政見放送
二十二日月曜日から二十六日金曜日にかけて、昼休みの時間に政見放送が流されることになっている。立候補者たちが校内放送を使って公約や選挙への意気込みを訴えるのだ。
放送は一日につき一人ずつ。私は最後の金曜日で、なぜか届け出順とは逆の順番が割り振られていた。つまり水曜は真奈さんで、木曜は古川さんという順である。
水曜日の放課後、私と古川さんは生徒会室で発表原稿を読む練習に勤しんでいた。生徒会役員全員が集まって私たちの演説の内容を評価、ダメ出ししてそのつど修正を加えていった。
古川さんの発表前日というものあるが、みんな熱が入っている。お昼に発表された真奈さんの公約と、演説の内容が素晴らしかったためだ。
真奈さんが掲げた主な公約は『愛校心の発揚』だった。具体的な政策としては著名OGとの交流会の開催とか、ボランティア活動の推進とかを挙げ、緑葉女学館の一員であることを自覚して社会への貢献を通じて愛校心を養っていくという狙いを静かな口調で語っていた。しかしそれよりも聴衆の胸を打ったのが、「みなさん一人ひとりに校祖・藤瀬みや先生の血が流れています」というフレーズだった。
生徒会役員で一番愛校心の高い河邑先輩はただひたすらに感激し、同時に自分が立候補したときにこんな素晴らしいフレーズを思いつかなかったことへの悔しさを抱いたという。それを妹分である古川さんに晴らしてもらおうとしてか、スパルタじみた特訓が繰り広げられていた。
「ちょ、ちょっと喉乾いたんで飲み物いいスか……」
「ダーメ、きっかり五分ジャストで読み上げるまでおあずけよ」
「んなこと言ったって、意識して強弱つけろとか読む速度を調節しろとか器用なこと無理っスよお」
「このおバカ! そんなことでは会長になれないわよ! さあ、もう一度最初から!」
「うええ……」
私は美和先輩に原稿を手直ししてもらっている側で、古川さんのことをかわいそうな目で見ていた。
「何だか、親が子どもにスパルタ教育しているみたい」
美和先輩な例えはなかなか酷い。
「はい、細かいところだけ直してみたけど。これでどうかな?」
先輩は赤ペンを入れた原稿を見せて、一応は最終的な決定権を私に与えてくれた。でも中身はブラッシュアップされていて、文句のつけようがない。
「ありがとうございます。この内容でいきます」
「じゃあ、一度通読してみようか」
美和先輩は私の肩を叩いた。春休みに特別補習を受けていた頃、よくこうやってスキンシップを取っていたっけ。
*
木曜日のお昼休み。有線放送でJ-POPの曲が一曲流された後、ピンポンパンポンというアナウンス音がした。続いて、放送委員がゆっくりと伝達する。
『こんにちは、放送委員会です。ただ今より、生徒会長選挙立候補者による政見放送を行います。本日放送いたします立候補者は、四年西組、古川恵さんです。それではどうぞ』
『んっ、んー』
咳払いの音が聞こえた後、古川さんの声が電波に乗って校内に流れ出した。私は壁掛け時計を見る。ちょうど十二時四十五分開始。昨日はだいぶしごかれていたけれど、持ち時間の五分間の中で伝えきることができるか。私はお弁当を一旦置いて聞き入った。
『――今津陽子会長の志を引き継ぎ、引き続き「明るく楽しく激しい」をモットーにした政策を行います。具体的な内容としてはまず一つ目、体育祭と文化祭を合併し、二日続きの大学園祭「緑葉フェスティバル」を開催します!』
ほおー、と感心したような声が周りから上がる。
古川さんは今津会長の正統後継者であることをアピールする方針で臨む。学校でのイベントを増やしてみんなに楽しい思いをしてもらうのが公約の趣旨だった。しかしただ増やすだけではない。体育祭文化祭と二ヶ月間連続での行事は準備する生徒にとってかえって負担になっているという声も聞かれたために、その意見をきちんと拾い上げる形で「緑葉フェスティバル」を考案した。
しかしながら古川さんの演説は熱がこもっていたものの、そのせいで早口になってしまい結局、四分二十秒で終わってしまった。こりゃ後で河邑先輩から怒られるなと見を案じていたら、まだ古川さんの声は続いている。
