救出作戦

「どっ、どういうことですか!?」


 受話口から漏れていた会長の声を聞いた団さんが、私からスマートフォンを奪い取って会長を問いただした。


『その声、ダンロップか?』

「レン君はどこに閉じ込められているんですか!」

『こら、落ち着け。閉じ込められたっつっても監禁されたわけじゃない。一から説明してやるから』


 狩野さんたちが乗馬服に着替えたいと申し出たため、今津会長はその場所として南校舎裏のテニスコートにある、軟式テニス部のクラブハウスを貸し出していた。


 そこまでは良かったが、誤算は狩野さんを目当てにしているであろう麗泉の生徒がたくさん来校していることだった。彼女たちはどこからか狩野さんの場所を聞きつけて、クラブハウス前に「出待ち」で大勢集結しているという。


『テニスコートを立ち入り禁止にしているのにみんな無視して入ってきやがって。このまま外に出たらみんなに揉みくちゃにされて、最悪怪我でもされたら責任問題になりかねん。しかも質の悪いことにウチの生徒も便乗して一緒に出待ちしてやがるんだ。迷惑だから退けって委員どころか、私が言っても全然聞きやがらんのだ』

「愛宕会長はどうしたんですか?」

『かのっちと一緒にクラブハウスに行って一緒に閉じ込められたらしい』

「ええっ、どうしてです?」

『それは知らん。しかしあたごっちもあたごっちで人気があるし、のこのこ注意しに出ていったらやっぱり揉みくちゃにされるのがオチだろうな』

「双子は? あの二人も生徒会役員だし、注意してもらったら……」

『校舎内の出し物巡りをしてはしゃぎまわってる最中で、てんでアテにならん』

「えー……」


 団さんが顔をしかめる。こんな状況を作り出した責任の一端はあの二人にあるはずなのに。あの双子め。


『というわけで、君らにはかのっちとあたごっちの救出に向かってもらう』

「どうやってですか? 会長の言うことも聞かないんじゃ私たちじゃなおさら……」

『実は今、君らが一番良い位置にいるのだ』


 私は団さんからスマートフォンを返してもらった。


「どういうことです?」

『裏山側にも金網が張ってあるだろう。そこの一部が門扉になっている箇所があるのがわかるか?』


 私たちは言われた通り、裏山側にある金網を見た。確かに一部だけ形が違って門扉状になっている所がある。その向こう側は裏山の一部である雑木林が広がっていた。


「はい。門扉があります」

『そこが裏口だ。その先の裏道は、実はクラブハウスの裏と繋がっているんだ。長年使ってない、知っている生徒がほとんどいない秘密の通路だ。そこを使って誰にも見つからないよう、かのっちたちをグラウンドに連れてこい』


 二人に差し迫るピンチの前に、「はい」以外の選択肢はない。


「裏道から救出するんですね。わかりました!」


 私はもう一度指示内容を確認した。


『頼んだぞ!』


 会長からの電話が切れた後、団さんも「行こう!」という一言だけを発した。時間も押しているし、迷っている暇などない。


「古川さん、うらんちゃんとお留守番、しっかり頼んだよ!」

「お、おう。早く帰って来いよ」

「頑張ってくださいねー! にひひ」


 私と団さんは、意味深なニヤケ顔を浮かべるうらんちゃんと顔を引きつらせている古川さんに向けて敬礼した。これにはご愁傷様という意味も含まれている。


 門扉にはカンヌキがかけられていたが南京錠の類はなく、簡単に外すことができた。ペンキが剥げて錆びついているあたり、やはり何年も使っていないものと思われた。


 門扉を開けてグラウンドから出た途端に案の定、うらんちゃんの歓声と古川さんの悲鳴が聞こえてきたが、無視して雑木林へと突っ込んでいった。


 *


 クラブハウス、と言っても実態は単なる平屋建てのプレハブ小屋でそんなに大きくはない。その裏側に出た私たちは、小屋の向こう側からたくさんの黄色い声と、わずかながらだが怒声を聞き取った。相当な人数が押しかけてるようだ。小屋の横に金網が張られているおかげで、テニスコート側からは裏に回り込めなくなっているのは幸いだった。


 小屋の裏側には擦りガラスの窓がある。女子しかいない空間で、裏側は人が通ることは無いにしろ、覗き防止の処置はしっかりとされているらしい。私はその窓をコンコンと叩いた。


