スノーフレーク
十一月十一日、土曜日。土曜日の「土」の字もバラせば「十一」となることから何もかもが「十一」尽くしのこの日の朝を迎えた。
六年生を除く生徒全員が体育館に集まり教師が諸注意を与えた後、文化祭実行委員長の野島純子先輩がステージに上がって挨拶を行った。先輩は実行委員だけが着られる深緑色の法被を着用している。
「みんな! 今日はお客さまに楽しんで頂けるよう常に笑顔で頑張りましょう! 六年生の先輩方もお客さまとしてやって来ます。受験勉強でお疲れの体と魂を、心をこめて癒してあげましょう!」
「おー!」
気勢を上げたところで、今津会長のお言葉が続く。体育祭の時はサングラスをかけてきたからもっと奇をてらった格好で来るかと思ったら、意外にも普段の制服姿である。ただしスピーチはいつも通り短めだった。
「私からは何も多く語ることはありません。ただ一つ、このスローガンのように今日一日お客さんを弾けさせて、自分も弾けてください、以上!」
ステージの後ろには文化祭スローガンが掲げらけている。
『紅葉と黄葉香る白沢の地に弾けたる緑葉少女』
短歌調のスローガンは文化祭実行委員が数多くの応募作から厳選したものだが、作者は何と古川さんだった。以前『茶川陽菜古川恵団六花東京から来た菅原千秋』という変な短歌を即興で作ったことがあったが、まさかちゃんとした作品を作ってしかも選ばれるとは思わなくて、生徒会のみんなは委員が自分たちに忖度したんじゃないかと疑ってかかるぐらいだった。挙句の果てに古川さんはみんなに、委員に金積んだだろとか無茶苦茶言われて(もちろん冗談で)拗ねていたけれど。
入場開始は午前九時からである。その前に生徒たちは持ち場に戻って最終準備にとりかかり、私たち生徒会は体育館に残り文化祭実行委員と最終打ち合わせを行った。
「馬なんか連れてきて、本当に大丈夫?」
野島先輩が会長に問うと、会長は眉間にしわを作った。
「何度も同じこと言わすな。何かあったら私が全部責任を取るから。野島は言う通りに動いてくれりゃいいんだよ」
「わ、わかったわよ」
野島先輩は渋々引き下がった。面白いことは何でもやろうとする緑葉生でも、馬は扱ったことがないから躊躇するのも無理はない。
文化祭の一連の流れについて最終確認を行ったが、私たちサブは基本的に自分のクラス、ないし部活の出し物に回ることになった。麗泉の方々が見えたら役員と一緒にお出迎えすることになっているが、それ以外はほぼ自由行動で良いとのことだった。私だって楽しみたいし、これはありがたかった。
唐突にメタリックな音楽が、今津会長の方から流れてきた。
「お、もしかして」
今津会長がスマートフォンを取り出して通話を始めた。
「もしもし? おお、あたごっち!」
愛宕会長からのようだが、あだ名呼びが定着してしまったようだ。今津会長ははい、はい、はーいとにこやかに相槌を打って通話を切った。
「麗泉さん、もう来たって」
「え、もうですか?」
入場時間に合わせて来るものかと思っていたが、もう来るとは。この後実は我が四年北組の出し物「一本うどん」の試食を行う予定だったのだが、予定は予定通りに行かないものだ。
「ではおのおの方、抜かりなく」
会長は去り際、野島先輩に向かって某大河ドラマの登場人物のモノマネをしたのだった。
*
土手の道路には黒塗り高級車二台と、バス状の大型車が停車していた。バス状と表現したのは、通常のバスと違い窓が上側についていてしかも小さかったからである。これが馬を運ぶ車だということは一目でわかった。
「皆様、ごきげんよう」
上品な挨拶とともに、愛宕会長たちが車から降りてきた。
「おはようございます!」
私たちは横一列に並んで頭を下げたのだが、傍から見たらどこぞのお偉いさんのお出迎えにしか見えないだろう。
「今日は良い天気になったわね」
「あたごっちの普段の行いが良いからだよ、ははは」
お互いタメ口を聞いているが、愛宕会長は今津会長のことを気に入ったのか、アドレスを交換してから毎晩のように電話してくるらしかった。それで今ではすっかり敬語を使わなくなったとのこと。
「早く来てしまい申し訳ありません。馬に落ち着かせる余裕を頂きたくて」
狩野さんは相変わらず敬語だったが、会長はタメ語で応じた。
「もう他人行儀は無しで『私、あんた』でいこうぜ。かのっち」
「か、かのっち……?」
あだ名呼びの対象が狩野さんにまで拡がった。狩野さんはどう対処していいのかわからないらしく曖昧に微笑むだけだった。
「ねーねー、私たちは何て呼んでくれるの?」
双子の唐橋姉妹が身を乗り出す。
「二人はカラハシ一号とカラハシ二号な」
今津会長はどっちが佐奈さんか佑奈さんか聞かずに、あからさまに適当に指さして一号二号を決めた。当然、双子にとっては不満でぶーたれた顔つきになる。
「えー、何よそれー?」
「いーもん、今津さんのこと赤メガネザルって呼んでやるもんねー」
