「余計なこと」
正午になると工場の方からチャイムが鳴り響いた。それはキーンコーンカーンコーンという、学校で鳴るのと全く同じメロディだった。
茶川さんのお母さんに案内されて、私たちは工場の敷地内に入った。そこの片隅に食堂兼休憩室として使われているプレハブ造りの平屋があり、お昼ご飯はみんなここで仕出し弁当を食べるとのことである。私たちもそこで一緒に食べることになった。
工場からカーキ色の作業着の集団がゾロゾロと出てきて食堂に向かっている。その中で一番年配の男性が駆け寄ってきた。
「お、この子たちはどうした?」
「陽菜のお友達だよ」
茶川さんのお母さんが紹介すると、改めて私たちは自己紹介した。
「ほう、よく来てくれたな。おっちゃんはここの社長で陽菜の祖父の茶川慎太郎っつーもんだ。字は石原慎太郎の慎太郎と書く。よろしく!」
慎太郎さんは歯を剥き出しにして豪快に笑った。この人も孫と正反対の性格みたいだ。
「あ、そういえば私も名前言ってなかったね。私は百合子っていうの」
茶川さんのお母さんが名乗った。
「百合子って百合の花の百合ですか?」
「そうだよ」
「慎太郎さんに百合子さんって都知事ネームですね」
「きゃはは! それ、よく言われる!」
百合子さんも大笑いした。二人揃って破顔していると、ますます茶川さんとひときわ対称的に映って見えてしまう。
慎太郎さんの後ろを一人の男性がちらりと横目で見て通り過ぎようとした時だった。
「慎一郎君! ちょっと待って!」
「おい慎一郎!」
二人が同時に呼び止めると、その男性は気だるそうに二人を見た。
「……何?」
「陽菜のお友達が来てるの。挨拶してあげてよ」
「……茶川慎一郎です」
軽く頭を下げつつボソッとそれだけ言って、そそくさと食堂に入ってしまった。慎太郎さんがもう一度呼び止めようとしたものの、「しょうがねえヤツだな」と諦めた。
私は茶川さんに聞いてみた。
「あの人も苗字一緒だよね。もしかして」
「……私の父さん」
ああやっぱり。この無愛想な態度は父親譲りなのだとはっきりわかった。そんな感想はもちろん口に出して言えるはずがなく、他の印象について話してみた。「茶川直樹とか茶川要一だったらまた都知事ネームだったよね」と名前ネタを出すと滑りそうだったから、無難なことを。
「お父さんも凄く若々しいよね」
「……だってお母さんより一つしか違わない」
「ってことは三十四歳かあ、へえー……」
「……三十二」
「へえっ!?」
否応無しに頭の中で茶川さんの年齢と、ご両親の年齢との引き算が行われる。慎一郎十六歳、百合子十七歳。お母さんはともかくお父さんは婚姻可能年齢未満で父親になっているのである。どういう背景で二人どうしが結ばれたのか、やっぱりますます気になってしまう。
「ごめんね、愛想無しな人で。でも悪い人ではないから」
百合子さんが擁護した。
思えば茶川さんだって最初に出会った時こそ第一印象は最悪だったけど、一緒に仕事していく中で単に感情表現が下手なだけで嫌なヤツではないとわかったのだし、お父さんだってきっと同じだろう。
「まあいいや、飯だ飯だ。今日は祝日だから豪華だぞー」
慎太郎さんがお腹を叩いた。私もお腹ペコペコだったので、どんな量だろうと平らげる自信があった。
*
「いただきまーす!」
百合子さんが手を合わせると、社員たちも一斉に「いただきまーす!」と手を合わせて仕出し弁当に手を付けた。
弁当の中はチキンカツにキャベツにレタスにポテトサラダにと野菜がてんこもりで、ご飯もコンビニで売られている物に比べて量が多い。働き盛りの男性にとってはちょうどいい量でも、女子高生には多すぎるかもしれない。だけど私はとにかくお腹が空いていたので、全部食べられそうだった。
今日に限らず、最近は朝しっかり食べても正午前にはお腹が空いてしまう日が続いている、きっとも体育祭の猛練習に明け暮れるうちに基礎代謝量が増えたのだろう。それはそれで良いことだ。
私はチキンカツから手を出した。冷めているのに歯ごたえサクサクで美味しい。これはご飯がモリモリ進んでしまう。
社員たちは部外者の私たちに無関心な様子で弁当に食らいついている。およそ二十人ぐらいでいずれも年配の男性で、慎一郎さんが一番若い。慎太郎さんと慎一郎さんは社員たちに混じって、百合子さんはじめ私たち女性陣は別テーブルで食事を取る格好になっている。
