少女たちの逍遥

 狭い学校内で噂はすぐ広まるもので、生徒会室を出たら生徒たちが芸能人の出待ちみたいな真似をしていた。


「はいどいて、どいてー!」


 古川さんが先陣を切って生徒たちを押し留めると、私たちサブの残り三人も倣って、モーゼが海を割るがごとく道を作る。その中を緑葉、麗泉の両生徒会役員が二列縦隊で進んでいくと、きゃあきゃあと生徒たちは騒ぎ立てた。


 人混みの中からペンとメモ帳を持った生徒が数人、列の前に出てきて立ちはだかった。このいかにもな小道具からして報道部の人間に他ならない。しかもカメラウーマンの宮崎杏樹さんまでいる。


「すみません報道部の者ですけど! 今津会長、その方たちはもしかして麗泉女学院の……」

「おいコラ、カメラ止めろや」

「ああっ! ちょっと何を!」


 今津会長はさっきまでの営業スマイルから一変し、汚い言葉使いで宮崎さんの構えたカメラのレンズに手のひらを思いっきり押し付けた。さながらスキャンダルに追われる芸能人のように。


「そう邪険に扱わないで何か一言くださいよ!」

「開けてくださーい! 開けてくださーい!」


 団さんが問答無用とばかりに報道部員を押し退ける。報道部員も仕事だろうけれど、団さんとて愛しの狩野さんの安全を確保をするという仕事があるのだ。


「あ、菅原さん! ちょっとどういうことか説明してよ!」


 宮崎さんはたまらないといった感じでクラスメートの私に尋ねてきたが、私は指で×バッテンを作った。


「宮崎さんゴメン、ノーコメントで」

「何よ、ケチ!」


 ケチって。報道の人間が取材対象サイドにヤジを飛ばすのはいかがなものか。


 どうにか喧騒を振り切って一階に降りると、今津会長はまた営業スマイルに変わった。


「先程はつい地が出てしまいました。すみませんね、私は愛宕会長と違って育ちがよろしくないもので。おーほほほ」


 今津会長は手の甲を口に当ててフィクションの世界のお嬢様のような笑い方をした。


「緑葉の方々ってみんなエネルギッシュですのね。我が校の生徒も見習ってほしいものですわ。自己主張ができない大人しい子羊が多いですから」

「いやいや、ウチの真似なんかしたら名が地に落ちますわよ。おーほほほ」


 今津会長はおちょくってるのかよくわからなかったが、相手の機嫌を損ねるようなことにならずに済んだようだ。


 校舎からグラウンドまでは若干の距離がある。途中で武道館横を通るのだが、今津会長は「この武道館は血の気の多い武闘派が集まるので、みんな梁山泊と呼んでいます」などと紹介をした。そんな事実など一切無い。


 武道館の窓は開いていて、中からバチンバチンと竹刀を打ち合う音や、ドタンドタンと畳を打つ音や、威勢のいい掛け声が聞こえてくる。


「「こわーい」」


 双子がわざとらしく怯える仕草をした。


「あの、そちらには武道館は無いのですか?」


 私は聞いてみた。


「無いよ。体育の授業だって武道なんか一切やらないし」

「ダンスしかしないしねー。あ、ダンスといっても社交ダンスよ」

「社交ダンスを授業でやるのですか……」

「社交ダンスぐらいできないと人付き合いで恥をかくからねー」

「ねー」


 双子たちの言う人付き合いというのは、私たち庶民には一生縁のない遠い世界での話に違いない。


「こんちはっす」


 今津会長が急に砕けた挨拶をした。相手は黒部真矢先輩で、ジャージ姿で恐らくフェンシング部の後輩を引き連れてランニングをしていた。先輩は走りながら「こんにちは」と返して、去り際に振り返って私たちを訝しげな目で見てきた。


