夏といえば
「千秋、今日もどこかにお出かけかい?」
出かける前に父さんに聞かれた。
「うん。昨日は生徒会の歓迎会で、今日はクラスメートと遊びに行くの。父さんも祝日なのに大学なの?」
「こっちは明日から期末試験だからな、その準備があるんだ」
父さんはノーネクタイの半袖ワイシャツにスラックス姿で、椅子に座って新聞を読みつつアイスコーヒーを飲んでいる。母さんはすでにパートの仕事に出かけていた。
「遊ぶのは構わないが、体調に気をつけろよ。声がドナルドダックになってるじゃないか」
「これでも昨日よりだいぶマシになった方だよ。それじゃ、いってきまーす」
「気をつけてな」
七月十七日海の日。この日も予想最高気温36℃の猛暑日だ。
*
私は昨日と同じ時刻の下り線の電車に乗った。服装もTシャツにジーンズと昨日と代わり映えしてないが、このシンプルな組み合わせが一番お気に入りだ。
ドア横の三人がけの座席に一人で座っていた私は、千尋駅到達直前にLINEで赫多さんに『もうすぐ着くよー、後ろから二番目後ろのドアのとこにいます』とメッセージを送った。やがて駅に着いてドアが開くと、赫多さんが入ってきた。有名スポーツブランドのロゴが入った白いTシャツに黒のパンツ、黒のキャップというツートンカラーな出で立ちだった。
「おはよーっす」
と赫多さんは手を上げて挨拶するや、さっと私の隣の席に座る。
「おはよー」
「どうしたの、声めっちゃかすれてるけど……」
「昨日カラオケで歌いすぎた」
「ありゃりゃ。誰とカラオケ行ったの?」
「生徒会サブの子たちと美和先輩」
「み、美和!?」
電車が動き出して揺れたに合わせて、赫多さんが座席から滑り落ちそうになった。
「菅原さん、いつの間に高倉先輩と下の名前で呼ぶまでの仲に……?」
「昨日も同じこと聞かれた」
ということで昨日サブの子にしたのとほぼ同じ内容の説明をしてあげた。赫多さんが心配していたように一線は越えてない、と付け加えて。
「まあ、そういう仲で落ち着いたのならそれはそれで良いんじゃない? 菅原さん、真面目ちゃんだから弄ばれるんじゃないかなーと思ってたけど」
「私、そんなに真面目じゃないって」
少ししゃべっただけで喉がちくちく痛む。私はバッグから、昨日の帰りに家近くのコンビニで調達したのどスプレーを取り出して「あ~」と声を出しながら喉に噴霧した。ミントの香りとメントールの冷たい刺激が患部に染み渡る。
「大丈夫?」
「昨日の方がまだ酷かったよ。ところで、私達どこに行くの?」
「さあ? 宮崎さん、とにかく
赫多さんと遊ぶ約束を取り付けたところに割り込んできた宮崎杏樹さん。その目的は私達が遊んでいるところを写真に撮って夏休み明けの『GLタイムス』に載せることである。それで三人でどこに遊びに行くか話し合ったのだけれど、宮崎さん曰く「フォトジェニックな場所を知ってるから任せて」と。
だから言う通りにお任せしたのだが、一体どこなのかは当日のお楽しみということで教えてくれず仕舞いだった。一つはっきりしているのは、東雲寺駅は私が初めて足を運ぶ場所ということだけである。
「東雲寺ってお寺があるんだよね?」
「そうそう。結構大きな寺で観光客もたくさん来るよ。特に二月の火祭りは外国からも観光客が来るぐらい賑わうからね」
「へえー!」
赫多さんが言うには、東雲寺の火祭りは日本で有名な奇祭の一つで、天を衝かんばかりの豪快な炎が夜中の境内で見られるのだそうだ。ただでさえ暑いのに、祭りの様子を想像しただけでも余計に暑くなってくる。
「東雲寺も確かにフォトジェニックって言えばフォトジェニックな場所かもしれないけれど、やっぱり行くんだったら火祭りの時が一番だね」
話を聞いているうちに興味が出てきた。来年になったら行ってみようかな。
東雲寺駅はJR西部線ではなく、
そうして着いた東雲寺駅。平屋建ての駅舎を出ると宮崎さんがいた。
「おっはー」
「おはよう……って、何故に制服なの?」
そう、宮崎さんはどういうわけか緑葉の制服を着用していた。
