呼び出し
週が明け、敬老の日も過ぎてつかの間の連休の休息を終えた九月十九日火曜日の朝。期限が明日と迫っているというのに副島先生は私に絵を描かせる以外に全くアクションを起こさず、果たして期限の明日までに部員が戻ってくるのかとやきもきして仕方がなかったのだが、カクちゃん古徳さんにそのことを打ち明けないまま学校に着いてしまった。
「あっ」
下駄箱のフタを開けたら、上履きの上に小さな封筒がちょこんと乗っているのを見つけた。そこには綺麗な字で「菅原千秋さんへ」とある。
「えっ! もしかしてラブレター!?」
私の後ろから覗き込んできたカクちゃんが驚く。
「そっかあ、とうとうスガちゃんのことを好きって子が現れたかあ」
「な、何言ってんの、そんなのわからないよ。ハートマークのシールがついてないし……」
自分でも声が震えているのがわかるし、ドキドキしているが決して待ち遠しさから来ているのではない。ともかく誰が書いたものなのか? 私はトイレの個室に駆け込んでそこで封を切ることにした。しかしカクちゃんまで堂々と中に入ってきた。
「もう、何で入ってくるの?」
「現場を押さえてしまった以上、こっちにも見届ける義務があるんだよ」
そう屁理屈をこねて、カギをガチャリとかけてしまった。これ以上抗議してもどうせ押し問答になるだろうなと思って好きにさせることにした。
糊で封印されたところを丁寧に剥がして、中の手紙を取り出して広げた。そこには四行分しか書かれていなかったが、私の心臓の鼓動を悪い意味で高めるには充分なものだった。
生徒会執行部サブ 菅原千秋様
話したいことがあります
昼休みに体育館裏でお待ちしています
美術部有志一同
「……これって、呼び出しだよね。シメるための」
カクちゃんがそう断言したのは、彼女も生徒会と美術部の確執を知っているからに他ならない。それに愛の告白だったらそれを匂わす文を書いて、差出人に「一同」なんて書いたりしないはずだ。
美術部員は私が美術室に出入りしているのは当然わかっているだろうし、それが彼女たちの気に障ったのかもしれない。
どうしよう。副島先生に言うべきか。いや、それで大ごとになったら美術部はどうなる。やはり手紙に従って行くべきか。無視するべきか。
迷いに迷っている最中、ドアの外から呑気な歌声が聞こえてきた。
「♪だーれがならすーか あーのーかーねーはー」
古川さんの声だ。彼女はちゃらんぽらんな性格で私の教科書に勝手に落書きするような奴だけれども、時折真面目で良いことを言う場合もある。相談したら力になってくれるかもしれない。私はドアを開けた。
「古川さん!」
「お、おう!?」
「菅原さん!?」
「!?」
「あ」
古川さんだけでなく、団さんに茶川さんと、サブが勢揃いしていた。一様にびっくりしているのは、個室からカクちゃんと一緒に出てきたからに他ならない。
「いくら何でも朝っぱらからトイレで盛るのは良くないぞ……」
「「違う!」」
私とカクちゃんは異口同音に否定した。
「これ」
私は呼出状を古川さんに見せつける。古川さんはそれを読んだ瞬間、顔をしかめた。他の二人に回し読みさせると団さんも顔をしかめ、茶川さんは無表情だったが眉が少しピクッと動いた。
「よーし、向こうが喧嘩売るっつーんなら買うまでっしょ。私らも一緒に行くぞ。パイセン達も引き連れてな」
古川さんは戻された手紙を折りたたみ、私に返さずそのまま自分の制服のポケットにしまいこんだ。もう菅原千秋一人だけの問題じゃないぞ、と意思表示しているみたいだった。
「私も聖良を連れて行くよ。何かあればあの子が一人でカタをつけてくれるからね」
カクちゃんが拳と手の平をパチン、と合わせた。武闘派の古徳さんが加わればかなり頼もしい。少なくともリンチ、という事態はなくなるだろう。
「みんな、ありがとう」
「困った時はお互い様。ね?」
カクちゃんの言葉にみんな同意を示す。
仲間たちのおかげで不安感はとっくに消え去っていた。
*
体育館裏への呼び出しなんてベタだが、よく呼び出しに使われるからベタになるのだろう。そんなことを考えながら向かった体育館裏には、三人の生徒が待ち構えていた。