「さっきすれ違った髪の長い人はフェンシング部の元主将で、今年のインターハイで優勝をもぎ取った猛者の中の猛者です。もうスポーツ推薦で進学を決めたのであんな感じで後輩たちの面倒を見続けていますが、クールな見た目に反して獰猛ですからね。うっかり近づいたらガブッと噛みつかれますよ」

「あら、まあ……」

「陽子、あまりウソばっか教えない」


 さすがに美和先輩が待ったをかけた。緑葉の英雄に対してもちょっと失礼だしね。


「まあ、ウソをつかれたのですか?」

「話を盛っているだけです」

「お人が悪いですわね」

「曲者だらけの緑葉じゃあ善人だと生徒会長は務まりませんよ」


 今津会長はカラカラと笑った。


 グラウンドに着いたら、運動部員がランニングを行っていた。グラウンドと言っても裏山と環川に挟まれた立地条件のせいで狭く、そのためせいぜい体育の授業か運動部のランニングにしか使われていない。それでも昔はこの場所に旧校舎があって、一応は校庭の役割を果たしていた時期があった。


「蓮、どう?」


 愛宕会長が狩野さんに尋ねた。


「狭いと言っても馬術に使うには充分だし、整備してもらえたらいけるよ。だけど問題はギャラリーだな。物珍しさで人が押し寄せてきたらどうするか」

「なあに、心配御無用ですよ」

「今津さん、ご存知かもしれませんが馬は非常にデリケートな生き物です。お客様を捌くだけでなく、マナーを守らせなければ馬に悪影響を与えてしまいます」

「その点も心配御無用。実はウチに馬に詳しい者がいましてね。さっき下手糞なモノマネを披露したこのキノコ頭ですが」


 古川さんがずずいと前に出てドヤ顔を決めた。


「私は今でこそ訳あってこの地で学んでいますが、競走馬の生産地、北海道新冠町生まれでしてね。馬には小さい頃から触れ合ってるんで何でも知ってますぜ」

「全てはこのキノコ頭に一任してますので、下手を打つようなことがあればこいつを煮るなり焼くなり好きにして頂いて結構です」


 今津会長はやや力を込めて言うと、狩野さんは少し引き気味に「わかりました」と答えたのだった。


「後はどう馬を持ってくるか、ですね。馬運車は大型バスほどの大きさがありますが、学校前の道路だと道幅が狭くて通れませんね」

「河原の土手の道路は二車線で広いですよ。交通量も少ないですし、そこで降ろして歩いてきてもらうのがベストでしょう」


 私たちは西門から出て環川たまきがわの方に向かった。西門からは一本の狭い道が環川の土手に伸びており、そこを上がると二車線道路に出る。交通要所として敷設された道路なのだが、実際にここを通行する車はあまりない。駐車禁止区域でもないから、馬を輸送する車を停車させても特に問題はないだろう。


 ついでに私たちは道路を渡り、環川を見やった。


「切り取って持ち帰りたいぐらいの美しい光景ですわね」


 愛宕会長が言う。清流、環川は陽光に煌めいて実に美しかった。


「うん。土手に寝そべりながら眺めたいな」

「ふふっ、蓮ったら。本当に寝ないでよ」

「いや、本当にそんな気分だよ」


 狩野さんはそう言いつつ、意識してのことかそうでないのかわからなかったが、団さんの横にさりげなく寄っていった。


 団さんが動揺している様子が、私の目からでもはっきりと見て取れる。


 何か話しかけてあげたらどう? と私は目で「念」を送った。団さんが私の方に向いたけれど、一瞬で視線を逸らされた。知らず知らずのうちに怖い目になっていたかもしれない。


