは今、ズカズカとビルの階段を上がってくる冷血男の態度を見れば、一目でわかるはずだ。

「おいコラ万年滞納男! 今日という今日は……っては、はははは原居さんっ!」

 冷蔵庫くんは、原居さんを見るや、打ち込まれた杭みたいに姿勢を正す。さりげなく髪の毛を手で整えようとしているところが薄気味悪い。

「こんにちは、どうかしたんですか?」

「い、いえいえ。何か問題はないかなと見回っていたところです。うちのジジ……お祖父様は余生を楽しむとか言って、いつもあちこち飛び回っているもので、まったく大変ですよ」

 いつもなら横柄極まりない口調でまくし立てるこの男が、紳士気取りで自分を取り繕おうとしている。原居さんの前になるといつもこれだ。

 冷蔵庫のくせして、どうやら人並みに一目惚れするだけの心はあるらしい。だがおかげで家賃催促の話をしばしば退けることが出来るようになった。

 ……問題を先送りにしているだけ、という天使の警告は聞き流すとしよう。

「ところで大家殿、お仕事はいいのですかな? うちはいたって快適ですから心配無用。どうぞ三階へ」

「そ、そうですかー。あ、ちょっと話が」

 と言いながら、冷蔵庫は俺の耳元まで距離を詰めてきて、耳たぶを引っ張りながら耳打ちをした。

「あのな、家賃見逃してやってんだから、少しは空気を読めよ! いくらお前みたいなオッサンでも、今がどういう瞬間か読めるだろ!」

「変質者が私は怪しいものではありません、と言っている瞬間」

「肉団子にして窓から捨てるぞ。自分の青春が枯れたからって、人の青春を邪魔するな、この枯れ木野郎め!」

「へぇ、人生の先輩に向かってそういうこと言うんですなぁ。そういえば、毎回通わせてしまうのも酷だし、原居さんにもう来なくて言おうかなって、考えてたんですが、どう思いますかな?」

「汚いぞ貴様……」

 原居さんが訝しげにこちらの様子を伺ってきたので、俺はすぐに取り繕った。

「いえいえ、なんでもないから、気にしないで。ほら大家さん、次のお仕事が待っていますぞ」

「覚えてろ、疫病神め」

 と俺に悪態をつきつつ、冷蔵庫は原居さんに愛想良く挨拶しつつ、事務所を出ていった。はぁ、ようやくストレスの原因が姿を消してくれた。

「なんだか賑やかな人ですね」

 この優しさ溢れる人物評価、冷蔵庫本人に聞かせたらどうなっていただろう? もっとやかましくなるだけか。

「まあ、それよりも、原居さんから見てベンはどうですかね。何か不都合があれば、いくらでも相談に乗りますんで」

「不都合だなんてそんな。むしろ、羽村さんのところに来る前、ベンくんにどんなこと言われるか冷や冷やなんですよ」

 そう言って苦笑いする原居さんは、やはりどこか恐れがあった。きっとベンという存在が怖いのではなく、言葉通り自分がしっかり出来ているか不安だから。

 動物の声が聞けてしまう俺はついつい忘れてしまうが、普通の人間は動物の気持ちなんてわかりはしない。

 一見飼い主の前で嬉しそうに跳ね回る犬も、実際は『早く帰らせろ』と言っている時だってあるし、悲しんでいるように見えて幸せに寝言をつぶやいている犬だって見たことがある。

 人が動物にとって表情だと思っているそれらは、何一つ当てにならない。でも、言葉が通じなくても、こうして原居さんはちゃんとベンに熱意を伝えている。

 どれだけ本を読んで勉強しても、気持ちが伴わなければペットだってすぐに気づく。その点、彼女はとても立派にやっていると思う。

「一々ここまで通って貰わなくても、ベンは大丈夫。言葉なんか聞かなくても、幸せに暮らせているってわかるから。もっと自信を持って付き合ってもいいと思うけどな」

 冷蔵庫には悪いが、こんなカビ臭い害獣駆除の事務所に、ペットを連れ歩く女の子を通わせるというのは、やはり忍びない。

 犬はそういう不安だって察してしまうのだから、早めに自信を付けたほうがいい。

「ごめんなさい、ご迷惑なのはわかっています。だけど、自信がないのもそうですけど、何より羽村さんが助けた命ですから」

「俺は誰かに責任を放り投げただけ、大したことしてないっすよ」

「でも、羽村さんが居なかったら、ベンくんやフォンくんと暮らせなかったはずです。私も家族も犬を飼うことについては完全に初心者ですし、面倒をおかけしますが、これからも導いて欲しいんです」

「まあ、頼って頂けるのはなんだかんだ言っても嬉しいんですが」

 参ったな、と俺は頭を掻いた。

 さっきも言ったように恩がある以上、で無下に断るのも心苦しい。さりとて一々こんな寂れたビルまで来てもらうのは悪いし、義務感のようになっているのであれば、断ち切ってあげるのも大事だと思った。でも、力なく俯く少女の願いをキッパリ断るのは、やはり本音では迷惑がっているように見えて失礼だし、不本意だ。

 さて、どうするのが彼女にとっていいことなのか……。

 と、俺が頭を悩ませていると、事務所の電話が鳴り響いた。

 面食らってついボーッとしてしまったが、これは仕事依頼の電話だということに気づき、ハッとした。

 バタバタしながら受話器を取る俺を見て面食らう原居さんが見えたが、そんなこと気にしている場合ではない。

「はいお待たせしました! こちら羽村害獣駆除事務所でございます!」

「僕だ! 今すぐ三階に来い!」

 聞こえてきたのは、冷蔵庫の声だった。

「なんだよ! ぬか喜びさせるなよ! わざわざ電話で何の用だこのバカヤロー!」

 原居さんが横で耳を塞ぐほどの大声で、俺は受話器に怒鳴り散らした。すると受話器からも怒鳴り声が返ってきた。

「やかましいわ馬鹿! 一回黙れ! 不本意だが、お前に仕事の依頼だ」

「……は?」

 冷蔵庫の申し出に、一転して俺は怒りを削がれた。

「三階にネズミが出たってくろさんが言うんだ。ジジィに連絡したら、お前に任せてやれとさ。支払いは家賃から引いてやるから、一秒でも早く三階に来い!」

 何故か俺に選択権を与えないまま、冷蔵庫は通話を一方的に切りやがった。

 なんて勝手な奴だ、大家の孫だかなんだか知らないが、家主の特権とばかりに威張り散らしやがってからに!

 頭の中でブツブツと文句を垂れ流しながら、俺は仕事の支度を始めた。

「えっと、久々に仕事が入ったから、今日はこれで」

「は、はい……」

 原居さんはしょんぼりとした顔になった。そういえば、さっきの返事をしていない。

 正直、どうするのが最善なのか、まだ俺にはわかりかねる状態だ。しかし、年下の女の子を悲しげな顔にさせたまま帰すのは、男としてはどうなんだ。

 うーんと唸ってから、俺はさりげない風を装って彼女に告げた。

「基本的には暇だから、俺が用無しになるまでは、どうぞご自由に」

「あっ……はいっ!」

 彼女は、心底ホッとしたような笑顔で大きく頷き、喜んでくれた。

 こんな答えで良かったかどうかはわからない。ただ、俺もなんとなく笑顔になった。

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