「え、何これ……」
生徒たちは慄いている。私の後ろには生徒会執行部役員四名とサブたち三名、カクちゃんに古徳さんの計九人がいたからだ。数にして相手の三倍強な上、天下無双の生徒会長である今津先輩と柔道部県大会優勝経験のある古徳さんがいる。このメンツでビビるなと言うのが無理で、どっちが呼び出しのかわからないぐらいだ。
「おう、誰かと思ったら大道じゃないか。この前は世話になったなあ!」
会長が大声でそう言うと、三人のうち真ん中にいる小柄で眼鏡をかけている生徒がびくついた。彼女が大道という部員らしい。その大道さんが小さな声で、
「わ……私たちは菅原先輩だけを呼び出したんですけど」
「こっちもついでにお前らに聞きたいことがあるんだよなあ」
今津会長が指をぽきぽきと鳴らすと、古徳さんも続けてぽきぽきと指を鳴らす。すると三人は身を寄せ合ってガクガクと震えだした。
「ごっ、誤解です! 何もシメるとかそういう意味じゃないんです! 菅原先輩に話を聞いて欲しかっただけなんですう!」
「本当かあ?」
会長が距離を詰める。その後ろで古徳さんは落ちていた太い木の枝を拾い上げて、両腕に力を込めて「
「う……うわああああん!!」
大道さんたちは地面にへたりこんで泣いてしまった。この怖がりようからして、私の中で「本当にシメるつもりはなかったんじゃないか」という疑念が沸き起こる。
「すみません、来てもらって悪いんですけどいったん下がってもらえますか」
私が頼み込むと、会長は不満そうに「わかったよ」と返事した。それから私の耳に口を当てて囁く。
「ビビらせた後は
いえ、そういう意図は無いんですけれど。
ともかく、会長は一声かけてみんなを目の届かないところに下がらせてくれた。
私が三人の学年章を見ると全員が双葉、つまり二年生だとわかった。今年度の新入部員がいない美術部の中で実質的に一番下の学年である。
「ごめんね。私が心配でついてきちゃっただけだから」
「は、はい……」
私はポケットティッシュを差し出して、鼻を噛ませた。落ち着いたところで、大道さんが言った。
「実は私達、退部届を無理やり書かされたんです」
「どういうこと?」
大道さんは理由を説明した。
不正会計を暴かれた件で生徒会を逆恨みし続けている部員たちは、生徒総会で今津会長を引きずり下ろそうとしたものの、最後の最後で造反した者が現れた。反対討論で不利になったと見るや採決に加わらず、そうすることで逆に会長に恩を売りつける作戦に出たのだ。もちろん会長は意図を見透かしていて一喝して終わったのだが。
しかし全員が造反したわけでは無い。あくまでも生徒会を倒そうとするタカ派の部員たちは当然、裏切り行為に激怒した。一方で、美術部に対する処分は妥当だと考えるハト派もおり、今は退部してしまった部長と副部長、ならびに大道さんたち三人その他少人数はこちらに属している。
タカ派とハト派、そして造反に加わった派――これは「風見鶏派」とでも言おうか――の三派の間には深い溝が出来てしまった。それでもこのままバラバラではいけない、と危機感はあったようで、館長先生が「恩赦」で美術部の活動停止解除を発表した後、夏休みが終わる直前に部員どうしで今後について話し合いが行われたという。
ところが議論は白熱し過ぎて暴走し、やがて感情論をぶつけ合う醜い口喧嘩になり、最後に何もかもが弾け飛んでしまった。仮に相談役の寒川恵梨香さんと音信不通になっていなければ状況が変わっていたかもしれないが。
「もう全部終わりにしよう、と。先輩たちは一方的に美術部解散宣言を出して、みんなに退部届を書かせました。私達は反対したんですが、書くまで帰さない、と美術室に閉じ込められて仕方なく……」
大道さんが鼻をすする。
「酷い……部活を続けたい子たちまで巻き込むなんて」
「退部届を書いた以上は授業以外で美術室に近寄るな、とも脅されました。あと、菅原先輩が美術部に入ったことももちろん知られています。今はまだ様子見していますが、もし本格的な活動が見られたらその時は潰しにかかる、とまで言っています」
