間章
What is 緑葉女学館
緑葉女学館中等教育学校は、XX県白沢市岩彦に所在する私立の女子中等教育学校である。設置者は学校法人緑葉女学館。創立者・初代館長は藤瀬みや。かつては中高一貫校であったが、2006年、創立100周年の節目の年に中等教育学校に移行した。進学校として名が知られており、県内だけでなく県外からも生徒が入学し、その多くが県内外の国立大学に進学する。
●沿革
1906年、教育者の藤瀬みやがXX県白沢郡岩彦村(現・白沢市岩彦)に私塾「緑葉塾」を開校したのが始まりである。良妻賢母の育成だけでなく、最新の学問を通じ広い知識と深い教養を身につけさせることで女性の社会的地位向上を目指した。開校当時は主に岩彦村と近隣の村の有力者の子女が通学していたが、裕福でない家庭の子女も学費減免・免除で学ぶことができた。やがて遠方地からも入学してくる生徒が増え、1916年には高等女学校に移行し、「緑葉女学館高等女学校」に改称。
戦後の1947年には学制改革により緑葉女学館中等部が、1948年には高等部が設立された。
1969年に新校舎完成、旧校舎跡地はグラウンドとなる。
2006年に六年制の中等教育学校に移行。「緑葉女学館中等教育学校」と改称する。
●校風・特徴
校訓として「自由闊達」「自主創造」が掲げられている。これは藤瀬みやが旧制第三高等学校の自由な校風に憧れており、同じ校風の女学校を作りたいという思いがあったため。
そのためか必要最低限の校則しかなく、風紀委員会が存在しないために持ち物検査や頭髪検査は一切行われない。また学校行事の運営管理に教員が介入することはほとんどなく、生徒会を中心に行われている。
また藤瀬みやに化学と物理の素養があった関係で、伝統的に理系科目に力を入れており、戦前から卒業生の中で科学者になった者も現れた。
一学年あたり四組で、クラス名は東西南北と方位がつけられている。後期課程二年(高校二年相当)から理系国立・理系進学・文系国立・文系進学の四コースに分けられる。
●制服
1926年に深緑色のジャンパースカートの制服を導入。以後、マイナーチェンジを重ねながらも基本的デザインは変わらず制服として採用され続けている。
冬服は上着としてボレロを着用する。また1970年代の一時期にベレー帽が導入されていたが着用する生徒が少なく廃止された。
学年章はかつて中高等部と学年を示す記章がつけられていたが(例:高等部二年→HII 中等部一年→JI)、中等教育学校移行時に葉を象った記章に変更され、葉の枚数で学年を表すようになった。
(一年生→一枚の葉 二年生→双葉 三年生→Y字に配置された三つ葉 四年生→十字に配置された四つ葉 五年生→五芒星状に配置された五つ葉 六年生→*状に配置された六つ葉)
●生徒会
生徒会は執行部と常任委員会から成り、一月下旬から一年間の任期で活動する。六学年分を統括し、かつ生徒の裁量が大きいために仕事は煩雑である。そのため執行部役員の下に「サブ」と呼ばれる補佐役が置かれる。
生徒会選挙では後期課程四年生を対象に会長のみを選出し、新会長が執行役員と各常任委員会委員長を選任するシステムになっている。執行部役員はサブの経験者が多い。
●部活動
運動部
柔道部
剣道部
ソフトボール部
ソフトテニス部
バレーボール部
卓球部
バドミントン部
フェンシング部
文化部
茶道部
華道部
書道部
科学部
吹奏楽部
報道部
演劇部
美術部
文芸部
コンピューター部
郷土研究会
同好会
将棋同好会
料理同好会
超常現象研究同好会
●アクセス
JR西部線岩彦駅より徒歩5分
(Wi●ipedia「緑葉女学館中等教育学校」の項目より転載)
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