1-4『羽村さんとお嬢さん』

「うおぉぉぉぉ!」

「きゃあ!」

『ひぇぇっ!』

 三者三様の悲鳴が耳に入ってきて、俺は目を覚ました。

 肩で息をしながら、自分の状態を確認する。

『どうした羽村はむらぁ! 何があったか説明しろぉ! お前のポッケの中だから何も見えねぇぞぉ!』

 良かった、身体は焼けていないし、胸ポケットの中でぽんすけがオロオロしている。

 冷静に考えたら、どうして今の出来事が夢だと気付かなかったのか。俺が探偵じゃないというのは脇に置いて、実際の仕事でも助手は付けていない。雇う余裕はないし、求人などしようものなら、冷酷大家どもにどんな嫌味を言われるか。

 でも、夢に見るってことは、助手に憧れてしまっているってことなのかな……。

「あのー、大丈夫ですか?」

「へ?」

 思わず変な声で返事をしてしまう。声の方を見ると、長い黒髪の少女が心配そうに俺の顔を覗いていた。そういえば俺とぽんすけの奇妙な悲鳴とともに、女性の悲鳴が聞こえていた気がする。

 目を丸くしていた少女は、呆けた顔で応じる俺を見て、突然おどおどとし始めた。

「あ、私は怪しい者じゃないですよ! ずっとうなされていたようなので、お節介かもしれませんが、起こしたほうが良いと思って、声をかけさせて頂いたんですが」

 俺は、相手を疑うような目で見てしまった。うなされているからと言って昼寝中の人間に絡もうとする人を、俺は見たことがない。はたまた、善人を装って俺の懐から何かガメようとしていたんじゃないか?

 フッフッフ、残念だが俺は今日財布を持ってきていないし、あってもスーパーで安い惣菜がいくらか買えるくらいの金しか入っていないぞ。

「そんな心配になるくらいでしたか」

「はい、すごいびっくりしました。火事だーって、すごい声で助けを求めていらしたので」

「うわっ、恥ずかしい……」

 俺は両手で顔を覆った。人が心配するほどの大声を出す馬鹿が居れば、そりゃ誰でもびっくりするし、心配になるだろう。少女の純粋な思いやりを疑った邪な自分を、思いっきり殴りたい。それに何より、うら若き少女に見苦しさ全開の醜態を晒したという事実が、男の端くれとして耐え難い恥だ。

「大変お騒がせしました……!」

「そ、そんな、なんともなくて良かったです!」

 相手は少し戸惑っていたようだけど、本当に安心してくれたらしい。

 今時の若い娘はこういうのを見たら軽蔑の目を向けてくるものだと思っていたが、言葉通り俺が平穏無事だったことに安堵してくれている。

 見れば学生さんだろうか? 濃い水色のジャンパースカート姿が妙に似合っている。服装だけ見ればドラマに出てくるOLさんのようにも見える。

 しかし、まだ学生特有の幼さが抜けていないのは否めない。それ以上に、年上へ対する過度とも言える遠慮が節々から滲み出ている。勝手な想像だけど、自分が子供だということを自覚しているのだろう。

 ……なんて、良い年こいた大人が少女の分析なんて悪趣味極まり無い。というか、恥の上塗りをする前に、さっさと退散したほうが良さそうだ。

「それでは、俺はここで失礼します」

「すいません、お昼寝の邪魔をしちゃいましたか?」

「とんでもない、きっと起きるには丁度良いタイミングだったんですよ。はっはっは! あースッキリした!」

 と、俺は無意味に腕を体操の如く適当に動かしてみる。なんだか墓穴を掘っているようだったが、相手は呆けるばかりだ。

「こちらこそ、何か邪魔をしちゃったらすいませんね」

「いえ、丁度お昼にしようとしていましたから」

 そう言う彼女の手元を見ると、ハンカチで包まれた弁当と、文庫本があった。わざわざ公園に読書に来ていたというわけか。

「なら、尚の事邪魔しちゃいかんね。こんな暑苦しいオッ……男は退散しますよ」

「そんな、ここはみんなの公園ですから」

 申し訳ありません、公共の場を貸し切り気分で利用していたのはこのワタクシです……。

 なんて懺悔が始まると無駄に話が伸びるだけなので、さっさとこの場を離れることにした。

「じゃあ、重ね重ねいろいろとご迷惑をおかけしました」

「とんでもないです。お気をつけて」

 と、彼女は俺を笑顔で見送ってくれた。

 俺の描いていた若者象と全て逆を行く少女、あるいは俺がたまたま気立ての良い子に会えただけかもしれないし、世の中が自分のイメージより誠実なのかもしれない。あるいは、俺が見えなくなったら悪態を付いているやも……。

 いや、下衆の勘繰りはやめておこう。そんなことばっかり考えているから、自分で自分のことをオッサンと呼びそうになってしまうんだ。いや、つい自分で口にしてしまうということは、自覚があるということなのか?

『おい羽村ぁ! 敵はどっか行ったかぁ!』

 それはともかく、俺の安眠を見事に焼却してくれたコイツには、後でちょっとお灸を据えておこうと思う。

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