開場前
狩野さんはスノーフレークと一緒にグラウンドをぐるぐると周回する。前日に石拾いをしたから演技の支障となる物は落ちていないはずだが、狩野さんと馬術部員は入念に地面をチェックしていった。
「生で見ると全然違うな」
と、下敷領先輩がスマートフォンを取り出して、スノーフレークに向けて構える。すると古川さんがレンズを遮るように手をかざした。
「おーっと、フラッシュ切ってます?」
「ちゃんと切ってるよ、言われた通りに」
古川さんは先日、馬という生き物について私たちにレクチャーしてくれた。本来は臆病な動物で、大きな音を聞いたり強い光を見たりすると驚いてしまう。だから写真を撮る時は絶対にフラッシュを使わず、大声で騒がないようにとかなり真剣な口調で口酸っぱく言っていたのをはっきりと覚えている。
そういうわけで私たちはちゃんとフラッシュを切ったのを確認してからスノーフレークの写真を撮ったのだが、スノーフレークは私たちを見るなりピタッと歩みを止めた。まるで「さあ、撮ってくれ」と言っているみたいで、私は遠慮なく撮影ボタンを押しまくった。
均整の取れた顔立ちの女子が馬を引くというのはなかなか良い絵面で、宮崎さんの写真にも引けを取らないかも、と私は自画自賛した。
調べに調べて問題ないことを確認した狩野さんは、今津会長の指示でスノーフレークを場内の端にある鉄棒のところに連れていき、そこに手綱を結わえた。それからその場で私たちは本日の段取りについて説明した。馬術部の出演は午前十時半と午後二時。だいたい四十分に渡って馬についての解説や、馬術の披露を行う予定となっている。
「馬を刺激しないように、出演時間直前までグラウンド近辺の立ち入りを禁止しておきます。その他、何か不足があれば遠慮なく私たちに申し出てください」
美和先輩の話の最中、スノーフレークはしきりに狩野さんに頭を擦り付けていたが、狩野さんは鼻筋を撫でて相手してやりながらしっかり聞いていた。
「お気遣いありがとう。良い演技ができるよう頑張るよ」
「「がんばりまーす」」
なぜか双子までもが気勢を上げた。
「さて陽子さん、演技の場を貸してくださったお礼も兼ねて校長先生のところにもご挨拶したいのだけれど、伺ってもよろしいかしらね?」
愛宕会長が言う。
「良いけど、馬術部の子たちも連れて行くのか? スノーフレークはどうする?」
「御大、御大」
古川さんが自分を指さして露骨にアピールしてきた。
「お前、噛まれたろうが」
「おかげで扱い方はよーくわかりました。私だったらスノーフレークさんを退屈させませんぜ」
「こんなこと言ってるけどどうする、かのっち」
「スノーフレークは賢い子だし、普通に接していれば危害を加えることはないよ。古川さんにお任せしていいかな」
「あざーっす!」
というわけで麗泉女学院生徒会と馬術部御一行が今津会長に連れられて館長先生に挨拶に行っている間、スノーフレークの面倒を古川さんが見ることになり、残りのメンバーは各々のクラスや部活の出し物の準備に取り掛かった。
私と団さんは中庭に向かった。ここはグルメコーナーとして食べ物の屋台を出す場所として使われる。つまりは、四年北組の「一本うどん」と料理同好会の「ドデカ餃子」の出店場所だ。
屋台のテントは組み上がって材料も揃っている。後はお客さんの動線をどうするかを実際に列を作ってみて検討したり、試食品を作って味付けのチェックという名目のつまみ食いをしたり。ただそれだけだが屋台の食事は開催時間中は外部のお客さんにしか提供できないという決まりがあるため、みんな今しかないとばかりに試食しまくっていた。
「はい団さん、二回目の朝ご飯」
私は極太麺が入った紙製どんぶりを、割り箸と一緒に団さんに差し出した。
「ありがとう」
団さんは受け取ってくれたものの、大きくため息をついて、じっと立ちっぱなしで固まったまま箸をつけようとしない。私は箸を止めて聞いてみた。
「どうしたの?」
「……実は先週、麗泉さんが来た時にね、帰り際に唐橋さん姉妹に言われたんだ」
「何て?」
「『あなた、蓮ちゃんに恋してるでしょ』って」
「え」
私の手から危うくどんぶりが滑り落ちそうになった。先週の出来事を振り返ってみると、確かに団さんは周りにそう思われても仕方ないリアクションを取っていたが。
「ズバリ指摘されて困ってるってわけ?」
「ううん、そうじゃなくてね……」
団さんは双子が言ったことを私に伝えた。
