第6話 非常勤講師・副島睦美
セカンド・コンタクト
「どうですかー? 歪んでないですかー?」
私は北校舎屋上から下に声をかける。
「いいよー! オーケー!」
高倉美和先輩が両手で大きな◯を作った。
八月末、夏休み明けの最初の生徒会の仕事は垂れ幕の設置である。垂れ幕には『祝優勝 黒部真矢 全国高等学校総合体育大会フェンシング女子エペ個人』と書かれていて、赤く彩られた『祝』の文字だけが他の文字よりもひときわ目立って大きい。
私が八王子の母方の親戚の家に行っていた時に、インターハイのフェンシング競技をやっていて真矢先輩は見事優勝を果たした。緑葉女学館の運動部が全国大会を制するのは史上初の快挙で、地元の新聞社とテレビ局が学校の取材に来て騒ぎになっていたらしい。家に戻っていたら野次馬根性で見に行っていたのに、残念だ。
「さすがに『優勝おめでとさん』だけじゃなあ。もっと気の利いたこと言わんと……」
生徒会室に戻ると、今津陽子生徒会長がブツブツ呟いていた。会長は始業式での優勝報告会で祝辞を読む役割を仰せつかっている。
「ま、テスト中に考えよう」
そう、実はこの日から二日間、実力テストが行われることになっていた。会長は物凄い余裕だなと私は思ったが、美和先輩も同じことを思っていたようで「余裕のよっちゃん」と口に出した。
「実力テストは評定に関係ないし、遊び感覚で受けときゃいいんだよ」
「そんなこと言って千秋が勘違いしたら困るでしょ」
「勘違い?」
私は首をかしげた。
「評定に関係ないとはいえ、コース振り分けの判断材料にはなるの。四年生にとっては一番大事なテストだね」
緑葉では五年生から国立文系・国立理系・進学文系・進学理系の四コースに振り分けられ、クラスごとで授業内容と進度が異なってくる。特に国立コースは六年生の一学期までに教科書を終わらせてしまうぐらいのスピードで授業が進められるから、二学期からの授業はまるまる受験対策になるのだそうだ。恐ろしや進学校。
「ん? 誰だテーブルにビニール袋を置いた奴は」
あ、そうだそうだ。朝最初に生徒会室に入った時に、後で渡そうと思って置いていたんだった。
「私です。東京のお土産を持ってきたんですけど」
私は袋から中身を取り出して、メンバー一人ひとりに手渡しした。
「ほう、こいつは浅草の老舗店が焼いたせんべいじゃないか」
「あ、会長はご存知ですか?」
「昔食ったことあるけど醤油で味付けしてるだけなのに美味かったんだよなあ。ありがたく頂くよ」
「じゃあ私も今渡すね」
美和先輩が控室に入って、紙袋を持って出てきた。
「
「これ有名ですよね。中のクリームがすんごく甘くて」
「そうそう。バニラにいちごに抹茶味があるから、一個ずつどうぞ」
十二個入りの箱が二セットあり、一箱につき三種類がそれぞれ四個ずつ入っている。美和先輩も数に入れたら、全種類一個ずつ全員に満遍なく行き渡る計算だ。
「始業までまだ半時間あるな。さっそくこいつを頂くとするか」
会長が言い出した。
「朝ごはん食べてきたばかりじゃないの?」
「別腹別腹。美和ちゃん、冷蔵庫に午後ティーあるから出してきて、午前だけど」
「はいはい」
ということで、朝のお茶会兼二学期の仕事始め式が執り行われることになった。二学期は十月に体育祭、十一月に文化祭とイベントが目白押しで生徒会活動が一番忙しくなる時期だから、一層性根を据えてかかるようにと会長から仰せつかった。
今は体育祭と文化祭の開催時期を分けて開催するのが主流だけど、緑葉ではいまだに秋に集中して開催している。それでも昔、分割開催の要望が生徒総会の議題に上がったものの「受験勉強の憂さ晴らしがしたい」と六年生から反対意見が出て否決されたらしい。それでいまだに秋集中開催が続いているのだそうだ。
