氷裏

木古おうみ

第1話 密告者 1.

 夜闇のように黒い森の中の獣道を蛇行しながら下っていくと、枯れ木の隙間から、巨大で不透明な氷の柱が見える。

 天から降り注ぐ光をそのまま凍らせたようなそれを、何も知らないひとびとが見たら、樹氷だと思うだろうか。そうだとしても、雪と険しい山に閉ざされたここに新しい人間が来るとこはない。だから、あの氷の柱が何なのか知らぬ者もいない。


 あれはみな、罪人なのだ。

 この土地を守る神と、教団に背いた人間たち。その列に加わり、縄打たれた姿のまま氷になった、私の妹。


 視界が開け、両脇にそびえるのが、木々から巨大な雪の壁に変わる。空は異様なほど青く、見上げるとめまいがした。肺を切り刻むような冷気を吸い込み、白い息を吐きながら歩く。柱は等間隔で続いている。


 その内の一本の傍ら、まるで氷の中の囚人を見張るように直立する男がいた。

 凍死しないのが不思議なほど薄い鉛色の外套が、風に煽られている。異端者を拘束し、尋問し、氷漬けにする刑吏の色だ。外套と同じグレーの瞳を覆う睫毛と、濡れてうねった髪の先から、溶けた雪の雫が垂れていた。

 彼は私を認めると、腕を後ろに組んだまま、名乗るよう命じる。


「信者の、ディヤラでございます」

 彼は身体ごとこちらを向き、抑揚のない声で告げた。

「貴様の妹の処刑は、昨夜行われた。氷が溶けるまで遺体は返せない」

「結構でございます。春までは墓地の土も凍って、埋葬できぬものですから」


 彼は何も言わず、私に数歩歩み寄った。革靴の下で雪が軋んだ。処刑に立ち会わなかったことをなじられるのかと思ったが、彼は口を開くと、

「昨晩は、普段より遥かに冷え込んだ。水が一瞬で凍るほど」

「存じております」

「貴様の妹は、苦しまなかった」

「御手数をおかけいたしました」

 彼は再び沈黙し、後ろに組んでいた手を前で組み直す。


「部隊の総督になった」

「それは、おめでとうございます」

 彼は深くため息をつき、濡れた前髪を搔き乱した。

「頼むよ、ディヤラ。どうしたらいい……」

 額に手をやったまま、懇願するように向けられた灰色の目は、子どもの頃と変わっていない。

「別に、構わないのよ、ハルデン。どうしようもないのはお互い一緒でしょう。妹は考えなしで、運がなかっただけ」

 そう答えると、彼は目を伏せ

「何とか便宜を図ろうと思ったが、無駄だった。すまなかった」

 私たちはうつむいて、互いの靴先に雪が作った染みを見つめた。ハルデンが湿気でひしゃげた煙草とマッチの箱を取り出し、勧める。私は一本抜き取り、礼を言って火をつけた。何も言わず、口から煙だけが零れていく。

 彼の向こうにある、氷の柱が本当に妹なのだろうか。氷は白いヒビが無数に入り、中に滲んだ黒い影しか見えない。


 私は吸い殻を足元に捨て、雪で隠した。踵を返すと、ハルデンがまだ火が燻る煙草を指に挟んだまま声をかけてきた。

「君の妹――バクルは幾つだった?」

 私は振り返って、答える。

「二十二になったばかりだったわ」

「じゃあ、俺たちは二十五になるのか」

 私は頷き、微笑みを作ってみたが上手くいったかはわからなかった。


 雪道を踏み出すと、遠くから数人の声がこだまになって聞こえた。深い雪の渓谷からでも仰ぎ見られる、巨大な火山。あれを、教団の人間たちが、壮麗な輿を担いで登っているのだ。次の月食の日、その輿に生贄の子どもを乗せ、赤い炎の舌をちらつかせる火口へ下ろすために。


 ここを閉しているのは、雪と山のせいだけではない。密告と死の恐怖だけを信じる狂信者たちだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る