結着
私と高倉先輩は、
JR西部線ではお互い終始無言で、芸大方面に向かうバスでは二人分の座席を確保できて隣りどうしで座れたものの、やはり無言のままだった。
バスは市街地を抜け、丘陵地を登っていく。出発から十分ちょっとで「栗木芸術大学前」バス停に辿り着いた。バス停のすぐ横に正門があり、そこからキャンパスに足を踏み入れた。
私服の学生しかいない中で、ボレロにジャンパースカートの制服姿の私達は目立つ。行き違う学生たちは例外なく私達の方を見たが、私からすればどっちもどっちだと思う。何せ学生たちは原宿で見かけるような、奇抜な服装に身を包んでいるのが多いのだ。芸大生は一般学生とちょっと感覚がズレている人たちの集まりとは聞いていたが、それが服装に体現されている。
キャンパスの内部へと歩みを進める中で、私はここで初めて先輩に口を聞いた。
「寒川さんはどこにいるんです?」
「知らない。油絵コースに所属していること以外はね。今から学生課で聞いてみる」
唐突に後ろから「おーいそこのお二人さん!」と声をかけられた。振り返った私は声の主の姿に「何じゃこりゃ?」と口走りそうになった。囚人服のような縞模様の服を着た、いや、「6045」という数字を胸に縫いつけた囚人服そのものを着た女子学生だったからである。
「おおー、その深緑色の服、なかなかシックで良いねえ! 服飾コースで見かけない顔だけど、どこのコース所属なの?」
「すみません、私達高校生なんです。これはただの制服でして」
高倉先輩が答えると、女子学生は「オゥ、ソーリー!」と何故か英語で謝った。
「あたし佐賀からやって来たばっかだから、ここら辺の学校事情にゃ疎いんだ。ソーリーソーリー。でも高校生が何の用かな? 今日は火曜日だから授業があるでしょ?」
と、至極まともな質問をしてきた。
「油絵コースの寒川恵梨香さんに用事があって会いに来たのですが。ご存知ですか?」
「寒川さん? ああ、知ってる! それならカフェに行くといいよ。毎週火曜の二限目は講義を入れてなくてそこで時間を潰してるんだ。あと三十分もすりゃ来るんじゃないかな」
学生はカフェがある建物を指差して教えてくれた。ついでにどのメニューがオススメといったことも。見た目は変だがいい人そうである。
「ありがとうございます」
「ヘイ! ジャスタセカンド!」
「何でしょう?」
学生は私の顔をマジマジと見てくる。
「君、よく見ると寒川さんにそっくりだねえ。犬っぽいところとか。もしかして妹さんかい?」
「い、いえ。違いますけど。そんなに似ています?」
「うん。だけど顔だけだね、雰囲気は全然違う。君がチワワなら寒川さんはドーベルマンっていったところかな」
褒めてるのか貶してるのかよくわからない品評だった。
「そんなあなたについでにクエスチョン。この囚人番号の意味は何でしょう?」
ニコニコしながら唐突に、胸を指して聞いてきた。四桁で連想されるのは日付か時間だが、どちらもあり得ない数字だ。となると、
「学籍番号ですか……?」
「ピンポーン! 大正解~! あたしゃね、人間を数字で縛ることへの反発として囚人ファッションやってんの。テストの点数。営業の売上。順位。人を数字化して価値をつけようだなんて馬鹿らしいことだよ、そう思わないかい?」
「え、ええ。わかります、わかりますとも」
私は棒読みで適当に相槌を打った。
「そうか、わかってくれたか! そのことをちゃんと覚えて、学校生活頑張ってね。じゃあ!」
囚人服の学生は満足した様子で、軽やかな足取りで去っていった。
「……何だったんでしょうね、あの人」
「でも、ちょっと緊張感はほぐれたかも」
私達は久しぶりに笑いあった。
*
大学のカフェや学食は外部者でも利用できるところが多い。父さんの勤め先だった恵央大学に遊びに行くことがあってにカフェや食堂を利用したことがあるのだが、値段の割には美味しい飲食物が提供されるのでさすが大学ともなると違うな、と実感したものである。
栗木芸術大学のカフェにも安い値段で色が鮮やかなスイーツが提供されていたが、私達はコーヒーだけ口にすることにした。そうして寒川さんが来るのを待つ。
