第7話 燃えよ体育祭

意外な人物からのお誘い

 美術部の問題も無事解決してさあ体育祭に向けてラストスパート、という時だった。


 放課後の生徒会室。私たちサブ四人は掃除を一段落させたが、執行部役員たちがまだ姿を見せなかったので雑談していた。すると茶川陽菜さんがいきなりこんなことを、いつもの聞こえるか聞こえないかぐらいのボソッとした口調で言い出した。


「……みんな、明日、暇なら家に来て欲しい」

「え?」


 私は最初耳を疑った。自己主張を全くしない彼女から家に来て、とのお誘い。明日は秋分の日だが大雨になることを覚悟した。


 古川恵さんが茶川さんの額に手を当てた。


「平熱、だよな?」

「……」


 茶川さんは無言で手を払い除けた。


「……体育祭のトロフィーを作ってるから、見て欲しいだけ」

「あ、そういえば会長に頼まれてたんだっけ」


 と、団六花さんが思い出したように手をぽんと打ったものだから、私もそのことを思い出したのである。


 茶川さんは表情の変化に乏しくあまりしゃべらないし、たまにしゃべってもボソボソ声で、身も蓋もない言い方をすれば暗い子である。ところが彼女は、手先がとても器用で何でも作ったり直したりしてしまうという特技を持っていた。その特技を活かすために体育祭で使用する器材の保守点検と修理の仕事を任されているが、ボロボロだった器材を新品同様によみがえらせ、足りないものは自作するその手腕は執行部役員たちや教師をうならせた。


 それに加えて、彼女はトロフィー制作も仕事としていた。彼女の家は工場であり、プラスチックとかウレタンとかゴムとかでいろんな製品を作り出している。そこに依頼するという形を取っているため生徒会からきちんと制作費が降りているという、まさに「本物の」仕事だった。


「えーと、総合優勝トロフィーと100メートルリレーのベストタイム賞と最優秀応援団賞と、あと何かもう一つあったような」

「コスプレ競走のベストドレッサー賞」


 団さんが私を補足してくれた。四種類だけど100メートルリレーは六区間だから合計九つのトロフィーを作ることになる。


「結構多いけど、どれだけ進んでるの?」

「……形はできてる。でも、会長に見せる前にこれで良いかみんなの意見を聞きたい」


 古川さんが「おおうっ」と大げさに胸に手を当てた。


「一匹狼のお前からそんな言葉が聞けるなんて、思わず胸がきゅんってなったわ。抱かせてくれ!」

「……アホ」

「おぶっ!」


 抱きつこうとする(もちろんおふざけで)古川さんの顔面に茶川さんの裏拳がモロに入った。こっちは割と本気マジっぽかった。


「おー痛てー……いくら手先が器用でも顔形まで変えんでくれよな」

「古川さんは面の皮ぶ厚いから大丈夫でしょ」

「おうおう、団六花てめえこの口か! んん!? この口か!」

「いひゃい、いひゃい!」


 古川さんは親が子どもを叱る時みたいに団さんのほっぺをつねる。


「こにょおー!」


 団さんも負けじとつねり返してにらめっこする。こんな馬鹿らしくて微笑ましいふざけあいっこも生徒会室では日常茶飯事の光景だ。


 茶川さんが大きく咳払いをした。二人が勝手に盛り上がるもんだから、私もすっかり茶川さんへの返事を忘れてしまっていた。


「……で、みんな来てくれるのか?」


 もちろん「はい」だ。


 *


 秋分の日は幸いにも私の悪い予感が外れててくれて、絶好の秋晴れとなった。この頃になると猛暑続きだった日々もようやく終わりを迎えて、昼間はまだ残暑が厳しい日もあるものの朝夕はすっかり涼しくなっていた。この日を境にもっと秋が深まっていくに違いない。


 私たちサブ三人は朝の十時にJR城戸駅に落ち合った。そこから西に向かって歩き出して、十分ほどすると小さな川に突き当たった。川沿いには県道二十七号線という南北間を連絡する主要道路があり、そこを南の方にしばらく歩くことさらに五分、いかにも町工場という雰囲気のコンクリート製の建物が見えてきた。そこに隣り合うようにして二階建ての古めかしい一軒家が建っているが、これこそが茶川さんの実家なのだった。


