1-7『羽村さんのヒミツ』

 野良犬のベンは、一旦俺達の前から姿を消した。

 待たせている仲間……というより子供を連れてくるらしい。事情を話すのはそれからということになった。

 そういえばベンを見かけた時、誰かに声をかけていたけど、自分の子供だったのか。思えばベンは「俺達」って、無意識だろうけど口にしていたっけな。

 さて、俺はこれからその親子が少しでも生き永らえるようにするため、奔走しなくてはいけない。はっきり言ってここで逃げ出すという選択肢もあるだろうけど、俺のことを信用してくれたベンの気持ちを踏み躙りたくはないし、声をかけたからには、俺にも責任はある。

 信頼や責任を安易に放棄するなんて、親子を見殺しにするのと何も変わらない。

「あの、大丈夫、ですか?」

 ふと声をかけられて、俺は緊張感のない様子で振り返った。

 背後には、心配そうな顔を向ける少女と、彼女の掌で喚くハムスターが立っていた。

 正直言って、うっかりその存在を失念していたせいで、俺は一瞬呆けた顔を向けてしまう。

「怪我とかされてませんか? 血とかが出ていたら教えてください。私、絆創膏くらいしかありませんけど、それでも何もないよりかは!」

『おわわわわぁ! なんでこいつドタバタとオイラを揺らすんだぁ! 羽村はむら助けろぉ!』

 彼女がおろおろとするせいで、ぽんすけまでパニックになり始めていたので、俺はひとまず落ち着かせることにした。

「まあまあ落ち着いて、ぶっ倒されて背中ぶつけただけだから。血も出てないし……あ、ハムスター返してもらっても大丈夫っすよ」

 そう言うと、少女は何やら賞状でも渡すかのように、両手で丁寧にぽんすけを俺に差し出してきた。コイツはそんな御大層なヤツではないんだけど……。

『はぁはぁ……死ぬかと思ったぜぇ……』

 げっそりとするぽんすけを見て、俺はつい笑ってしまいそうになる。

 だが、その小さな身体にとっては、人にとっては些細な揺れでも恐怖に感じることだろうし、あまり笑うようなことではない。

「心配するな、お前はちゃんと生きてる」

『そういう問題じゃねぇんだよ羽村ぁ! オイラはなぁ、こう見てて結構でりけぇとなハムスター様なんだぞぉ!』

「はいはい、わかったからここで静かにしてなよ」

 俺は程々に宥めると、胸ポケットに放り込んだ。なんだかんだ言っても、コイツは人肌に触れていると落ち着くみたいで、すぐ静かになった。

 さて、やかましい居候を黙らせたところで、次はこっちの問題だ。

「あの……もしかして、その子の言葉が、わかるんですか?」

 少女は、訝しげに俺の胸ポケットを指差しながら聞いてきた。

 さて、どう答えたものか。

 真実を話したからと言って、おとぎ話みたいに代償として呪いが発動するわけじゃないが、相手の表情が歪むところを見せつけられるのは間違いない。

 まあ俺自身、これは錯覚ではないかと思うことだってよくあるくらいなんだから、訝しげな態度を取られるのは当然ではあるんだけど。

 出来れば全力でごまかしたいところなんだけど、ここまでベンやぽんすけとペラペラ喋っている場面を見せつけておいて、今更否定するのも格好がつかない。

「えっと……ご覧の通り、と答えておこう、かな」

 というわけで、なんとも煮え切らない返事になってしまった。もう少しなんかあっただろ羽村正貴ただき! と自分をフルネームで叱りつけたくなる。

 恐る恐る、俺は少女の顔色を伺った。

 彼女は少し驚いた顔になったかと思うと、深刻な面持ちで俺に歩み寄ってきた。

「じゃあ、あの犬は困っているってことですよね?」

「へ?」

「あっ、突然すいません。私、あの会話をずっと聞いていました。勿論、犬が何を言っているのかは私にはわかりませんでしたけど。でも、あなたがあの犬を助けたいと思っているのは、なんとなくわかったんです。違いましたか?」

 俺は首を横に振った。というか、すんなりこの状況を受け入れて、次の話をしようとしている彼女に対して、驚きを隠せなかった。

「それなら、私に何か出来ることは……お手伝い出来ることはないですか?」

 彼女は、その真剣さを目で訴えながら、そう告げてくる。

 俺は、右手で「少し待ってて」と制止した。そして左手で目元に手を当てながら、彼女の言葉を咀嚼する。

 俺の……能力というべきか、体質というべきか、これをここまで肯定してくれた人は、今まで居なかった。家族にすら鼻で笑われてしまうようなことだ。

 そんな荒唐無稽というか、メルヘンファンタジーのような話を、彼女は素直に信じて、しかも手伝うなどと言い出した。

 今までの経験から、俺の本能は断っておけと囁き続けていた。このことを人間相手に話したところで、嫌な思いをしたことはあっても、楽しい思いをしたことは一度だってなかった。自分で言うのもあれだけど、我が本能の言い分は正しい。

 だけど、心の何処かで、本当に彼女は信じてくれていて、それでこんな申し出をしてくれているのではないかという、期待感があるのも確かだった。

 年季の入った本能の忠告と、常に俺の心に隠れ住んでいる期待感……少し悩んだ後、俺は結論を出した。

「こんな与太話めいたことを信じられるっていうなら、せっかくだし、何か手伝ってもらおうかな」

 俺は自分への皮肉をこめてそう答えた。

「は、はい! 私に出来ることなら、任せてください!」

 しかし彼女は、そんな俺の捻くれた態度とは逆に、嬉しそうに笑った。

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