「工場の稼働日に陽菜が家にいる時はここでご飯食べるの」
百合子さんが黙々と箸を動かしている娘に替わってそう言った。
「お母さんも工場の仕事を手伝っているんですか?」
「一応、常務の肩書きを持っているよ」
「常務!」
「で、慎一郎君は専務」
「おおー!」
「きゃははっ、『おおー』ってそんなに驚かなくても。同族経営の会社じゃ社長の子どもとその旦那さんやお嫁さんが役員になるなんて珍しいことじゃないよ。特にウチみたいな小所帯じゃあね」
「でもお母さん、役員の仕事と家事の両立って大変じゃないですか?」
「まあね。でも職場と家が隣どうしのおかげで家の中に仕事を持ち込めるからね。仕事しながら陽菜の面倒を見られるのは利点だよ」
百合子さんの話が聞こえていたようで、慎太郎さんがこっちのテーブルに向かって大きな声で話しかけてきた。
「百合子ー、俺が死んだらちゃんと慎一郎を支えてやれよ。こいつ一人じゃ工場は立ち行かなくなるからな」
「……うるせえよ親父」
慎一郎さんがぼやくと、社員さんたちは笑った。もちろん冗談だろうけれど、申し訳ないが私には慎一郎さんが社長として君臨する姿がこの人の性格上、全く想像できない。茶川さんが生徒会長になる姿を想像できないのと同じぐらいに。
「そうだ陽菜、せっかくだから飯食ったらお友達を工場に案内してやんな」
慎太郎さんが言うと、茶川さんの箸が止まった。
「え、いいんですか? 私みたいな部外者を入れちゃって」
私が言うと慎一郎さんは上機嫌に、
「いいよいいよ、ちょいとうっかり触っちまったぐらいじゃあ機械は動かねえし。それに陽菜は小さい頃から工場の中で遊んでたからな、何でも知ってるぜ。たっぷり社会見学して父ちゃん母ちゃんに話を聞かせてやんな。わははは」
「……わかった」
茶川さんはまた箸を動かし始めた。すでに中身の半分以上を平らげている。
社会見学は覚えている限りだと中学時代に浄水場に行ったきりである。ポンプに配管にいろんな設備が入り組んでいて管理する側は大変だろうなと思ったものだが、一体この工場には何があるのだろうか。にわかに興味が出てきだした。
*
「陽菜、しっかり案内してあげてね」
「……うん」
百合子さんは手を振って家の中に戻っていった。
「お前、ちゃんと説明できんのかー?」
古川さんが茶川さんをからかう。茶川さんの眉毛が一瞬だけピクッと動いた。
「……できるよ。何でも聞いて」
「よーし、何でも聞いてやろう」
私たちは茶川さんの後についていき、工場の中に入っていった。
工場は汚い、という先入観があるが、中は整理整頓が行き届いていて、リノリウム床はシミが目立つ以外は清潔である。電気は消されていて窓越しに降り注ぐ太陽光が大小さまざまな機械を照らしている。今までせわしなく動いていたであろうそれらは静止していて、まるでぐっすりと昼寝をしているかのようだった。
「……これ何かわかる?」
古川さんより前に、茶川さんの方からカゴの中にあった白い物体を指差して聞いてきた。それは直方体に三角柱に円錐とさまざまである。
「何だこれ? 何かの部品?」
「……積み木。子ども向けのおもちゃ」
「あ……あーあー。言われてみればわかるわ」
積み「木」と言うものの素材はウレタンでできており、子どもへの安全面はバッチリだと、茶川さんは必要最低限の言葉で説明した。
しばらく歩いて、またある物体を指差す。今度はU字状のものだ。
「……これ何かわかる?」
「あ、待てよ? これどっかで見た気がするんだよなー……うわーわかんね」
「……炊飯器の取っ手」
「あー! 確かにこんな形だ!」
えらくマニアックなものまで作ってるんだなあ、と思いきやそれだけではないらしい。
「……これはさすがにわかるだろ」
「うん、どこからどう見てもコップだな」
「……正解」
古川さんの言う通り、これは百円ショップとかでよく見かけるプラスチック製のコップで、誰も見間違えようのないものだった。
茶川さんが言うには、リバティ製作所はメーカーや商社の下請けをメインにして物を作っているとのことである。中には名前の聞いたことのある大手有名企業も取引先にあったから、技術力は大手企業に信用されているぐらいには高いようだ。