 だけど私の意図は理解してくれたようだ。団さんは息を大きく吸うと、


「ここの河川敷は学校も利用することが多いんです。授業に部活の練習その他諸々のイベント、文化祭では科学部が屋外実験に使います」


 みんながいる手前敬語を使ったが、何だか若干発音がぎこちなかった。


「そうなんだ。さながら天然の学校施設といったところかな?」

「はい、もちろん遊び場にも使われています。川釣りをする子もいますよ」

「釣りか。行動的だね」


 狩野さんはおもむろに、土手に足を踏み入れた。この箇所の土手は急勾配になっていて、狩野さんの体は重力に任せて勢いよく、しかし平地を走るが如く難なくあっという間に下まで駆け降りていった。乗馬で鍛えた運動神経の良さが見て取れる。


「雅! 佐奈! 佑奈! みんなも降りてきなよ!」


 狩野さんが愛宕会長たちに向かって手招きする。


「もう、子どもみたいにはしゃいで……」

「でも楽しそうだねー」

「ねー」


 双子たちが足を土手に入れた。狩野さんのようにスマートではないが、両手を広げて歓声を上げながらちょこちょこ走りで下まで降りた。


「しょうがないわね」

「愛宕会長。向こうの階段から降りた方が安全ですよ」


 今津会長が指さした方に道路と河川敷を連絡する階段がある。ここからだと少し歩く必要はあるが、普通はここを利用して河川敷に下りる。


「お気遣いありがとうございます。ですが私だけ、というわけには参りませんので」


 愛宕会長が土手に向かって一歩踏み出す。


「では気をつけてゆっくり降りてくださいね。滑ったらおむすびころりんみたいになりますよ」


 今津会長は変な注意を与えつつ、私たちサブに小声で「落ちたらアレだから一緒に降りてあげろ」と命じた。


 愛宕会長は恐る恐る、一歩ずつ足を運ぶ。私は先回りして、愛宕会長の下に位置取った。万が一滑っても体を張って受け止められるように。


「手を貸しましょうか?」


 愛宕会長の隣にいた団さんが声をかけた。


「いいえ、大丈夫ですわ」

「慌てないでくださ、あっ!」


 ズルルッ。


 実際にそんな音をしたわけではないが、そう聞こえてきそうな足の滑らせ方だった。ただし足を滑らせたのは団さんだった。


「きゃー!」


 団さんの体が腹ばいの状態でズルズルと、足から下まで滑り落ちてしまった。大事にはならなかったものの、当然のごとくみんなに笑われた。


「あー、制服がー!」


 深緑色のジャンパースカートが芝生と土で汚れに汚れてしまっている。もうクリーニングしてもらうしかないだろう。


 哀れな団さんを真っ先に気づかったのは他の誰でもない、狩野さんだった。


「怪我は無い?」

「あ、は、はい。大丈夫、です……」

「それは良かった」


 狩野さんは団さんの制服についた芝生と土を手で払い除けた。唐突な身体的接触にみるみる団さんの頬が朱に染まっていく。


「あ、あああああ、ちょっとレ……狩野さんの手まで汚れちゃいますよっ」

「後で洗えば良いから」


 顔立ちの良い美少年然に爽やかな笑みを向けられて、それを間近で見た団さんはきっと顔から蒸気が噴き出そうな心地だったに違いない。


 愛宕会長は無事に降りることができた。そのまま川べりに近づくと、感嘆の声を漏らした。


「麗泉の近くにはこれ程大きくて、これ程綺麗な川はありません。このような素晴らしい場所でお勉強ができる緑葉さまが羨ましいですわ」

「ここはお勉強に疲れた者たちの癒やしの場ですからね。ところで、水切りってやったことあります?」

「水切り?」

「ご存じないですか」


 今津会長は平べったい小石を拾い上げると、横手で環川に向かって投げつけた。小石はちょんちょんと四回ほど水面を跳ねて沈んだ。


「こういう遊びですよ」

「何だか面白そうですわね。だけど意外と難しそう」

「コツさえ掴めば誰だってできますよ。教えて差し上げましょう」

「あ、私もやるー」

「私もー」


