文化祭開会

 午前九時。校内放送で野島先輩の声が流れ出した。


「ただ今より、2017年度緑葉女学館文化祭を開会します!」


 言い終わると同時に、校舎屋上に上がった吹奏楽部員がトランペットでファンファーレを奏でて、美しいメロディを響かせた。鳴り終わるとあちこちで一斉に拍手が沸き起こった。


 ついに開場である。


「さあ、お客さんが来るぞー」


 テントの中で本多さんが巨体を揺らして気勢を上げた。我が一本うどんの屋台は6~7人でグループを作って交替で人員を回すが、私は本多さんと一緒に一番目を担当することになっていた。私もみんなも、他の屋台の生徒も準備万端、いつでも来なさいといった感じでお客さんを待ち構えている。


 やがてお客さんが中庭に入ってきた。しかし客層は、誰の目から見ても異常なものだった。


「あれ? あの人たち、麗泉女学院の生徒たちだよね……?」

「すごい、みんなキラキラしてる」

「かわいい……」

「食べちゃいたい……」


 一部おかしな感想が周りから聞こえてきたが、とにかく、やたらと麗泉女学院のセーラー服に身を包んだ少女たちの姿が目立つのだ。みんなパンフレット片手にあたりを見回している。


 しかしよく見ると、どう行動して良いのかわからずにオロオロしているようだった。現に屋台が目の前あるのに、誰も買いに行こうとしないし、客引きの声にも一切反応しない。いくらお嬢様育ちでも屋台で買い物をしたことすらないわけではあるまいに。


 とにかく、中庭にいるお客さんのほぼ全てが麗泉の生徒たちだった。中庭だけが麗泉女学院の敷地だと錯覚してしまいそうなほどだ。


「「ハロー!」」

「わっ!」


 カウンター代わりに設置したテーブルの下からにょきっと生えるように、唐橋姉妹が姿を現した。


「驚かさないでくださいよ……」

「どう? 賑やかしになると思ってうちの生徒たちに声をかけたんだけど」

「蓮が来るよって言っただけで大盛況だよー。やったねー」

「ねー」


 この二人の仕業かい……そりゃ狩野さんの名前を出したら寄ってくるわけだ。


「だけど、遠慮してか誰も屋台で買い物してませんよ」

「わかった。じゃあ私たちが先陣を切ろう」


 戦場に行くわけじゃあるまいし、大げさな。


 双子の一人が『一本うどん 百円』と力強い書体で書かれた張り紙を指した。


「ちなみに本当に百円で買えるの? こんな安い食べ物、生まれて初めて見るんだけど」

「はい、一人前百円です。たった百円で美味しいうどんをお出しします」

「採算取れるのー?」

「売上は全額寄付することになっています」

「へー、殊勝な心がけだねー」

「ねー」


 やたら上から目線だが、もうこの二人だからしょうがないと諦めてたからか腹も立たなかった。


「じゃあ、二つくださーい」


 片割れが二百円渡すと、本多さんが待ってましたとばかりに「あいよー」と返事して、熱湯が茹だる鍋に漬かっていたテボを取り出した。麺が太くて茹でるのに時間がかかるので、開場前から予め茹でていたのである。


 紙どんぶり二つに麺と出汁を入れて、ネギを添えて一丁上がりだ。


「はいどうぞ」


 私が差し出すと、双子は大げさに驚いた様子を見せた。


「わー、太い!」

「大蛇みたい!」


 双子は割り箸を割り、「「いただきまーす!」」麺に箸をつけた。


「あれれ? 切れないよ」

「何だかゴムみたい」


 二人は箸で麺を切ろうとして四苦八苦している。本多さんの怪力で手打ちしたコシのある麺はそう簡単に切れるものではない。


「そのままかぶりついてください」

「「わかったー」」


 双子は麺をつまみ上げて、小さい口でふーふーと息を吹きかけてからパクっとかぶりついた。


「おいしーい!」

「モチモチしてるー!」


 ほくほく顔の双子。何でも正直に口に出す二人が褒めるということは誰に出してもイケる、という太鼓判を押されたも同じと言える。昨日生地をこねまくった本多さんもこの高評価にはご満悦だ。