落ち着ける場所で、私達はようやく会話らしい会話を交わすことができた。
「私の女癖は、そもそも寒川さんのせいなの」
「というと?」
「あれは一年生、二学期始めの頃だったかな。唐突に寒川さんが私の教室にやって来て『絵のモデルになって欲しい』って言い出したんだ。綺麗で可愛い子で前から目をつけていたんだ、って。素直に言われたら誰だって嬉しいじゃない? だから私は美術室について行ったのね。それでモデルになってあげたんだけど、その後二人きりになって、それで……」
その後に何が起きたのかは聞かなくてもわかる。相手も言おうとしなかった。
「それからは何度も同じことをしたけど、それが待ち遠しくなってしまった自分がいた。だけど体だけじゃなくて、精神的な繋がりもあったと思う。私には絵心が無いけど、どの作品はどうとか、自分の目指したい作品はこうだとか、いろいろ教えてくれたし。だけど、関係は長く続かなかった」
「外部進学のためですか?」
「そう。あの人、前期課程修了式(中学校卒業式に当たる行事)の前日に私を呼び出して別れを切り出したの。隣県の高校の美術科に行って絵に専念したいからって。それから私は、ヤケになっていろんな女の子に手を出すようになった。寒川さんへの当てつけとして、特に彼女に似た顔立ちの女の子を狙ったの」
「その中には当然、私も含まれていたわけですね」
「ええ。とりわけ、あなたが一番そっくりだったよ」
先程の変な学生も同じことを言っていたし、ああやっぱりな、と思う。
実はと言うと、私はすでに寒川さんの顔を知っている。昨晩、今津会長から画像が送られてきたがこれこそが寒川恵梨香本人が写っている写真だったのだ。会長曰く美術部員を脅してなだめすかして手に入れたとのことだが、髪の毛を金髪に染めている以外、顔のパーツがほぼ私にそっくりだった。「世の中は自分にそっくりなのが三人いる」と言うけれど、最初見た時はあまりに似すぎていてゾッとしたものだった。
この画像は高倉先輩には送られていない。そしてとある秘密が込められている。もし高倉先輩が窮地に陥った場合はこいつを突きつけろ、と会長から仰せつかっている。
私は文字通り、先輩の懐刀となるのだ。
「来た」
入り口の方に目を向けると、私の顔に酷似した学生が現れた。ブラウスにスカートという、囚人服学生に比べたら普通の出で立ちである。しかしながら髪の毛は金ではなく、ピンク色に変色していた。アニメか漫画のキャラクターでしか見たことがない髪の色だが、現実で見ると違和感バリバリだ。
コーヒーを受け取った寒川さんが私達に気づくと、目を剥いた。高倉先輩と私達は立ち上がり、頭を下げた。
「久しぶりですね、恵梨香先輩」
私達のテーブルにやって来た寒川さんは高倉先輩と目線を合わせようとせず、コーヒーに砂糖を入れながら答えた。
「前に会ったのは二月だったっけ、あたしの高校の卒業式の前日」
「そうです。あの時はまあ、いろいろお世話になりました」
「何の用で来たのかはだいたいわかるから聞かない。このあたしそっくりな新しい恋人自慢に来たってわけではないでしょ?」
寒川さんは私に向けて顎をしゃくった。その横柄な仕草に少しイラッときてしまった私は、「恋人ではありません」と少し大声で反論した。
「私は菅原千秋と申します。今回、高倉先輩のアシスタントとして同行させて頂きました」
「アシスタント? ああ、『サブ』の子ね」
「そうです。編入生ですけどなかなか優秀な子ですよ」
寒川さんは高倉先輩の言葉を「あっそう」の一言で片付けた。
「後輩から聞いてるよ、あんた、あたしと似たような顔つきの子ばかり食ってるってね。その子もどうせ、そういう目で見て引き込んだだけのことでしょ?」
「否定はしません。恵梨香先輩のご指導の賜物ですからね」
皮肉を言われた寒川さんが顔をしかめる。
「ですが、この子には緑葉女学館生徒会を担って余りあるだけの力があります」
「あっそう。自慢はいいから、さっさと用件に入って」
「では、だいたいわかるとおっしゃるのでもう単刀直入に言いますね。コンピュータ部に関する虚偽の告発、ゴールデンウィーク開けの私に対する誹謗中傷の怪文書。全て寒川先輩の仕業ですね?」