「もしもし、生徒会の菅原です」

「菅原さん?」


 愛宕会長の声がして、窓が開いた。中には乗馬服姿の狩野さんや部員たちもいる。


「助けに来ましたよ」

「ああ、良かった……あまりにも人が多すぎてお外に出られなくて困っていたところだったのよ」

「失礼します」


 窓は人間が出入りするには充分な大きさで、私と団さんはスニーカーを脱いで中に上がった。現状把握のため、表側にある三回りほど小さい窓をちょこっとだけ開けて外を覗く。


「全員、今すぐここから出ていきなさい! 繰り返します! 今すぐここから出ていきなさい! ここは立ち入り禁止エリアです!」


 警備担当の実行委員数名がハンドマイクで怒鳴るも、深緑色のジャンパースカートと濃紺のセーラー服の混成部隊が非難を浴びせて応酬する。数の上では実行委員たちを遥かに上回っていたから、肉声でも充分にハンドマイクの声をかき消すことができた。


 現代社会の資料集で見た某国の反政府デモの写真を彷彿させる光景に、私は唖然とするしかなかった。このまま放っておくとどうなるか、はっきりと目に見える。


「迷惑をかけて、本当に申し訳ない」


 狩野さんはバツが悪そうな顔をしていたが、私も同じことだった。


「こちらこそご迷惑をおかけして申し訳ありません。我が校の生徒も一緒になって、恥ずかしい限りです……」

「菅原さんが謝ることじゃないよ。しかし、遠巻きに見られたり騒がれたりする分には慣れてるんだけど、こんなに大勢に押しかけられるなんて初めての経験だ」

「普段は近寄りもしないのに何で今日は違うのかしら……」


 多分それは、緑葉女学館という場の雰囲気が麗泉の生徒に化学反応をもたらしたのだろうと私は考察した。面白そうなことは何でもやる、騒ぐことが大好きな緑葉生の気質が麗泉の生徒を刺激して、理性のタガを緩めてしまったのではないだろうか。つまりは、やはりウチの生徒のせいでこうなってしまったのだろう。


 いずれにせよ、狂気的な振る舞いは反省会で一番に挙げるべき材料となった。


「急いでここから脱出しましょう。裏道を使えば誰にも会わずグラウンドまで行けます」

「わかったわ」


 私たちの後に続いて、愛宕会長、狩野さん、馬術部員たちが忍び足でクラブハウスから出ていった。そのまま私たちはみんなを引き連れてもと来たところを辿ったのだが、裏道と言ってもはっきりとした道筋があるわけではなく、ボーボーに生えている草をかきわけて進まなければならない。物凄く例えが悪いけれど、戦に負けて逃げる落ち武者のようだった。


「どうやらマムシが出るらしいな」


 狩野さんがつぶやくと、部員たちが「ううっ」とうめき声を上げた。錆びに錆びて朽ちかけている「マムシ注意」と書かれた看板が、木にくくりつけられるように掲示されていた。


「大丈夫ですよ。近づかなければ」


 私がそう言ったのは強がりとか、元気づけるためとかという理由ではない。ごくまれに裏山から敷地内にマムシやその他ヘビが入り込んでくることがあるため、学校でヘビの対処法を教えて貰っていたからだった。ヘビはこちらから刺激しない限りは襲ってこない生き物なのである。


 私と団さんはヘビがいないか慎重に確認しながら露払いをする。うっかりヘビを踏んづけてガブリと噛まれるケースが多いと聞いているから、二人一組で足元を見つつ、ゆっくりと進む。行きしなも同じようにして進んだけれど、特に異状はなかった。


 しかし行きはよいよい帰りは怖い、とよく言ったものである。


「「うーわ……」」


 私と団さんはそれを見た途端、同時に声を発して足を止めた。


 とてつもなく大きく黒いヘビが道のど真ん中でトグロを巻いて鎮座しており、チロチロと真っ赤な舌を突き出していた。マムシではないが、その大きくグロテスクな姿形は否応無しに私たちに恐怖感を与えた。


「――――!!」


 愛宕会長が金切り声を上げると、連鎖反応的に馬術部員たちも悲鳴を上げた。すると後ろの方から呼応するように、「あっちよ!」という大声が聞こえてきたのである。


 とうとう、警備が破られて小屋に侵入され、そのまま裏に出てきたらしかった。このままだと後ろから緑葉・麗泉の熱狂者連合軍が押し寄せてくる。「前門の虎、後門の狼」を地で行く展開だ。もっとも前はヘビで、後ろは心が狼と化した生徒たちだが。


「どうしよう……」

「菅原さん、ここは私が!」


 団さんは落ちていた、フックのついた金属製の棒を拾い上げた。これもだいぶ錆びてしまっているが、たぶんロープを張るために使われていた杭の成れの果てだと思われた。ともかくそれを持って、団さんはヘビの方にに歩みだした。


