第4話 夏休み前
一学期最大の山場・夏季生徒総会
一学期期末テスト最終日。最後の科目の現代社会が終わった後に私は脳みそがドロドロに溶けてしまったような感覚に陥って、しばらく放心状態になってしまった。テストに「無我」という単語が出てきたがまさにの境地だった。
でも明日金曜日は自宅学習日。先生たちが丸一日かけてテストの採点をするために授業が無いのである。自宅学習と銘打っているけれど誰が学習なんかしてやるか。丸一日クタクタになった脳みその回復に当てるのだ。とりあえず、クーラー効かせた部屋でゴロゴロしたいなあ。今年はめっちゃ暑いしなあ……。
「コラ、聞いてんのか菅原!」
「ひゃあっ!!」
体中に高圧電流を流されたかのように、私は思わず飛び上がってしまった。その弾みでパイプ椅子が大きな音を立ててひっくり返る。
声の主、ロの字に配置された机の上座に座っている今津陽子会長はあからさまに大きなため息をついた。
「大事な大事な生徒総会が眼の前だってのにぼけーっとしやがって。余裕のよっちゃんだなあ、おい」
クスクスと馬鹿にしたような笑いがあちこちで聞こえて、私は赤面した。
そう、ここは生徒会室。テスト明け間もなく夏季生徒総会が開かれるため、常任委員も集めて議案について話し合っている真っ最中だったのだ。で、明日の自宅学習日も登校して丸一日使って議論する、ということをすっかり忘れてしまっていたのに気づいたのである。
「学校経営陣に早急なトイレ改修を求める議案について聞いたんだが、どーせなんも考えてないんだろうな」
「すみませんでした……」
「もういいよ。熊田保健委員長、トイレの使い方の衛生教育の前後でどういう成果が出たか教えてくれ」
「はい。まずアンケートの結果ですが……」
私は心の中でため息をつき、うなだれた。何だか先月の異種剣技戦のあたりからバイオリズムが低空飛行の状態になっていてダメダメだ。どこかで悪循環を断ち切らないと。
今日の話し合いが終わった後、会長が私を控室の方に手招きした。さっきのことでまた怒られるのかと憂鬱になったけれど、
「ほい。これで飲み物でも買いなよ」
そう言って百円玉を握らせてきたのだった。
「そんな、迷惑かけたのに……」
「悪いと思うんだったら黙って受け取れ」
「あ、はい。すみません……」
「すがちー、期末テストはきつかったかい?」
会長の表情がさっきとは打って変わって柔らかくなった。
「はい、中学校の頃と比べたら遥かに難しくて……」
「でも君は倍率四十倍の試験を突破してここに来たんだから大丈夫だろうよ。生徒総会という山場を乗り切ったら夏休みが終わるまで楽チンになるからな。明日の話し合いは性根入れてかかれよ」
「はいっ!」
会長の励ましの言葉を受けて、ほんのちょっとだけバイオリズムが上向きになった気がした。
控室から出ると、高倉美和先輩が「泣かされなかったー?」とからかうように聞いてきた。
「まあ、明日は性根入れてかかれと言われました」
「ここの生徒総会、他所と違って丸一日時間使うからね。前準備もそれなりにやっとかないと。一筋縄ではいかないから覚悟しといてね」
「はい、気合いいれてかかります」
下校時刻までまだ時間があるので、とりあえず一階にある自販機コーナーで飲み物でも買ってダベろうという先輩の誘いに乗った。
自販機コーナーでは一番高いペットボトル飲料でも百円で買える。さっき会長から貰ってポケットにしまっていた百円を取り出そうとしたら、先に美和先輩が百円を入れて「何が飲みたい?」と聞いてきた。
「あの、すみません。実は会長からも百円おごられてるんですが」
「じゃあそれは今度使ってよ。私だって千秋におごりたいんだから」
「そういうことでしたらじゃあ、ごちそうになります」
私は手を合わせて礼を言ってから、ウーロン茶のボタンを押した。美和先輩も同じウーロン茶を買った。
今年はあちこちで観測史上最高温度を記録するぐらいの猛暑である。教室は冷暖房が完備されているが、一旦外に出ると容赦ない熱気に包まれる。そんな中でキンキンに冷えたウーロン茶で喉を潤すのはとても爽快な気分だ。テスト続きでうだった脳みそにもよく効いてたまらない。
「美味しい?」
「あー、もう最高です!」
美和先輩がニヤリと笑った。
「そりゃ良かった。じゃあ、ウーロン茶の分だけやってもらいたい仕事があるんだけど、聞いてくれるよね?」
「あっ」
しまった、ハメられた……。
「そんな『してやられた』みたいな顔しないでよ。これは千秋にしか頼めない仕事なんだから。さっきの汚名返上もしたいでしょ? ね?」
先輩が私の肩に手を回して甘えるような声で囁いてきた。そこまで迫られたら「いいえ」なんて返事なんかできない。
「仕事って、何です?」
「あの噂はもう聞いてるかな」
「噂?」
「それはね……」
先輩に言われて、またもやすっかり頭の中から抜け落ちていた重大なことを思い出した。生徒総会で取り上げられるであろう、あの案件のことだ。