「そうだよ」
あっさりと認めた。罪悪感のカケラも持ち合わせていない感じで。
寒川さんはコーヒーを一口で飲んで、カップを乱暴にテーブルに叩きつけるように置いた。
「あたしの心を弄んだあげく美術部を潰そうとしやがって。可愛い後輩たちの活躍の場を奪って。わかる? この恨みが」
「ベッドの上でベラベラしゃべったのが運の尽きでしたね。私だってあなたに捨てられた恨みは忘れていなかった。だったらお互い様でしょう。だけど、先輩には幻滅しちゃったなあ。自分の漏らした悪事で逆恨みして、それで私に直接怒るならまだしも、影でこそこそと動いて周りくどいことをして。こんな小物と愛し合っていたのかと思うとゾッとします」
例の怖い笑顔を浮かべてまくし立てる高倉先輩。だけどこの笑みが今日は頼もしく見えた。
寒川さんは唇を噛んで身を震わせていたが、急に立ち上がって空になったカップを掴んだ。高倉先輩に投げつけるつもりだ。
「何するんですかっ!」
私はとっさに身を乗り出して寒川さんの腕を掴んだ。カップが弾みで落ちる。プラスチック製だったのが幸いして割れることはなかったが、周りの注目を集めてしまった。寒川さんが周囲を睨みつけると、学生たちは関わりたくないといった感じで目を逸らしていった。
これじゃ狂犬だ。
「……で、あたしにどうしろっていうの」
寒川さんは息を整えないまま言う。
「簡単なことです。二度と緑葉女学館に関わらないで頂きたい。私ともこれ限りで縁切りです」
「それだけ?」
「ええ、それだけです」
寒川さんが大きなため息をつき、頬杖をついた。
「あたしね、本気で愛していたんだよ。美和のことを。外部進学した時に別れたけど、美和のことが片時も頭を離れなかった。本気で後悔したよ。いろんな女の子に手をつけているって噂が耳に入った時も、私を失った寂しさのせいだと思って、別れた報いだと思って我慢してた。芸大進学を決めて落ち着いた時にもう一度会って、一からやり直したいと思っていたらあんたの方からやって来て……あの時は本当に嬉しかった。それなのにあんたは、あんたは!」
寒川さんは目に涙を滲ませて、先輩を睨みつける。
「そこまで私のことを思ってくれていたことには感謝します。先輩はきっと、私よりも傷ついたでしょう。その傷口を広げる真似をしたことについては、謝ります」
「それだけじゃ腹の虫が収まらない。あんたのやったことは生徒会、いや、学校を辞めてもらわなきゃいけないぐらいなんだよ? それぐらいしてもらわないと釣り合わないわ」
「学校は辞めたくありません」
「じゃあこうしよう。今後はあたしのパートナーとして暮らす。これからもずっと一緒になってくれる、というのなら許してあげても良いわ」
「その条件も飲めません」
「ふーん、じゃあいいよ。あんたがあたしにしたことを洗いざらい文書にまとめて学校周辺にばら撒いてやるから。今度は実名でね。田舎だと悪評が広まるのは早いからねえ。もうまともな学校生活どころか、白沢市で暮らせるとは思わないでよ」
「恵梨香先輩!」
先輩の目がかっと見開く。
「嫌なら、大人しくあたしのモノになりなさい。いや、お願いだからあたしのモノになって。本当はあんただって、私に未練があるんでしょ? だったらやり直しましょう? ね?」
寒川さんは初めて笑顔を見せた。それは高倉先輩がよく見せてくる笑顔と同質のものだった。ああ、この人譲りだったのか。だけど、この人の方が遥かに危険な香りがする。
「それで気が済むのでしたら……」
いけない。私の血液の循環がどっと早くなるのを感じた。
寒川さんの手が先輩の頬に伸びる。触れる寸前になって、私は意を決して刀の鞘を抜くことにした。
「ちょっと待ってくださいっ! 先輩、騙されないでください。この人、本当は微塵も先輩のことを想ってませんから!」
「何?」
不快に満ちた顔つきに変わった寒川さんに、私はスマートフォンを突きつけた。
「これに見覚えはありますよね?」
「ッ!!」
相手は絶句し、凍りついた。高倉先輩にも「ショッキングな内容ですがすみません」と断りを入れて見せると、先輩は口を手で抑えた。