「ねー」
今津会長は軽く笑って受け流すと、狩野さんに向かい話を変えた。
「こっちこそこんなところに停めさせて申し訳ないな。交通量が少ないとはいえ、早めに降ろした方が良いだろう」
「うん、わかった」
狩野さんは結局、敬語を崩すことにしたらしい。
「みんな、準備して!」
狩野さんの呼びかけに応じて、大型車から女子生徒が四人降りてきた。一斉に「ごきげんよう」と挨拶するや、さっと車の後部に回る。後部は下開きの扉になっていて、降ろされた扉が道路に架けられ、スロープのようになった。
そして中から、生徒に引かれてソレはカポッ、カポッという独特な足音とともにのっそりと姿を現した。
「おおっ」
恐らく、古川さんを除いて間近でその巨体を見たのはいないだろう。私も生で見るのはこれが初めてだった。
車から降りてきた一頭の馬。その漆黒の毛色は、秋晴れの陽の光を受けて輝いていた。
「ブルルッ!」
馬が急に唸ったから、私はちょっとびっくりして仰け反った。狩野さんは馬をなだめるように鼻筋を優しく撫でる。
「この子が僕のパートナーで、名前はスノーフレーク。雪の結晶という意味だけど、額の斑点の形が何となく雪の結晶みたいでしょ?」
「わ、本当だ」
「狩野さん! ちょっと触らしてもらっていいっスか!?」
古川さんがやや興奮気味に願い出ると、狩野さんは「どうぞ」と快く応じた。早速古川さんは慣れた手付きで鼻筋を撫でる。
「わー、懐かしい感触だわ」
「この子は競走馬だっんだけど、残念ながら大成しなくてね。だけど馬主さんの妻が麗泉のOGだった縁で学校に寄贈されたんだ」
「おー、良かったなあ、お前」
「ブヒンッ!」
その時だった。スノーフレークは口をあんぐり開けたかと思うと、古川さんのキノコ頭に獅子舞のごとくガブリとかぶりついたのだ。
「あいだだだッ!」
「スノー、No!」
狩野さんが慌てて引き離したが、古川さんは頭を抑えてうずくまった。
「あいててて……な、なかなか元気が良い馬っスねえ……」
「ごめん。言い忘れてたけど、スノーフレークはちょっとプライドが高い子でね。『お前』呼ばわりなんかしたら機嫌を損ねてしまうよ。ちゃんと名前で呼んであげないと」
スノーフレークはその通りだぞ、と言わんばかりに古川さんを見下ろした。
「わ、わかった。わかりましたよスノーフレークさん……」
「ブルルッ」
スノーフレークは頭を大きく上下に揺らした。人間の言葉がわかっているんじゃないかと思うぐらいのリアクションだった。
「行きましょう」
狩野さんが手綱を取った。
女子高生が馬と一緒にゾロゾロと歩く様は特殊な光景だが、実際、私たちが道路を横断した後に通りがかった車の運転手が、わざわざ車を停めてまでこちらを見てきたぐらいだった。
西門の前まで来ると、河邑先輩の曾祖母であるきくさんが散歩しているところに出くわした。きくさんはスノーフレークを見るなり「ありゃりゃ!」と驚きの声を発した。
「撫子や。こんなえらいもんを連れてきて一体何をするつもりじゃ?」
「いや、私が連れてきたんじゃないんだけど。言わなかったっけ? 今日の文化祭では麗泉女学院の馬術部の方がゲストで来られるって」
きくさんは「はあ~」とか「ほお~」とかしきりに嘆息してスノーフレークをまじまじと見た。
「昔はここら辺も馬がよう通っておったがの。まさかまた目の前で見るとは思わなんだわ」
「本日の目玉の出し物よ。時間があったら家族を連れて見に来てあげてね」
「うむ。あ、そうじゃ。今日はうらんちゃんが初めて緑葉に来るのは知っとるな? ちゃんと面倒見てあげるんじゃぞ。恵ちゃんも一緒にな」
「はーい」
「う、うぇい」
古川さんが変な声を出した。うらんちゃんというのは河邑先輩の親戚にあたる小学生である。体育祭の昼休みに古川さんにチョークスリーパーをかましていた子で、その写真でしか姿を見たことはないのだが、古川さんから話を聞く限りでは結構ヤンチャで手を焼いてるらしい。古川さんがそう言うぐらいだから余程なのだろう。
グラウンドに入ったら野島先輩がいて、麗泉の方々に挨拶する以前に堂々と入場するスノーフレークの姿を見て「ひょえっ」と素っ頓狂な声を上げた。
「で、でかい……」
「ブヒヒン!」
「ひっ!」
「そんなに怖がってやるなよ、失礼な奴だな」
今津会長が笑うと、スノーフレークも唇をめくって歯をむき出しにした。
野島先輩は恐る恐る、遅ればせながらの挨拶をする。
「よ、ようこそいらっしゃいました。わ、わ、私は文化祭実行委員長の野島と……」
「ヒヒーンッ!」
「きゃあ!」
「こら!」
狩野さんは手綱をきつく引っ張って叱った。スノーフレークは舌をベロベロ出して、憎たらしいぐらいのとぼけた態度を取る。
こいつはなかなかのお客様が来てしまったようだ。
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