あと、重要な点が一つ。
「美術部の活動が再開することになった」
これまで散々私達生徒会を引っ掻き回してきた単語が出てきた。真矢先輩のインターハイ優勝に気を良くした館長先生が「恩赦」という形で美術部の活動停止を解くことにしたらしかった。生徒全員の夏休みの宿題をなくしてくれた方がみんなと優勝の喜びを分かち合えるのにね、と美和先輩が当てこするとみんなも一斉に首を縦に振るのだった。
「だけど間の悪いことに、夏休みの間に新顧問の前川先生が入院しちまってなあ……」
「入院!?」
「肺がんだと。あの人、一日一箱もタバコ吸ってたみたいだしな」
前川先生というのは後期課程の美術教師である。美術部の不祥事の責任を取って顧問を辞任した前期課程の美術教師、藤村先生の代わりに顧問に就くことになっていた。さあ再出発、という時に舵取り役となるはずの前川先生がいなくなったのは相当な痛手だ。
「部長副部長は退部して新入部員は当然ゼロ。聞いた話では残った部員も私の不信任案提出に関わったカドで白い目で見られているらしい。こりゃ後釜の先生、苦労するぞー」
「後釜? 藤村先生が復帰とかじゃなくて、誰か別の先生が顧問をするんですか?」
「ああ。前川先生の代わりに非常勤講師の先生が来て、顧問の代理もするんだと。よく引き受ける気になったよなあと思うが、絶対面接の時に上手いこと言われて騙されたに違いない」
会長は鼻で笑って、せんべいを頬張った。
逆風がビュービューと吹いている美術部。果たしてこの先どうなるのだろうか。
*
九月一日。
「はああ~……」
「スガちゃん、そんなにため息ばっかついてたら私の幸せまで逃げていきそうだからいい加減にしてよ」
カクちゃんこと赫多かえでさんに少しきつめの口調で注意され、私は「ごめん」と謝った。
気分がどんと落ち込んでいるのは、実力テストでこれでもかとばかりにボコボコにされたからだ。大学入試を想定した難易度の高い問題に出くわすとは思わず、完膚なきまでに打ちのめされてしまった。
きっと、この前の心霊ツアーのせいだ。古川恵さんが心霊写真なんか撮ってきてその呪いが私に降り掛かったに違いないのだ。神主さんとお坊さんと神父さんの三重がけでお祓いして貰ったって言ってたけど、絶対に効いていない。お祓いちゃんぽんしたせいでかえって神様仏様イエス様がお怒りになったんじゃないか。
……というのは馬鹿らしい他責的な思い込みだとわかっていても、そう思わないとやってらけないぐらいテストの出来は散々だった。今回の実力テストは確実に下から数えた方が早い順位になるだろう。
「私だって全然できなかったんだから。ま、
「って言われてもガクーンと来るよ……」
「じゃあこういう時は愛情一本!」
出た、すっぽん生き血ドリンク。それでも私は元気になれるものなら何でも良いとばかりに受け取って飲んだ。このカーッと頭に血が上る感覚は久しぶりだ。
それから私達は始業式に臨んだ。一学期の時はアウェーな雰囲気で針のむしろに座っている気分だった私だが、今は堂々と緑葉の一員としてこの時を迎えている。みんなどこかソワソワしているのは、黒部真矢先輩の優勝報告会を楽しみにしているからだろう。
校歌斉唱、館長先生の式辞と続き今津生徒会長の挨拶。私の話よりもこの後の優勝報告会の方が楽しみだろうから手短に話します、と自虐的なスピーチで笑わせて本当に三十秒足らずで話し終えてしまった。相変わらずな御方だ。
しかし優勝報告会に移る前に、もう一つ式次第があった。
「それでは、今学期より新たに着任されました教員を紹介します。
名前を呼ばれて、半袖ブラウスにグレーのパンツスーツスタイルの女性が登壇した。黒髪は肩まで伸びて前髪は七三にきっちりと分けられている。顔のパーツもなかなか整っていて周りのどこからか「ほぉ」なんて声が聞こえてくる。