「一つくださいな」

「あ、わたくしは三人分お願いしますわ」


 双子が先陣を切ったおかげで、後ろのお嬢様たちが殺到しはじめた。そこからは中庭は一気に本物の戦場と化して、文字通り目が回るほどの忙しさに見舞われたのだ。


「はいお待たせしましたー!」

「すみませーん、そこは隣の屋台のスペースなのでもう少しこちらに寄って頂いてよろしいでしょうか?」

「申し訳ありません。茹でるのに少々時間を頂きます!」

「ひ~、供給が需要に追いついてないよ~!」


 悲鳴じみた声の中、私もひいひい言いながら極太麺をテボに投入していく。朝一番目はそんなに忙しくないだろうと甘く見ていた。これは反省会の材料だ。


「代わりまーす!」


 第二グループがテントに入ってきた。もう交替の時間になっていた。


「ごめん、今鍋に入ってるのは茹で始めたばかりだから」

「わかった! じゃあ後は任せて遊んできなよ」


 各々がパパッと仕事の引き継ぎを終えた後、私は頭巾を取ってテントから抜け出した。緊張感から解放され、入れ替わるようにして安堵感がどっと込み上げてくる。


「お疲れー」

「あ、団さんも交替?」

「うん。いまから『ブツ』をあいつのところに持っていくところ」


 ブツというのは紙皿に乗っかったドデカ餃子のことだ。古川さんがどうしても食べたいと言っていたらしく、一人分だけこっそり取り置きしておいたのだそうだ。


 狩野さんの演技まではあと一時間を切っている。グラウンド周辺が混雑する恐れがあるために、対処のために私は実行委員のヘルプに入るよう今津会長から指示を受けていた。


 狩野さん目当てに殺到するであろう麗泉の生徒たちを捌くのには骨が折れそうだ。遊んできなよ、と言われたもののあまりゆっくりできないだろう。


 団さんと一緒にグラウンドに行ったら、狩野さんどころか他の馬術部員たちの姿すら見えなかった。古川さんがたった一人でスノーフレークとじゃれ合っている。


「おー、すがちーに団六花、お疲れさーん。見ろよ、スノーフレークさんと仲良くなったぜ」

「ブヒン!」


 スノーフレークが古川さんの頬に鼻を押し付ける。その仕草に私の口からは可愛い、という言葉が飛び出たが、団さんはちょっと辛辣だった。


「噛まれてた方が面白かったのに」

「残念だったなあ。こんぐらい私にとっちゃ朝飯前なんだよ。つーわけで朝飯をくれ」

「はいはい」


 古川さんが手を差し出して催促すると、団さんはドデカ餃子を手渡した。


「スノーフレークさんちょいと失礼するよ」


 古川さんは断りを入れてから箸をつけ、一口かじった。


「おおう、ショウガの香りがたまんねえな」

「麗泉のお嬢様にもなかなか評判が良いんだよ」


 古川さんは三口でドデカ餃子を平らげてしまった。


「あー美味かった。ごちそーさん」

「どうも。ところでレン君たちまだ戻ってきてないの?」

「ああ。もうそろそろ戻って来ないとちょっと時間的にまずいよな。お前らこそ場所を知ってるんじゃないのか?」

「ううん、何も知らない」


 私や団さんは屋台の仕事に忙殺されて愛宕会長や狩野さんの動向に気が向いていなかったし、唐橋姉妹も何も言っていなかった。


「会長と一緒に行動しているかも。ちょっと聞いてみる」


 今津会長に電話しようとスマートフォンを取り出したところで、グラウンド出入り口からおーい、と声がした。


 声の主は緑葉の制服ではなく、オーバーオールを着た小さな子どもだった。その子は喜色満面で、私たちに向かって猛ダッシュしてきた。


 その子の顔には、私は見覚えがあった。


「おっひさーーー!!」

「げえっ、もう来やがった!」