量産品は成形機という機械を使って作る。熱で溶かした樹脂を金型に注入して形にするもので、型抜きチョコレートの作り方と原理がそっくりそのままだった。原理だけ聞けば簡単に作れてしまえそうだが、機械のメンテナンスをしっかりしないと適切に稼働せずちゃんとした形にならない、と茶川さんは言う。
「……オーダーメイド品はこっちで」
パーテーションで区切られたブースに入り、茶川さんが電灯をつけると、黒い立方体状の大掛かりな装置が目に飛び込んできた。
「……これが3Dプリンター」
「おおー、これでトロフィー作ったんだ。どうやって作るの?」
「……パソコンで設計したデータと材料があれば」
「パソコンで設計って、凄く難しそうじゃない?」
「……別に。父さんが仕事でよくやってるのを見て覚えたから」
「はあ……」
もうため息しか出なかった。茶川さんの頭の方が3Dプリンターより凄いかもしれない。これでテストでは古川さんより成績が下だって言うんだから不可思議だ。
「『門前の小僧習わぬ経を読む』を地で行ってるよね」
団さんがそう評した。きっと茶川さんは、本能レベルでものづくりの技能が染み付いてる。小さい頃から遊び場にしていて、父親や社員たちの背中を見て育った結果に違いない。もっとも、そのレベルに達するまでは生まれつきの才能も必要だろう。私も日本史を研究している父さんの背中を見て育ってきたつもりだが、学者レベルにまで日本史に詳しくなれていない。
「工場って、同じ品質のものを作り続けなきゃいけないでしょ? それだけでも根気がいる作業だよね。古川さんには絶対無理だ」
団さんが最後に要らぬ一言を付け足したが、古川さんは「ああ、絶対無理!」と手で「×」を作った。
「本当、こういうのは好きじゃないとやっていけないよ」
私が言うと、茶川さんは首を横に振った。
「……余計なことを考えずに済むから」
「余計なこと?」
その一言が何だか引っかかったのでつい聞いたが、答えを得る前に団さんが「わかるわかる」と相槌を打った。
「私も嫌なことがあっても、部活でお菓子作りやってるとその時だけは忘れられるんだよね」
「嫌なことねえ。まあお前の場合大概おと、いてっ!」
「ちゃちゃ入れるな」
団さんが古川さんのお尻を思いっきりつねった。
「……古川、聞くことあるんじゃないのか?」
茶川さんが話を振る。「何でも聞いてやる」と言っていた古川さんだがお尻をさすりつつ、うーんうーんと唸るだけでなかなか出てこない。ようやくひり出した質問がこれだった。
「この工場、基本給いくらよっていてぇっ!」
そんな俗なことを聞くもんだから団さんにまた尻をつねられた。
「……まあ、察してくれ」
茶川さんは回答を避けた。
*
私たちはお昼休憩が終わる前に工場を出て、茶川さんの部屋に戻った。工場からまた聞こえてだした機械の音をBGMにして、おやつを食べながら体育祭や文化祭に向けていろいろ話し合いをした。そうしているうちに時間はあっという間に経ってしまい、もう午後四時を回っていた。電車の時間もあるから、今お暇するのが良いタイミングだ。
「今日はお世話になりました。慎太郎さんと慎一郎さんにもよろしくお伝え下さい」
「うん、また遊びに来てねー!」
「……じゃあ、また学校で」
ニコニコ笑いながら大きく手を振って見送ってくれる母と、無表情で小さく手を振る娘の姿は全く対称的だった。
城戸駅で先に下り線列車が来たため、ここで団さんと別れ、電車を見送った。それから私と古川さんは上り線のホームへと向かう。その途中で、古川さんが茶川さんの話題を出した。
「あいつも、将来は工場で働くのかなあ」
「さあ。まずは大学でしょ」
緑葉女学館は進学率100%を誇る、地方でも指折りの進学校だ。とりあえず大学、それも工学部系に進むだろうなとは容易に想像がつく。その先はどんなキャリアを進もうとするのかは私もちろん、本人もわからないだろう。
ホームにかかる橋の窓から、茶川さんの家の方をふと見やった。西日の中に茶川さんの顔が浮かんでくる。
『余計なこと』
今もずーっと気になって仕方がない一言がまた、頭の中で繰り返された。それこそ余計なことかもしれないのだけれど。
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