しかし私はなぜだか、言いようもない既視感に囚われていた。どこかで会ったような気がしてならなかった。
「今日から緑葉女学館に赴任することになりました、
私は気になりながらも拍手を送った。
*
放課後、生徒会室に集まった私達サブは手分けして、廊下も一緒に掃除した。一ヶ月間人が出入りしていなかったのに結構ホコリが溜まっている。
「ゴミはこれで全部だな」
古川さんがゴミ袋の口元を縛る。
「じゃ、私ゴミ投げ行ってくるわ」
「な、なげ?」
「ああ、北海道じゃ『捨てる』を『投げる』っつーんだ」
「へえー。面白いね」
「つーことで、喰らえ! ゴミ投げー!」
古川さんは本当に私にゴミ袋を投げつけてきた。呪いの写真を撮ってしまい大人しくなったと思ったら大間違い。
「やめてー! 制服が汚れるー!」
「あははは! ゴミ投げゴミ投げー!」
「やーめーてーよー!」
古川さんが調子に乗り出したからちょっと「制裁」してやろうかと思っていたら、何者かに「元気だねえ」と声をかけられた。
副島睦美先生だった。
「あ、すみませんお騒がせして」
「おっ、おお!?」
副島先生が私に近寄って顔を近づけてきた。
「な、何でしょうか?」
「やっぱりそうだ! 君に会いたいと思っていたんだ! ねえ君、あたしのことを覚えているかい?」
既視感は気のせいではなかった。やっぱり、副島先生とはどこかで会っているのだ。なのに全く思い出せない。
「いえ、すみませんが覚えていません……」
「ホワット!? そっ、そんな馬鹿なー!」
副島先生は大げさに頭を抱えた。いや、この言い回しといい、どこかで、どこかで聞いたことがあるのだ。しかし始業式の真面目な態度から変わりすぎだろうこの人。
そこに美和先輩が姿を見せた。副島先生はあいさつもせずいきなり先輩の肩を掴んだ。
「おおおおお!! 君もか! ちょうどいいところに来た! 君にも会いたいと思っていたところだよ! 君ならあたしのことを知っているだろう!?」
「え、副島先生ですよね? さっき始業式で挨拶されてましたけど?」
美和先輩ですら若干引き気味になって後ずさりした。
「あああー!! 違う! 違う! ちーがーうーだーろーこのハゲー! ……じゃなかった」
どこかの暴言議員みたいなことを叫んだせいで、団さんと茶川さんまで何事かといった感じで生徒会室から出てきた。
「よし! 最大のヒントをあげよう!」
副島先生はメモ帳を取り出して一枚破くと、そこにボールペンで何やらササッと書いた。
「どうだ! これを見ても思い出さないか!?」
見せられたのは「6045」という数字だった。瞬間、脳の底に眠り込んでいた記憶が水面めがけて急浮上した潜水艦のごとく表にドバッ、と出てきたのである。
「ああー! 栗木芸術大学で会った囚人服の学生さん!」
「ザッツライト!! ようやく思い出してくれたんだね、嬉しいよー!」
副島先生が私に抱きついてきた。腰に回した腕の力で思いっきり締め付けてくるものだからたまらなく痛い。これじゃプロレス技だ。
「先生、痛がってますよ!」
「オゥ、ソーリーソーリー」
美和先輩が注意してくれたおかげで、先生は私から離れて両手を合わせた。
しかし、やっぱりそうだ。髪型も服も最初会った時と全く違っていたからわからないのも無理はなかったが、この変なノリはまさしく囚人服の学生さんだった。大学生じゃなく大学院生だが、学生は学生である。
副島先生は言った。
「えーと、どっちが菅原君でどっちが高倉君だったかな?」
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