 古川さんが逃げようとする。だけど子どもの方が足が速く、飛びついて抱きつくや、古川さんの髪の毛をグイグイと引っ張り出した。


「あいででで! こら、やめろ!」

「にひひー、会いたかったぞー」


 子どもは口元だけ笑って目は座っている。体育祭の時に宮崎さんに見せてもらった、あの写真と全く同じだった。


「おねえから聞いてたけど、マジで馬がいるんだ」

「お前、下りろよ! ほら、お前の先輩になるかもしれない人だぞ。挨拶しろ!」

「あ」


 子どもはぴょい、と飛び降りた。


「おはようございます。私、河邑うらんと言いますっ! 撫子おねえの親戚で、おねえのひいばあちゃんのそのまたおばあちゃんの妹の孫の孫の子にあたります!」


 きくさんの祖母の妹の孫の孫の子……どう呼ぶのか知らないがとにかく河邑先輩の親戚、という言葉でくくることにした。


「あなたがうらんちゃんなんだ? 噂は聞いてるよ」


 団さんも古川さんから河邑うらんについて話を聞かされていたらしい。


「噂。ふーん……メグ、私の悪口をあちこちで言ってるなー?」

「言われないようにちゃんと振る舞えっての」


 うらんちゃんは古川さんに向けてふてぶてしくベロを突き出した。


 彼女はサイドテールにした髪に深緑色のリボンを結んでいて、顔立ちは河邑先輩を幼くした感じだった。ただし目元は先輩ほど大きくないし、どこか鋭くて幼顔とアンバランスな印象を受ける。何よりも性格が実年齢よりも幼いっぽいのが玉に瑕、と言ったところか。


 うらんちゃんがさっきと打って変わり、私と団さんに八重歯を覗かせて口調をガラリと変えて、


「お二人は菅原千秋さんと団六花さんですよね」

「え、知ってるの?」

「はいっ、おねえからなかなかのやり手だと聞いています」

「やり手て……」


 河邑先輩が私たちのことを良いように言ってくれているのはありがたいのだけれど。


「おいすがちーに団六花、こいつの笑顔に騙されんなよ。『河邑一族の闇』って言われてるからな」

「そう言ってるのはお前だけだー!」

「ぎゃー! 痛い痛い!」


 うらんちゃんがまた古川さんに飛びついて髪の毛を引っ張る。古川さんは無理やり下ろしたが、トレードマークのキノコ頭はすっかりボロボロになってしまった。


「後でいっぱい遊んでやるから大人しくしろって!」

「約束だぞー」

「ったく……」


 古川さんはブツブツ言いながら手鏡と櫛で頭を整え直した。


「つーかうらん、ここは今の時間帯立ち入り禁止なのわかってんだろう? 看板出てたし警備の生徒もいたし。どうやって入った?」

「撫子おねえの親戚ですって言ったら通してくれた」

「警備の意味ねえな、おい」


 反省会の材料がまた一つ増えてしまったようだ。


「あ!」


 そうだ。今津会長に連絡するのを忘れるところだった。私はもう一度スマートフォンを取り出そうとポケットに手を突っ込むと、スマートフォンがブルブルと震えだした。ディスプレイを見たら「今津会長」の文字が。ナイスタイミングだ。


 私が通話ボタンを押した途端、「すがちー!」と会長の大きい声が受話口から聞こえてきた。


「はい、もしもし」

『おお。今どこだ?』

「団さんと一緒にグラウンドにいます」

『ちょうど良かった! 二人に緊急ミッションを与える。一度しか言わないからよく聞いとけ!』

「な、何ですか緊急ミッションって?」


 会長の声がいつになく切羽詰まった感じだったので、私は身構えた。


『かのっちたちが閉じ込められている』

「…………はい?」


 頭の中がはてなマークで埋め尽くされた。

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