「一応、部活動だからね。仕事着だよ」
「プロフェッショナルだなあ」
「あれ、菅原さん声がめっちゃ変だ。ドナルドダックになってる」
何度同じことを言われたやら。
「カラオケで歌いすぎたんだって」
と、赫多さんが代弁した。
「お大事に。今日私が連れて行くコースにはカラオケは無いので安心して」
「東雲寺に行くの?」
「ううん、東雲寺に行くんだったらやっぱ冬の火祭りだよ。夏といえば海でしょ!」
「海!」
これは全く想定していなかった。
「でも水着とか持ってきてないけど」
「ははっ、別に泳ぎに行くわけじゃないって」
「あっ、わかったかもしんない。宮崎さんが行こうとしている所」
赫多さんがポンと手を打ったが、私はさっぱりわからず首をかしげた。
「とりあえずバスに乗ろう。着いたらわかるよ」
*
昨日の都会的な空気とは打って変わっての田舎の空気を、私はバスに揺られながら堪能する。やっぱりこっちの方が好きだ。
バスには空きがあり、私達以外に三人しか乗っていない。私は窓側の席でその隣に赫多さんが座り、前の座席に宮崎さんが一人で座っていた。彼女は見るからに高そうなカメラを車窓に向けて撮影している。
「本格的なカメラだねー」
私が言うと、宮崎さんが私達の方に振り返った。
「これ、父さんのお下がり。父さんも写真が趣味なんだ。じゃ、今からお二人さんを撮ってあげようか」
「え、今から?」
「ま、試し撮りということで。実はまだ貰ったばかりで今日で使うの二回目だから、まだ勝手がよくわかってないの。特に人物を撮るのは初めてだし」
それなのに女の子どうしが遊んでいる写真を撮ろうとしていたのか。いやはや度胸があるというかなんというか。
「じゃあとりあえず、ピースしときゃいいの?」
赫多さんがにっこり笑ってピースサインをすると、宮崎さんは「いや、違う違う」と首を横に振った。
「赫多さん、菅原さんの肩に頭を預けて。で、菅原さんは物憂げに外を見つめるの」
「ええっ?」
いきなりそんなこと言われても、って言おうとしたら赫多さんが「こう?」と私の肩に寄りかかってきた。
「ちょっと、この体勢はいろいろとまずいんじゃ……」
「ん? 私は構わないけど」
「いや、赫多さんは良いかもしんないけどさ……」
宮崎さんが笑った。
「あー、あの
「でも万が一報道部の手にでも渡ったらどうすんの? 『菅原千秋、不倫略奪愛発覚!』なんて見出しで『GLタイムス』に載りでもしたら生徒会をクビになるどころか学校にいられなくなっちゃうよ」
「……ふーん。私のこと、信用してくれないんだ。私、一切そんなつもりないのになあ……」
宮崎さんは叱られた子犬みたいにシュン、とうつむいてしまった。逆に私が悪いことをしたような気持ちに駆られ、「ごめん」と謝った。
「まあ、好きなように撮らせてあげたら? 万が一流出したらその時は宮崎さんを、ね?」
「何赫多さん、その意味深で不気味な笑みは!」
宮崎さんはブルッと震えた。きっと煮るなり焼くなり好きなようされてしまう自身の姿が思い浮かんだに違いない。
「そこまでビビらなくても……でもわかった。万が一の時に宮崎さんが全部責任取ってくれるなら撮っていいよ」
宮崎さんの顔つきが露骨にぱあっ、と明るくなった。
「ありがとー! じゃあさっき言った通りの構図でお願いね」
さっきのビビリ具合はどこへやら、である。ということで、私は窓の外を見つめ、赫多さんが再び私の肩に頭を預けた。
「赫多さん、居眠りしてみて。で、菅原さんはちょっと表情が固いなー。『明日の休み明けだりーな』って感じになって」
こと細かに注文をつけてきたが、言われた通りにした。休み明けは特にだるいとは思わないので、代わりに「宮崎さんがいろいろ注文つけてくるの何だか嫌だなー」という気分になった。
「ああいいねいいねー! じゃ、そのままで……」
カシャカシャ、っとシャッター音がした。
急に、宮崎さんも何も言ってないのに、赫多さんが右手を私の左手に重ね合わせてきた。それが思ったよりも力強くてギクッ、となる。