『……えー、尺が余ってしまったのでここで一つ個人的な話をします。ご存知の通り、私の髪型はまるでキノコみたいで、全緑葉生から可愛いだの食べちゃいたいだのと言われて……いたら良いなといつも妄想している毎日ではありますが……私、実はキノコ類が大ッッ嫌いで一切食べられません! マツタケも!』
何それ。教室が爆笑に包まれ、隣の教室からも笑い声が響いてきた。特に「マツタケも!」のシャウトがツボにハマった。
『はい、以上です。ご清聴ありがとうございました。古川恵でした~』
十二時五十分ジャストで、古川さんの演説は終了した。余った尺を漫談で埋めるという好プレー、いや珍プレーと言うべきかわからないが、クラスメートたちのウケはとても上々だった。これは良いアピールになりそうだ。
政見放送が終わるとまたBGMが流れ出して、私は食事を再開した。
「明日、トリだからプレッシャーかかるよねー。特にあんな演説された後じゃあね」
机を並べているカクちゃんがからかうように言ってきた。
「特に何とも。古川さんは古川さん、私は私だし」
「ほんとぉ?」
「本当。ま、面白いこと言えないからそっちの方には期待しないでね」
「元から笑いを期待してないから。緊張しすぎて放送中に鼻血を出さないでね。あ、そっちの方が笑い取れるか」
「もうっ」
四月の最初の授業での失態をほじくり返してきたカクちゃんの足を軽く踏んづけてやった。
こうやってカクちゃんとご飯を食べながらバカ話ができるのもあとわずかである。彼女は理系志望だから、春からはクラスが分かれてしまうのだ。
放課後。私は下校時刻ギリギリまで演説の練習を行った。美和先輩に細かいところを修正されながら繰り返しに繰り返して。百パーセントの出来ではないかもしれないけれど、完成度は高めることができた。
帰りは西門から帰る河邑先輩を除いた七人で一斉下校となった。街灯はあるが道を照らすのに不十分な照度で、私たちは安全のために学校から支給された黄色い反射タスキをかける。選挙で使うタスキも一緒にかけとけ、と会長にからかわれたりしながら、私たちは薄暗い夜道を歩いた。
「風邪ひいて喉がやられる、なんてことがないように早く寝ろよ」
岩彦駅で別れ際、会長は珍しく体を気遣ってくれた。自己管理は大切だ。
電車通学組を見送った次は、寮生活組の美和先輩と古川さんをお見送りである。
「こうやってみんなで帰るのもあと数日だね」
「いやー、寂しいっスねー、ううう」
「絶対そんなこと思ってないでしょ」
泣き真似をする古川さんに美和先輩は冷ややかな反応を示した。
「でも、本当にもうすぐなんですよね」
代替わりまではもう一週間も無い。
「ま、しんみりしないでよ。時々生徒会室に遊びに来てあげるから」
駅舎から漏れ出る明かりが、美和先輩の屈託のない笑顔を照らし出している。
「明日、頑張ってね。あれだけ練習したんだし、千秋なら絶対成功するから」
「はいっ、頑張ります!」
私たちは敢えて、いつものように挨拶して別れた。
その晩はもう演説の練習もやらず、早めに布団に潜った。緊張して眠れないどころか、不思議なことにすーっと眠りにつくことができて、夢すら見る間もなくいつの間にか目覚まし時計が鳴って朝を迎えていた。
こんなお休み三秒的な体験は初めてでびっくりしたけれど、ものすごく目覚めが良くて、気合いが全身にみなぎっている。
やれるぞ、と私は確信した。
*
金曜日、私は初めて放送室に足を踏み入れた。高価そうな機材がたくさん置かれていて、うっかり触らないように注意を払う。
「緊張してる?」
色気を孕んだ声色で聞いてきたのは放送委員長の葛西菜々先輩だった。金曜日には矢島あまね先輩と『菜々とあまねのKYラジオ』を流していたが、先週の放送でみんなに惜しまれながら最終回を迎えた。だからここにいる必要も無いのだが、いつもの習性で未練がましく来てしまったんだと、先輩曰く。
「やっぱり、全生徒に向けて声を届けるなんて初めてですからね」
「大丈夫。相手の顔は見えやしないんだから、気楽に気楽に」
葛西先輩が良い声で励ましてくれた。
校内にJ-POPが流れているが、曲が終わりに近づくにつれてに全身の血液の流量がだんだん上がっていくのを感じた。二回大きく深呼吸する。