「危ないよ!」


 私より先に、狩野さんが止めようとした。だけど団さんは振り返りもせずにヘビに向かう。そして棒を持つ手を大きく振りかぶり、


「えいっ!」


 ヘビの側にあった大きな石にガコーン! と、大きな音を立てるように打ち付けた。音に驚いたヘビは巨体に似合わないスピードで、たちまち草むらに姿を消した。


「よし、逃げた!」

「団さん、凄い!」

「昔、外掃除してたらさっきぐらいの大きさヘビが出たことがあって。先生が今と同じやり方で追い返してたの」


 私も対処法を教えて貰っていたけれど、実際に目で見たことがある団さんの方に一日の長があったようだ。


「ありがとう、本当に助かったよ」


 狩野さんが礼を言う。団さんの頬が朱に染まったが、もちろん照れているからというだけでは無いだろう。狩野さんに良い印象を与えられたし。もっとも本人はそういう打算で動いたわけではないだろうけれど。


「急ぎましょう。早くしないと追っ手が」


 私たちはさっきまでと打って変わり、早足で歩き出した。すくみ上がっていた愛宕会長と馬術部員は狩野さんに後ろから追い立てられて、顔面蒼白なままで私たちの後をついてきた。


 行きの時よりも道のりがかなり長く感じられたけれど、林を抜け出してついにグラウンドの裏口に戻ることができた。


「着きました。もう大丈夫です」


 愛宕会長が安堵のため息を漏らした。


「ああ、生きた心地がしなかったわ……」

「もうあれぐらい大きなヘビは二度とお目にかかることはないだろうね」

「当たり前よ。二度と見たくないわ」

「それはそうだな」


 狩野さんが苦笑いする。とにかくとりあえずは一安心といったところで、また後ろの方から今度は複数の絶叫が上がった。


「団さん、今の何?」

「多分、追っ手がさっきのヘビに出会ったんじゃない?」


 だとしたら可哀想だけれど、こちらにすれば好都合だ。そのまま諦めて引き返して頂きたい。


 グラウンドの方からも悲鳴が上がっている。古川さんがうらんちゃんにシメられているのかと思っていたけれど、全然違っていた。


「あれは一体何をしていらっしゃるのかしら……」


 愛宕会長が呆れ顔で聞いてきたが、私は返答に窮してしまった。


 古川さんはうらんちゃんの両足を掴み、その間に自分の足を突っ込んでグイグイと押し付けている。俗に言う「電気あんま」の格好になっていた。


「オラッ、オラッ! いっつも調子こきやがって!」

「ああああっ、いいいいッ!! やっ、やめろ! この腐れキノコ!」

「いい? 今いいつったな? よっしゃ、もっとやったるわ」

「あっ、あああマジでやめて! マジでやばいから!! ああーっ!!」


 スノーフレークは見てられない、といった感じでソッポを向いてしまっている。古川さんが靴を脱いでいるのはうらんちゃんに対するわずかな温情の印とも言えるがそれでもお下品な光景に変わりなく、麗泉の方々たちにとっても目によろしくない。


 私は古川さんの後ろからそーっと近寄って、靴を拾い上げて、その甲の部分で古川さんのキノコ頭を軽くどついてやった。


「うおっ! あ、すがちー!」

「うおっ、じゃないよ。愛宕会長たちが見てるのに何子供相手に恥ずかしいことしてんのよ……」

「あ、ああ。無事救出に成功したんだな。私はこいつに大人の掟を教えてやってたところだ」


 古川さんだって法律上はまだ大人じゃないだろうに、という無粋なツッコミを堪えて私はうらんちゃんを見た。白目を剥いてヨダレを垂れ流して、それでも恍惚としているという親が見たら泣くような情けない顔をして倒れていた。


「つーか早く準備しないと間に合わねーぞ。もう十時回るところだぞ」

「え!?」


 私はスマートフォンの時計を見た。本当に午前十時を回ろうとしている。立入禁止の制限が解かれて、観覧者の整理が始まる時間帯だ。


「すみません、お休みする暇がなくて申し訳ありませんが、準備をお願いします!」


 私は狩野さんたちに頭を下げまくった。だけど狩野さんは、団さんだけでなく誰が見ても頬を赤らめるようなとびきりの笑顔でスノーフレークの鼻を撫でながら、


「了解!」


 と答えると、スノーフレークもまた「ブルルッ」と鼻を鳴らしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る