「おおお赫多さん、それサイコー!」
宮崎さんは褒めちぎりながらシャッターを切った。
撮られた写真をその場で確認させて貰うと、素人がスマートフォンで撮影したのと全く違うクオリティにびっくりした。器材と腕前が違うだけでこうも差が出てしまうものなのか。
「うわ~……聖良に見せらんないのがもったいないよ」
赫多さんの絶賛に宮崎さんはどうだ、とばかりの得意気な表情を浮かべる。一方で私は、赫多さんのさっきの手つきがいやに気になって仕方がなかった。
*
東雲寺駅を出て半時間、私達は終点の「乃理」という名前のバス停で降りた。
バス停のすぐ側にはフェリー乗り場があり、その向こうには大海原が広がっている。七月の陽光を浴びて青くきらめく海面は綺麗という表現以外に思いつかず、私はため息を漏らしながら見つめた。
「ん~潮風が気持ちいい~」
赫多さんが伸びをした。その瞬間を宮崎さんはすかさず写真に収める。
「うへへ、ばっちり頂きましたー」
「何がうへへよ、もう。海も撮りなよ海も」
赫多さんは呆れ笑っている。
海を見るのっていったい何ヶ月ぶりだろうか。少なくとも、東京から引っ越してきてからは初めてだ。
「さて、ここからまたちょっと歩くけど水分補給は大丈夫?」
「ちゃんと準備してるよ」
私はバッグの中から水筒を取り出して見せた。赫多さんも同じく水筒を見せる。
「よーし、じゃあ行きますかっ」
宮崎さんが軽やかな足取りで歩き出す。そんなに張り切って大丈夫かな、もう結構うだるような暑さになっているのに。
「ねえ菅原さん。ここは『
唐突に宮崎さんはくるっと振り返って言った。
「ノリ? ノリ……まさか食べる『海苔』じゃないよね」
「正解! そのまさかだよ。ここは海苔の産地でもあるからね」
「へえー。でも何でこんな漢字になったんだろう?」
「大昔の古文書で海苔のことをこう書いてたらしく、それが今に伝わってるんだって。ちなみに今は平成の大合併で
海苔の町だから乃理町か。何とも単純明快だなあ。
海の景色を堪能しながら、時折水分補給しながらゆっくり歩いていく。気がつけば宮崎さんがずっと会話をリードしている。だけどおかげで気が紛れて暑さがさほど苦にならない。
しばらくすると、砂浜が見えた。あまり広くはないが海水浴場になっていて、水着姿の人たちがたくさんいて賑わっている。
「みんな楽しそうだなー。ここで泳ぐのも良かったんじゃないの?」
と、赫多さんが宮崎さんに言った。
「ダメダメ。こんなところで撮影したら盗撮と思われちゃう。それに私泳げないもん。だから緑葉に進学したんだし」
そう。我が母校にはプールが無く、よって水泳の授業も無いのである。しかし泳げないからという理由で緑葉に来るなんてある意味凄い。前期課程の入試でも結構難易度が高いと聞いているのに。
「今回向かうのはあっち」
宮崎さんが指さした方向には鳥居があり、赫多さんは「あー、やっぱりここかあ」という反応を見せた。
「ここが
宮崎さんの説明では、この神社には
私達は鳥居の近くまで寄る。その向こうに見える光景に私は絶句した。何段もの階段が連なっていたのである。
「これ……上がるだけで大変じゃないかなあ?」
生徒会合宿の時に登った坂道よりはなだらかだけれど、この暑い気温の中だと話は違ってくる。途中で水筒の使用は必須だ。
「足腰鍛えるにはもってこいだよ。自分のペースで上りゃいいから」
「あっ」
赫多さんが私の手をぎゅっ、と引いた。
彼女とは仲が良いし、さすがに美和先輩レベルまではいかないけれどスキンシップを取ることはある。だけどあのバスの中の出来事といい、この手付きにはなぜか違和感が拭えなかった。
「おっと、その前に挨拶しなきゃ」
鳥居をくぐる前に、赫多さんは私から手を離し、律儀に鳥居に向かって一礼した。私も見よう見まねで赫多さんに倣ったら、後ろでシャッター音がしたのだった。
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