切り札
放課後の生徒会室。高倉先輩達は教師に呼び出されて、その他執行部役員も全員呼び出しを受けてサブたちが留守番を務めているという状況である。
「この件、長引きそうだねー」
事務処理を代行している団さんがボールペンを弄びながら、ため息まじりでぼやく。その正面の席では、茶川さんが黙々と書類にパンチで穴を開けてファイリングしている。いつも賑やかな古川さんはというと郷土研究会の方に顔を出しているので不在だ。だから団さんの発言を拾うのは必然的に、彼女の仕事を手伝っている私の役目となった。
「何であんな陰湿なことをするかなあ」
「本当そうだよ。緑葉って気に入らないことがあるならはっきりと面と向かって言う気質の生徒が多いんだけど、残念ながら例外はいるもんで……あっ菅原さん、訂正印は取り消し線の横じゃなく真上に押して」
「あ、ごめんごめん」
「菅原さん、何だか元気ないよ。どうしたの?」
「そりゃ、あんな事件があったらね」
「いや、それを差し引いても。何かあったでしょ?」
「うーん……やっぱゴールデンウィーク開けだから気分的に、ね」
私はごまかした。
「じゃあ元気になる話をしてあげようか。菅原さん、彼氏欲しい?」
「な、何? 唐突に……」
団さんは手の動きを止めて、体ごとこちらに向き直った。
「実は私、男子校に通ってる年子のお兄ちゃんがいるんだけど、そのツテで向こうの生徒を紹介してもらえそうなの。菅原さんもどう?
彼氏を作る絶好のチャンスだよ!」
「うーん……」
「あれ、反応薄いね。もしかして
「い、いや。そんなわけじゃないよ」
「ここは女の子同士の恋愛が盛んだからね、その熱気に当てられてもおかしくないけど。でも、ここの生徒は卒業したら大半は異性とつき合い出す。例えここで恋人を作ったとしても、所詮は泡沫の恋に過ぎないの。だったら最初から異性の恋人を作っちゃえ、ってならない? 私なんかもう彼氏が欲しくて欲しくてたまらないけど!」
目をギラギラさせて力説する団さん。相当男に飢えてるということは合宿の態度からも明らかだ。確かに、外部で彼氏を作る生徒もいるにはいると聞いている。でもここまで露骨に男が欲しいと態度に出すのは珍しいかもしれない。
お誘いの声をかけてくれたのは良いけれど、私は屋上の件で頭の中がごちゃごちゃになってて合コンしようという気分になれなかった。なので丁寧にお断りの返事をしようとしたところで、ドアがノックされた。
「どうぞ!」
「おいーす、ただいまー」
今津会長たち生徒会執行部役員のご入室である。会長は開口一番、
「皆の衆、犯人の目星がついたぞ」
「ええっ!?」
私は驚いて団さんと目を合わせた。
「結論から言うとだ、ここの生徒ではない。いや、元生徒だったというのが正確だな」
「誰なんですか?」
「
寒川恵梨香について聞くところによると、彼女には絵画の才能があって美術部のエースとして活躍し、前期課程時代は全国大会に出典した実績もあったらしい。
彼女はさらに絵を究めようとして、後期課程ではなく西隣の県にある美術科のある高校に外部進学し、そこでも全国大会レベルの活躍をして今は県内に戻り、
「何でその人が犯人だとわかったんです?」
私は訊いた。
「犯人と確定したわけじゃない。だが可能性は高いな。寒川はなおも、ウチの美術部と繋がりを持ち続けていたんだ。予算会議で揉めた時も、美術部員が寒川に相談を持ちかけていたことがわかった。私らが知らない間に学校に出入りしていたことも先生から確認を取れた」
今津会長が高倉先輩に目配せする。先輩はお昼の時とは打って変わって、険しい顔つきになっていた。
「予算編成が決まった後、美術部は生徒会に抗議してきた。でも美術部の予算の用途がおかしいことに気づいていた私は、一体予算を何に使っているのか知りたくて、直接寒川さんに接触したの。そしたらあの人は全部自白した。不正の数々をね。その情報を元に美術部を活動停止に追い込んだのだけれど、おかげで寒川さんに逆恨みされたらしいの」
「要は、コン部告発の件と今回の怪文書の件、寒川が全部美和ちゃんを貶めるためにやったと考えられる」
「そんなの、自業自得じゃないですか。先輩が恨まれる筋合いはありませんよ!」
私は声を荒らげた。だけど高倉先輩はかぶりを振る。
「問題は予算不正を暴いたことじゃない。その方法がちょっと、ね」
「方法?」
「私、寒川さんと寝たの」
「!」
バタンと音がしたが、茶川さんがファイルを落としたようである。役員たちの顔を見るとこわばってはいるが、すでに何もかも知っている様子だった。
「まあ補足するとだな」
今津会長が割って入る。
「実は前期課程の頃に寒川と美和ちゃんは一時期付き合っていたんだ。それなりに深い仲を築いていたから、そのことを利用したに過ぎない。だけど恨まれても仕方ない面はあるな」