その対策として告げられた私の仕事は百円のウーロン茶一本では到底見合わないような内容で、ズシーンとプレッシャーがのしかかってくるのを感じた。だけどそれは先輩の言う通り、生徒会執行部の中ではきっと私にしかできない仕事だった。
「うまくいけば汚名返上どころか大手柄だよ」
美和先輩が私の目を見据えて、力強く励ます。
「わかりました、やってみます」
こうなりゃ腹をくくっていくしかない。
*
緑葉女学館の生徒総会は七月半ばと十二月半ばに、一時間目から六時間目まで丸一日かけて行われる。生徒の裁量が大きいという我が校の特徴ゆえに生徒の意見の反映の場である生徒総会のボリュームは必然的に大きくなるのだ。
前日は体育館で準備と打ち合わせをして、今朝も早く登校して進行シナリオの最終確認をして。昨晩はあまり寝られなかったけど、緊張感が勝っているせいか眠気は飛んでいる。さらに気合いを入れるために、久しぶりに古徳さん謹製のスッポンの生き血ドリンクも飲んだ。おかげでアドレナリンがドクドクと血液に乗って循環しているのを感じている。でも鼻血はもう出さない。
美和先輩から告げられた「仕事」は一応終わらせることができた。だけどそれが実を結ぶかどうかはまだわからない。もっとも「その時」が来なければいいのだけれど……。
一時間目開始のチャイムが鳴り終わるとともに、司会進行役の美和先輩がステージ脇のマイクの前に立って一礼した。
「只今より、緑葉女学館平成二十九年度夏季生徒総会を執り行います。まずはじめに、会長の今津陽子より開会の挨拶がございます」
ステージに設けられた役員席に座っていた今津会長が立ち上がって、演台に立って一礼する。
「おはようございます。今日も猛暑日なので適宜水分補給を怠らないようにしてください。以上です」
え、え? それだけ?
パラパラとした拍手と大きなざわめき声と笑い声、そして野次も飛んだ。
「ありがとうございました。それではこれより、議長と副議長を決定します。議長は五年西組学級委員長
ありません! という声をもってすんなり承認となった。ちなみに園川さんは私と同じクラスで普段は寡黙だけど、ホームルームではみんなの意見をうまくまとめてくれる聞き上手なので、私が副議長に推薦したのだった。
「それでは工藤さん、園川さん。議事進行をお願いします」
両名は演台に立ってまず挨拶した後、総会の流れと採決のルールの説明を行った。
その後がいよいよ本番である。第一号議案・一月から六月までの生徒会活動実施報告。第二号議案・各常任委員会の活動実施報告。第三号議案・各部活動の活動実施報告。第四号議案・秋の体育祭、文化祭活動日程と内容について。ここまではとんとん拍子に進んでいった。
問題は第五号議案からである。各学級でとりまとめた意見を出して議論して採決するのだけれど、先輩たちによるとこれが一番揉めるのだそうだ。それだけ活発な議論が行われているという証拠だ、と先輩たちは笑いながら話していたけど……私が懸念しているのはそのことではなかった。
「それでは第五号議案に移る前に、いったんここで休憩といたし……」
工藤先輩が言い終わりかけた時である。
「議長っ、議長っ!!」
立ち上がって大声で叫んでいる生徒の顔を見て、やっぱりこの時が来てしまったかという残念な気分に陥った。
「はい、何でしょうか?」
工藤さんが指し示したところにいる元図書委員長、竹園先輩の元に私はマイクを持って駆け寄っていった。気が進まなかったが、総会は生徒の意見表明の場であり、妨害するようなことはしてはならない。
先輩はマイクを受け取ると、演台を見据えながら大きめの声で告げた。
「五年南組の竹園です。今津陽子会長ならびに高倉美和副会長の不信任案を提出させていただきます!」
大きなざわめき声が起きて、体育館の緊張が一気にピークに達した。
「ただいま竹園さんから生徒会長ならびに副会長の不信任案が提出されましたが、不信任案動議成立には十名以上の賛成者が必要です。不信任案動議に賛成の方は手を挙げてください」
ババッ、とあちこちで手が上がる。その数は十人どころではない。半分には届いてないようだけれど、いつか聞かされた不支持率40%の数字が形になって見えると面食らってしまった。
「所定の賛成者がいますので動議は成立しました。よって生徒会会則第四十七条に基づいて、不信任案を直ちに議題とさせていただきます」
とあくまで冷静に告げたが、生徒たちはそうではない。特に一年生たちのざわめき声が大きい。何せ初めての生徒総会でいきなり会長と副会長をクビするかどうかという重大な決定をさせられることになったのだから動揺するのも無理はないだろう。
今津会長と美和先輩は、席に座って微動だにしていなかった。
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