「さ、用意して」
「はい」
私は頬をはたいて、原稿用紙をクリアファイルから取り出した。
曲が終わると、矢島先輩がアニメ声でかつ神妙なトーンでマイクに語りかける。
「こんにちは、放送委員会です。ただ今より、生徒会長選挙立候補者による政見放送を行います。本日放送いたします立候補者は、四年北組、菅原千秋さんです。それではどうぞ」
矢島先輩が椅子から立ち上がって、私に目配せした。私は静かに座って、もう一度大きく深呼吸してから、第一声をマイクに届けた。
「みなさんこんにちは、四年北組の菅原千秋です。寒い日が続いていますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。この前、私の生まれ故郷の東京が大雪に見舞われて交通が麻痺するなどとんでもないことになっていましたが、幸いにもこの地方は雪があまり降らないのでそういうこともなく、その点ではここに引っ越してきて良かったなって思います」
後ろで葛西先輩と矢島先輩がクスクス笑う声がする。いきなり本題に入らずにまずは他愛も無い話で聞き手の心をほぐす。美和先輩から受けたアドバイスを忠実に実行した。
「先週の金曜日には『菜々とあまねのKYラジオ』が最終回を迎えました。いつも葛西先輩と矢島先輩の掛け合いを楽しみにしていました。その後という形で恐縮ですが、私の公約をお伝えいたします」
ひと呼吸置く。
「私、菅原千秋は、『人と人との繋がりを大切にする学校づくり』を目指します――」
緑葉女学館に入ってまだ一年も経っていない身だけれど、美和先輩をはじめ多くの人たちと交流することができた。同級生、先輩、後輩関係なく。また、生徒たちはみんな自由気ままなところがあるのに、イベントになれば一致団結する。生徒間の絆が深くなければ出来ない芸当であり、編入生の自分から見てこれこそが緑葉女学館の誇れる「強み」なのだと感動を覚えた。そういった内容をスラスラと口に出せた。練習のときより上手くいっている。恐ろしいぐらいに。
「――ですから、私は先輩と後輩、同級生どうしの交流を一層活発化させたいのです。そのためには体育祭や文化祭では物足りないでしょう。夏休みには納涼大会、冬休みにはクリスマスイベントを開催し、生徒たちの交流の場を設けます。また、普段の学校生活においても交流を図りやすいよう、中庭のベンチの数を増やし、屋上も解放してベンチを設置し、お昼時や放課後にみんなで仲良く語りあえる機会を増やしていきます」
チラッと壁掛け時計を見る。残り二十秒。私は声のトーンを上げて、仕上げにかかった。
「先輩後輩という縦糸、同級生どうしという横糸。二つの糸を織り合わせて出来上がった『思い出』という美しい織物を、一生の宝物にしたい。その願いを実現するために、是非、菅原千秋に清き一票をお願いします! ご清聴、ありがとうございました」
私は立ち上がって、顔の見えない生徒たちに向かって礼をした。
矢島先輩がマイクのスイッチを切った後、拍手した。
「四分五十九秒。ギリギリで終わったね」
「はい、自分でもびっくりしてます」
葛西先輩に至っては「五人の中で一番トップだな」とベタ褒めしてくれた。嬉しいやら恥ずかしいやら。
ともかく、一つの山場を越えた。緊張感から解放された途端、入れ替わるように空腹感を覚えだす。教室に戻ったら多分、みんなに囲まれながらお弁当を食べることになるだろう。
「ありがとうございました!」
私は先輩たちにお礼を言って放送室から出ようとした。
「お疲れ様」
「あ、美和先輩!」
いつの間にいたんだろう。まさかわざわざお出迎えに来るなんて。
「すごく良かった。お世辞じゃなくて本当に」
「ありがとうございます」
「立会演説会でもこの調子でね」
「はいっ」
先輩は私の手を握ってきた。そのついでで百円玉を握らせてくる。
「暖かいものでも飲んでよ」
「ごちそうさまです!」
私は教室よりも先に、美和先輩と一緒に自販機に向かったのだった。
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