 工場の建物には『㈱リバティ製作所』『ISO9001認証取得』と文字が書かれていて、中からはガコンガコンとかプシューとか、機械的な音がしている。祝日にも関わらず稼働しているらしい。


「うわ、何かブラック企業臭え」


 古川さんが失礼なことを口走ると、団さんが「こら」とたしなめて小突いた。私も祝日に働くのは勘弁したいところではあるけれど。


 私はインターホンを押すと、すぐに『はい、どちら様でしょうか?』と、茶川さんと違った活発的で大きな声が聞こえてきた。


「緑葉女学館生徒会の菅原です。陽菜さんに呼ばれてきたのですが」

『ああ、陽菜のお友達ね! ちょっと待ってねー』


 ブツ、と通信が切れる音がした。


「感じが全然違うな」

「声の感じからしてお姉さんかな?」


 古川さんと団さんが話をしていると、ドアが開いた。そこから見た目は二十代から三十代といったところか、思っていた以上に若い女性が姿を見せた。その人はカーキ色の作業着のようなものを着込んでいて、顔立ちは茶川さんによく似ていた。


「わあ、三人も来てくれたんだね。さ、どうぞ上がって上がって!」


 女性はとても愛想の良い態度で門扉を開けてくれた。


「あの、陽菜さんのお姉さんでしょうか?」

「まあ! やーだーもー、お姉さんだなんて!」


 女性は口を手で抑えて照れる仕草をした。


「私はお母さんですよっ」

「ええっ!?」


 みんな声を上げた。だってどう見ても姉と言うべき若さだとしか思えなかったからだ。


「失礼ですが、おいくつですか?」

「まだピッチピチの三十三、アラサーです!」

「ええーっ!? め、めっちゃ若い……」

「えへへー、ありがとう!」


 だけど、ということは茶川さんは母親が十七歳の時に産まれたことになる。現行の法律では女性は十六歳から結婚できるけど、この晩婚化の時代に十代半ばで母親になるケースはそうそうない。いけないことだとわかっているのに、理由をいろいろ勘ぐってしまう。


「さあ、どうぞどうぞ!」


 茶川さんのお母さんが手招きするので、私達は「お邪魔します」と言って家に上がった。


「陽菜ー! お友達が来たよー!」


 お母さんが二階に向かって呼びかけると、ドンドンという物音とともに階段から茶川さんが降りてきた。


「……上がって」


 茶川さんはクイッ、と親指を上に向ける。お母さんがいるにも関わらず相変わらずの鉄仮面ぶりだった。


「陽菜、もうちょっと愛想よくしたら?」

「……」

「んもう! ごめんね菅原さん、普段はこんなんじゃないんだけど」

「いえ、恥ずかしがり屋さんなだけですよ」


 私がそう言ったのはお母さんに気を使ってのことではなく、正直に思ったことである。


 私たちが二階の茶川さんの部屋に入ると、まず目に飛び込んできたのはショーケースで、そこにはフィギュアとかプラモデルとか、いろんなものが展示されていた。並べ方は不規則で、戦闘機のプラモデルの隣に某女の子向け国民的アニメのフィギュアが並べられているといった有様だが、このちょっとした展示場は私たちの目を否応無しに惹き付ける。