 双子が手を挙げる。なし崩し的にみんな水切りをやることになった。みんな童心に帰ったように、ちゃぽんちゃぽんと水音を立てて歓声を上げる。


 私も水切りはやったことが無かったが、今津会長のレクチャーを受けて何度か投げるうちに一、二回は跳ねられるようになった。だけど上には上がいるもので。


「わっ、すごい!」


 狩野さんが投げた石が六回も跳ねたのを見て、私は驚嘆した。センスの差をまざまざと見せつけられた格好だ。


「これ、単純だけど結構楽しいなあ」


 狩野さんはもう一度石を投げると、また六回跳ねた。その隣では団さんが投げているが、一度も跳ねること無く沈んでしまっている。


「あれれ、教えて貰った通りやってるのに」


 団さんはちらりと狩野さんを見た。それを「どうやったら投げられるの?」という意味に解釈したのか、狩野さんは小石を手にして、


「こういう風に手首を使って鋭く回転させてあげる感じで投げればいいんじゃないかな」


 と、動作を交えて説明した。団さんがもう一度投げてみると、小石は二度跳ねた。


「あっ、できた!」

「やったね!」


 狩野さんはおもむろに、団さんの頭をポンポンと撫でた。


「ひっ!」

「あっ、ごめん! びっくりさせて」

「あっ、あっ、こここここ……」


 団さんはニワトリみたいになった後、「こちらこそすみません」という言葉をひねり出した。顔もニワトリのとさかのように真っ赤っ赤だ。


「わー、天然たらしー」

「この天然たらしー」

「こらっ!」


 狩野さんがからかう双子に向かって小石を投げつける仕草をすると、双子はうわー、と声を上げて逃げ出した。


「今の蓮の姿を見たら、みんな幻滅するわねぇ」


 愛宕会長は独り言を呟いたつもりだったのだろうけれど、丸聞こえだった。口には力が入っていて、何だか不味いものでも食べてしまったような、難しい顔をしている。見た目は王子様で育ちはお嬢様なお方が、人に向かって石を投げるなどという乱暴なことをしていたらさもありなんといったところだろう。


「そろそろ戻りますか」

「ええ。この場所はとても気に入りました。来週来た時はここでお昼を皆様と一緒に頂きたいですわ」

「わかりました。次回はもっと砕けた感じでいきましょう。あたごっち」

「あ、あたごっち!?」


 不意打ちを喰らった愛宕会長は目を丸くした。


「そう呼ばれるのはお嫌ですか? 私のことも好きに呼んでかまいませんよ」

「……面白いお人ですわね。麗泉にもあなたのようなお人がいればもっと楽しい学校生活になっていたかもしれませんわ、

「お褒めに預かり光栄です。これからも末永いお付き合いをよろしくお願いします。友人として」

「ええ、もちろん」


 こうして、接待は成功に終わった。私たちは高級車に乗って帰っていく四人を総出で見送って、車の姿が完全に見えなくなると、私は神経が弛緩して力が抜けていくのを感じた。


「うははは、あたごっちと距離をグッと詰めてやったぜ」


 いつもの雰囲気に戻った今津会長は得意げに笑った。


「お前も良い感じだったな。恋の成就にリーチがかかったぞ」


 団さんの肩を叩く会長。しかし団さんは「ありがとうございます」と感謝しつつも、どこか浮かない顔をしていた。


「どうした?」

「い、いえ。ちょっと寒いなと思いまして」

「この駐車場、日当たり悪いしな。さっさと中入って仕事しようや」


 私たちは早足で校舎内に向かった。


「あ、後でメッセージ送らなきゃ!」


 団さんはスキップするように歩いたが、右手と右足、左手と左足を同時に出していた。何だかもう一杯いっぱいになっているようだ。


 その後案の定、仕事で普段しないようなミスを連発したのだが、みんなはまあ仕方ないなという感じで微笑ましく見逃したのだった。


 そして一週間後、団さんにとっての勝負の日となる文化祭当日を迎えたのである。

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