「そのことは、先生も知っているんですか?」
「信用できる先生の間しか知らない。いくら不正を暴いたとはいえ、真っ当な手段ではないからな。仮に外に漏れて館長先生の耳にでも入ったら最悪、生徒会活動も停止にるかもしれん」
「そんな……」
重苦しい空気が生徒会室を包みこむ。
「それで、どうするつもりですか……?」
「もう一度直接、本人に会って確かめてみる。犯人だったら、それなりの対応をさせてもらうわ。百歩譲って私にも悪い点があったにしろ、無関係の生徒を巻き込んだことは許せない」
「あのっ!」
なぜだろうか。私は考えるより前にこう言った。
「私も一緒に行かせてください!!」
「何言ってるの」
高倉先輩が眉根を寄せて、ツリ気味の目がますますツリ上がる。でも私は臆さない。
「企業は悪質なクレーマーには必ず二人以上で対応する、と聞きます。寒川さんが犯人だったとして、万が一暴力的手段に打って出られたらどうしますか?」
「これは私の問題。あなたが出る幕じゃないの」
高倉先輩の口調がより一層威圧的になり出した時、今津会長が彼女の袖を引っ張って制した。そして、
「美和ちゃん、連れて行ってやりな」
「陽子!」
「すがちーとは師匠と弟子みたいな関係だろ? 師匠だったら可愛い弟子に修羅場を経験させてやれ」
「でも」
「連れて行け。これは会長命令だ」
今津会長は有無を言わさぬ態度で、高倉先輩の発言を封じ込めた。
「……わかった。ついてくるだけならね」
「よし決まりだ。動くなら早い方がいい。明日の朝にでも寒川のところに行ってくれ」
「明日ですか!? 明日は火曜日ですけど……」
「生徒会業務で公欠ということにしてやる」
こうして、私は入学一ヶ月目にして重要な仕事に関わることになった。
*
『ええっ!? 私のいない間にこんな展開になってたなんて知らなかった!』
スマートフォンから古川さんの大きな声がして、思わず耳から遠ざける。
「古川さん、うるさいよ」
『古川さん、うるさいって』
『……うるさい』
『うぇぇん、みんなしていじめなくてもいいだろうがよぉぉ』
現在、サブたちの間だけでLINEのグループ通話をしている。出された課題を片付けた私はパジャマ姿でベッドの上に転がりながら会話をする。傍から見ればリラックスしているように見えるだろうけど、心中は穏やかではない。
『で、菅原さんには何か作戦があるの?』
と、団さんの声。
「作戦? 作戦って言われても……」
『まあ、多分考えてないよね。勢い任せで申し出たような感じだったし』
はい、その通りでございます。
『いったい何が菅原さんをそこまで動かしたの』
「うーん……」
『そりゃ、「愛」だべ』
古川さんが勝手に答えを言い出して、私と団さんは「愛!?」とハモった。
『ほら、すがちーって最初に知り合った緑葉の人間が高倉パイセンっしょ。緑葉について教わったのも高倉パイセンからっしょ。生徒会に誘ってくれたのも高倉パイセンっしょ。これだけ至れり尽くせりされてパイセンに愛を感じてない、ってことはないっしょ?』
「ちょっと古川さん、私は別にその」
『おっと、愛つってもいろんな意味があるよな? 師弟愛だとか親子愛だとか、どれにも「愛」の文字がつく。すがちーが思い描いてるような愛とは違うけど、確かにパイセンに対する深い「愛」をすがちーは持っているんだ。だから助けようと思った。だべ?』
「あー……」
お調子者の古川さんにしては、珍しくまともなことを言うので私はついうなずいた。
『古川の言う通り』
と、通話に参加しているのにほとんどしゃべらなかった茶川さんまでも同意した。
高倉先輩が私に抱いている恋愛感情と違って、私が高倉先輩に抱いているのは師弟愛に近い。でも同じ「愛」という言葉で表すことができる。
その「愛」が行動の意志を起こさせたに違いなかった。先輩との関係を終わらせたくない。守ってあげたい。そういった気持ちが心の中で練り上げられていたのだ。
「私、とにかく頑張ってみる!」
『おう! 骨は拾ってやるからどーんといってこいや!』
いい加減に眠たくなったので通話を終えると、私は「良し!」と気合いを入れてベッドの中に潜り込んだ。リモコンで電灯を消そうとしたところで、メールの着信音が鳴った。
ディスプレイを見ると、差出人は今津会長からだった。会長はLINEをやっていないので、やり取りする時はいつもメールだ。
件名には『【取扱】切り札入手【注意】』とある。画像が三枚添付されていたが、それを開いた私は思わず声を上げてしまった。
「な、何よこれ……」
これでもし会長が添え書きした説明文を読まなければ、質の悪いいたずらとしてすぐにメールを削除していたかもしれない。
私は強力な武器を手に入れた。
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