「うわー、凄くお金と手間がかかってそう……プラモは全部自分で作ったのかな?」


 私の独り言に茶川さんが反応した。


「……お父さんが作ったのが少し混じってるけど、ほとんど全部私が自分で作った」

「自作のやつはどれくらいあるの」

「……九割ぐらい」

「わ、すごい!」


 私はプラモデルは作ったことが無いけど、この戦闘機を一機作るだけでも相当根気が要りそうだ。余程何かを作るのが好きでなければできない趣味だろう。


「茶川、この謎のオブジェは何だ?」


 古川さんが、螺旋状に積み上がっていててっぺんの部分だけが抜け落ちたような、三角錐状の物体を指さした。黒光りしているそれは他の展示物に比べて異彩を放っている。


「……バベルの塔。プラスチックで自作した」

「ひえー、これも自作かよ……何を思ってバベルの塔を作ろうとしたのか知らんがよくやるべ」


 プラスチック製なのにこの重量感。いったいどれだけ手間暇かけて作ったのだろうか。何が彼女を作品作りに向かわせるのだろうか。


「美術部に入っても通用したんじゃないの?」


 私は本当にそう思ったが、茶川さんは否定する。


「……創造性無いから向いてないし」


 それを聞いた古川さんがわかるわかる、とうなずく。


「創造力と技術力って別のスキルだもんなー。漫画だって絵柄は良いのに話が上手くないってのがゴロゴロあるしそれとおんなじことだ」

「そうかなあ? 私はこのバベルの塔、芸術点も高いとは思うけど」


 もしも副島先生が見てたら何て評するだろうか。


「そうだ、トロフィーはどこ?」


 団さんがそう言うまで、私たちはすっかり用件を忘れていた。茶川さんは部屋の片隅に置いてあったダンボールを持ち運んで、緩衝材に包まれた中身を取り出して見せてきた。


「……これが総合優勝トロフィー。これが最優秀応援団賞。これがベストタイム賞でこれがベストドレッサー賞」


 触ってみるとどれも樹脂で作られてたみたいだが、塗装やメッキといった加工は施されておらず真っ白なままだった。


 総合優勝トロフィーはというと「この木なんの木」のCMに出てくる大木みたいな形で、最優秀応援団賞はチアリーダーのポンポンをイメージした造りに。ベストタイム賞はサイズはこぶし大と小さめだがバトンとそれを握る手の形をしており、ベストドレッサー賞は何だかオスカー像のパクリみたいな感じだった。全部、今津会長が意匠を指示して作らせたものだという。


 中でもやっぱり目を惹いたのは総合優勝トロフィーだ。何せ一番大きいし、我が校の生徒が目標としている「緑葉繁る大樹」を具現化しているからだ。私はそれを何度も感心のため息を漏らしつつ、トロフィーをくるくると回してはじっくりと眺めた。


「文句のない出来だよ。このままでもすごく見栄え良いし、どうやって作ったの?」

「……工場に3Dプリンターがあるから、それで」

「ああ、データがあれば何でも形造りできちゃうアレかあ」


 それでもまだまだ細かい手直しは必要とのことだが、茶川さんが言うと簡単に聞こえてしまう。


 他のメンバーも一様に「文句なし」という評価を下した。


「……わかった。じゃあこれで会長に出してみる」

「きっと会長も太鼓判を押すと思うよ」


 茶川さんは無表情で首を小さく縦に振った。


 コンコン、とドアがノックされて「開けるよー」というお母さんの声がした。茶川さんは何も言わなかったが、ドアは開いた。


「みんな、もうお昼も近いけど一緒にご飯食べない? 会社の仕出し弁当を一緒に頼んであげるよ」

「あ、いえお構いなく」


 と私が言った瞬間、「ぐぅ~」というとてつもない間抜けな音が部屋に響いた。


 音源は私のお腹だった……。


「きゃははは!」


 茶川さんのお母さんが大声で笑いだしたのをきっかけに、たちまち部屋が大爆笑に包まれてしまった。私は真っ赤になっているであろう顔を両手で覆うしかなかった。


「口ではそう言っても体は正直ねえ。四人分追加決定ね」


 何だか誤解されそうなセリフを言って、茶川さんのお母さんはドアを閉めた。するとまた大爆笑が。笑っているのは古川さんと団さんだけなのに、体育館のステージに立たされて全校生徒に笑われるのに匹敵するぐらいの恥ずかしさが私を襲う。


「あんなところで笑いの神様が降りてくるなんて、持ってるよな!」

「ホント、狙ってできるギャグじゃこんな笑い取れないよ!」

「うう~もうやめて……」


 その時、私の肩に茶川さんが手を置いてくれた。彼女の無表情も今この時だけは何よりの慰めだった。


 だけど茶川さんは目を閉じて、首を小さく横に振った。それは「まあ諦めな」と言っているかのようで、古川さん団さんはまた大笑いして、私の心は痛恨の一撃を喰らったのだった。

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