狩野さんは見ての通り、男物の服を着てしまえば美少年と変わらないルックスを誇る。だから入学した直後に取り巻きが出来て、ほぼ週に一度告白されるような状態だったという。だけどその気が無いのか、または角が立つのを恐れてかわからないが、全て断ってきたのだそうだ。
驚くべきは――あくまで噂だけどと双子は前置きしたのだが――愛宕会長までもがかつて狩野さんに想いを伝えて断られたことがあったらしかったのだ。
愛宕会長の父は麗泉女学院の理事長で家柄も頭一つ飛び抜けており、学芸に秀でた才媛として名高い。そのようなハイスペックの女性のアプローチすら跳ね除けたのだから、あなたなら尚更。悪いこと言わないから止めた方が良い。そう双子に面と向かって言われた、と団さんは述べた。
「だから、日を追うごとに自信が少しずつ持てなくなってきて……」
「あの双子の言うことは真に受けちゃダメだって」
私はきっぱりと言った。
「狩野さんと今、一番近い位置にいるのが団さんなんだよ? 一緒にデートみたいなこともして、毎日メッセージでやり取りもして。先週だって良い雰囲気だったじゃない」
「わかってる。わかってるの。でもね、今まで恋人作ろうとして何度も失敗してきたから今回もそうなるんじゃないかって。確かにレン君とは近い位置だけれど、だからもしも今度失敗したら多分立ち直れないかもしれない……菅原さんだって恋愛で痛い目に遭ったからわかるでしょ?」
「ん、何のこと?」
「何のことって……ほら、生徒会合宿の時話してくれたでしょ? 恵央大学の学生の元カレのことだよ」
「あっ、ああ。あれね……」
半年前の合宿の晩に罰ゲームで吹いたほら話を、団さんはまだ信じ切っていた。実はウソだと伝えそびれたまま半年も放置していた自分が悪いのだが。もうこの際だから伝えてしまおうか。
「ごめん。実はあれ、出まかせだったんだ……」
「え?」
「まあその、実は片思いだけで終わってしまったんだよね。それをちょいと盛っちゃったというか、何と言うか……」
「ウソ、ついてたんだ」
「うん。今更だけど、申し訳ない」
私はただただ、頭を垂れた。頭の上で先程とは性質の違ったため息がする。
「実は薄々感づいてはいたよ。だって菅原さん、恋バナにあまり乗ってこないし、不自然だなーって思ってた」
「はい。私はウソつき呼ばわりされても仕方ない人間です……」
「あ、怒ってるんじゃないって。菅原さんも見栄張っちゃうんだなって。誠実な感じだったからさ」
「そ、そうかな」
団さんは割り箸を口を使って割ると、麺をぐるぐるとかき混ぜながら、
「私も実は今までに周りへの見栄のためだけに恋人探ししていたんじゃないかなって、ふと思った。そんな態度じゃ恋人はできっこないはずだよね……」
そもそも相手に求めるスペックが高すぎた、というのが主原因じゃないかと私は思うのだが、今この場でそんなツッコミを入れるのは野暮だ。
「でも狩野さんのことは本気で好きなんでしょ?」
「うん」
団さんは即答した。
「例え同性だとわかっても、好きという気持ちは変わらなかったよね?」
「うん」
「つまりは本気、ということだよね?」
「うん」
「その本気ぶりを相手にしっかりと伝えられたら、絶対に心は動くって」
「……」
団さんは返事しなかった。ちょっと無責任な発言だったかな、という感じがしたから私は取り繕った。
「ま、まあ、恋人作ったことが無い人間が言っても説得力がないんだけど……」
団さんは箸の動きを止めた。そして目はどんぶり一点を見つめたままで、こんなことを言い放ったのである。
「よし決めた、レン君と心中しちゃおう」
「心中!?」
私は割り箸を左手とどんぶりの間に挟み込んで、空いた右手で団さんの肩を掴んだ。
「だ、ダメだって! 気を確かに持って!」
「菅原さん、それはこっちのセリフ」
団さんは眉をハの字にしてクスッと笑った。
「言い方が悪かった。レン君にフラレたらもう二度と恋人作りをしない覚悟で臨むってこと。もうレン君以上の人と出会うことなんてこの先絶対に無いだろうから」
「あ、そういうこと……」
早合点した自分が恥ずかしい。それでも団さんにとっては相当な覚悟に変わりはなかった。私は肩を掴んだままで、
「前に古川さんも言ってたけど、骨は拾ってあげるから。思い切っていこう!」
「うん!」
団さんは力強く返事した。
「じゃあ、まずは腹ごしらえしよう」
「いただきまーす!」
団さんは極太の麺に元気よくかぶりついた。
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