「ふーん。潰すって?」
私より先に物騒な単語に反応したのは高倉美和先輩だった。いつの間にかまた、ひょこっと顔を出してきたのだ。
「やれるもんならやってみたら? その前に潰してあげるから。ねえ陽子?」
「おう」
今津会長まで再び顔を出して、他のメンツまでぞろぞろ出てきて会長の後ろを固める。大道さんたちはまた、寒波に晒されたように身を震わせだした。
「ちっ、違います! わ、わ、私が潰すんじゃないですっ!」
「落ち着いて、落ち着いて。わかってるから」
私はみんなを再び下がらせると、身を縮こまらせている大道さんたち三人を抱きかかえるようにして、落ち着かせようとした。
「で、話の続きは?」
「は、はい。その……やっぱり私たちだけでも美術部に戻りたいんです。『菅原先輩が美術部を残そうとして部に入ったのにワガママを言い続けて恥ずかしくないのか』って部員以外の周りから叱られたのもありますが、やはり私たちは作品作りが好きですし、もう一度やり直したいんです。ですから、菅原先輩から退部届を撤回してもらうよう副島先生にお願いして、生徒会に私たちの身の安全を保障してもらいたいんです。お願いします!」
大道さんたちが頭を下げた。
彼女はウソは全くついていない、という確信はあった。今津会長たちが目の前にいる状況で、圧力がかかっている中でウソをつけるはずがないからだ。
私は大道さんの両肩に手を置いて、こう言った。
「副島先生はね、明日には美術室を部員たちで埋めるって約束してくれたんだ」
「え?」
「先生には秘策があるんだよ」
「秘策、ですか?」
「うん、明日の放課後、部室に来てよ。きっと元の美術部に戻っているはずだから」
秘策が実際にあるのかどうかはわからない。だけど先生が豪語するからには何か考えがあるからに違いない、と推し量った。といっても期限はもう明日、出まかせに終わる可能性はあるが、とりあえず今は大道さん達を元気づけるには充分な一言だった。
「わかりました! 私たちと同じ考えの部員も説得して連れて行きます!」
「頼んだよ」
伝えたいことを伝えた大道さんたちを先導して体育館裏から出ると、会長たちが腕組みをしてドンと待ち構えていたものだから、大道さんたちは小さく悲鳴を上げて、猛ダッシュで校舎に戻っていってしまった。
姿が見えなくなったところで、私は会長に聞いた。
「大道さんとは知り合いなんですか? この前世話になったって言ってましたが」
「前に寒川のあられもない画像をすがちーに送ったろ? 大道はあれのリーク元なんだよ」
なるほど。そういえば会長は画像を脅して宥めすかして手に入れた、というようなことを言っていたような気がする。図らずも会長と同じことを大道さんにやってしまった格好になってしまったから、私は大道さんに心の中で手を合わせて謝った。
「あれだけ帰ってきたとしても部室は埋められっこないから、副島先生の罰ゲーム確定だね」
美和先輩が淡々と言うと、まず会長が反応した。
「罰ゲーム? 何のことだ?」
「明日までに部室が部員で埋まってなかったら『私は高倉美和の忠実な飼い犬です』の看板を首から下げて校内を四つん這いで一周する、って約束したの」
「おおう、マジかよ。じゃあ犬なら犬らしい名前を考えてやらなくちゃな。チャタローとかどうだ?」
「いいねえ」
「コラ! 不謹慎よ!」
チャタローという犬を飼っている河邑撫子先輩が両名を睨みつけた。そりゃそうだ、まだ罰ゲームって決まったわけでもないのに。
でも、先生が勝つと確信できる材料がないのも事実。
古川さんが私に肩を並べてきた。
「あの先生、そんな約束してたのかよ。どういうつもりなんだ?」
「知らない。でも先生を信じるしかない」
今はこれしか答えようがなかった。
でも明日になって副島先生が四つん這いで歩き回るという、情けない姿を私は見たくはない。これは切実な願いだった。
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