全裸になった姿を自撮りした寒川さんの写真。
まだ義務教育途中にあるであろう少女の裸の自撮り写真。
そして、両者が激しく絡み合っている写真。
これが今津会長から渡された「武器」だった。
「寒川さん、高校時代から近隣の小さい子を絵のモデルに誘っては次々と関係を持っていたらしいですね。それをわざわざ写真に撮っては後輩の美術部員に自慢して。こんなことしておいてよく先輩とやり直したいなんて言えますね。これが公になったら、絵の仕事に就くどころか刑務所行きですよ。児童ポルノ法違反で」
「そ、それは……困る……」
声のトーンがあからさまに小さくなった。高圧的な態度を取る人間ほど知られたくない弱みがある、と父さんから聞かされたことがあるが、弱みが明らかにされるとこうまで勢いがしぼんでしまうものなのだろうか。
とにかく、こうなるとこちらのペースだ。
「私達は警察ではないので違法行為についてはとやかく言いません。高倉先輩が言ったように、二度と私達に関わらないと誓って頂くのであれば、このことは黙っておきます」
「う……」
「はっきり言ってくださいよ! イエスかノーか!」
私がテーブルを叩くと、寒川さんはビクッ、と肩をすくめた。やっていることは恫喝そのものだ。だけどそれぐらいしなければ、先輩と寒川さんの悪縁を断ち切ることができないだろう。
「わ、わかった……」
寒川さんはうつむいて、降伏した。
「では、これに一筆書いてください」
私はカバンから便箋を取り出して、すぐさま念書を書かせた。書き終わるとすぐに、先輩を連れてテーブルを後にした。去り際、テーブルに突っ伏して身を震わせる寒川さんに向けられた先輩の眼差しは、とても寂しそうだった。
*
帰りの電車、私達はボックス席に座った。平日の昼前とあって車内は空いていて、席には私達二人しかいない。
窓側の進行方向の座席で車窓の外を眺めながら、高倉先輩は呟くように言った。
「私は傷ついたけど、あの人も自分で自分を傷つけた。私は傷つけられたことを忘れないために傷跡を残したままにしたけど、あの人は良からぬ薬に手を出してそれでも治らず。私に二月に会った時が治療のチャンスだったのよね、あの人からすれば。でも傷は悪化して腐ってしまった、と」
電車が桃川市郊外に出た途端、山と田畑の風景が現れた。
「もしもあの人が外部進学しなければ。私が生徒会に関わらなければ。私達の関係はどうなっていたのかな……」
私はどう言葉をかけていいか迷っていた。さっきはあれだけ自分でもびっくりするぐらいの威勢のいい啖呵を切ったのに、肝心な時に言葉が浮かばないのは情けない。
高倉先輩は私の方を向いて、ニッコリ笑った。
「陽子の助けがあったとはいえ、いい仕事をしてくれたよ。ありがとう」
「い、いえ。こちらこそ……」
私は恐縮して頭を下げると、先輩はそのまま撫でてくれた。手の感触が暖かかった。
「あの。一つだけいいですか」
「何?」
「先輩は今でも、私のことを愛していますか?」
「もちろんだよ。でももう、あの人の代わりとしてじゃない。純粋に、菅原千秋という人間を愛している。そのことを、あなたにフラれて気がついたの」
先輩の言葉を聞いて、私の心がフワッとした感覚に包まれた。
「私も、今なら堂々と言えます。高倉先輩を愛している、と。でも恋愛の意味ではありません。親子愛とか、姉妹愛とか、師弟愛とか……どう言ったらいいのかな、そういう類の愛なんです。すみません、うまく説明できなくて」
「ふふ、わかってるから」
先輩はまた、私の頭を撫でてきた。
「ねえ千秋さん。お願いがあるんだけど、これからは私のことも名前で呼んでくれないかな?」
「えっ」
「私だけ名前呼びって不公平だし。恋仲になれなくても単なる先輩後輩の仲だけで終わらせたくないの。お願い」
私は頭に添えられた先輩の手を取って、両手で包み込んだ。
「わかりました。美和先輩」
「これからもよろしくね、千秋」
二人してふふっ、と笑いあった。
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