生徒会合宿その2

 桜子さんを留守番にして私達は家を出て、学校とは反対の方向に歩き出した。きくさんを先頭に私達生徒会メンバーが後をついていき、私達の集団の中に梅乃さんが混じってお話をしながら歩く。飼い犬のチャタローも散歩がてら、河邑先輩にリードを握られてちょこちょことついて来た。


「あれがウチの畑だよ」


 梅乃さんが右手を指差した。環川たまきがわの河川敷と市道に挟まれた場所にある畑は個人で管理している割にはかなり広い。作物はきゅうりにタマネギに大根に白菜。タマネギを植えている畑にはピンと伸びた葉が突き出ており、これが倒れると収穫どきだと祖母の梅乃さんは言う。


「元々ここも河邑家所有で農地改革で人手に渡った畑だったけど、管理してた人が農家を辞めちゃってね。その時に買い戻したんだよ」

「でも結構広い畑ですよね。だいぶお金がかかったんじゃないですか?」


 お金の話は失礼かなと思ったもののつい私は尋ねてしまったが、当時は食堂の売り上げが結構あったから簡単に買い戻せたとのことだった。


 その後、この畑ではしばらくの間食堂で提供する野菜を栽培していたが、やがて工場が進出してきて近隣の町を含めて人口が増えていき、比例するように商売敵となる飲食店の数も増えていったために売り上げが落ち込んでいった。だから取り返しがつかなくなる前に閉店し、今ではもっぱら自給自足のために野菜を栽培しているとのことである。


 さて、先頭を行くきくさんは唐突に左折して、山林に足を踏み入れた。


「ここからちとエラくなるでな、気をつけて上がるんじゃよ」


 きくさんの呼びかけ通り、林道は傾斜がきつかった。林道といってもろくに整備されておらず、人間の足で踏み固められて道が自然にできたような感じである。


 その道を八十代後半のきくさんはハナを切ってスイスイと上っていく。運動部の下敷領先輩でもついて行くのがやっとなぐらいだ。六十代の梅乃さんでも平気な顔をして私達に追従している。


「何だか、忍者みたいだね……」


 私の隣で団さんがボソッと言った。十代半ばの私達でも上がるのがきついのに、どんな忍術を使っているのだろうかと疑いたくもなるだろう。


「はぁ、はぁ……みんな、もうちょっとゆっくり歩いてよー……」


 もっと後ろの方で弱音を吐いたのは、意外にも高倉先輩だった。才色兼備だから体力もありそう、というイメージを私が根拠なしに勝手に抱いてただけだから「意外」は語弊があるかもしれないけれど。しかしとにかく、先輩は集団から遅れて取り残されつつあった。


「あははは、若いのに情けないねえ。撫子、助けてあげな」


 梅乃さんが呼びかけると、河邑先輩はチャタローに何やら呟いて、リードを離した。自由になったチャタローが「ワンッ!」とひと吠えして高倉先輩の下に向かう。


「高倉さん、リードを握ってみて」

「ワンッ、ワンッ」


 チャタローが急かすように吠え立てて、高倉先輩は恐る恐るリードを握った。するとチャタローは綱引きでもするようにグイグイと先輩を牽引しはじめた。


「わ、結構力が強いよこの子。こりゃ楽でいい!」


 高倉先輩は楽しそうで、チャタローも楽しいのか笑っているかのように見える。しかしこの犬、人間の言葉をちゃんと理解しているんだな。いたずらしてあれだけ怒られても言うことを聞かなかったのに。


「チャタローって賢いんですね」

「実はは介助犬の訓練を受けていたことがあってね。残念ながらいたずら好きの性格のせいで脱落しちゃってウチで引き取ったのだけれど、元々頭は良いのよ」


 そう言えばゴールデンレトリーバーは介助犬に向いている、と聞いたことがあるのを思い出した。


 ビリだった高倉先輩は私を追い越していき、集団の先頭にいた今津会長と肩を並べた。


「美和ちゃん、卑怯だぞー」

「卑怯じゃないもん」

「ワンッ!」


 突然、古川さんが「御大! そこ足元に気をつけて!」と叫んだ。


「え、何だ急におわっ!!」


 急に今津会長の体が前のめりで倒れこんだ。むき出しになった木の根っこの部分に足を取られたらしい。とっさに両手をついたため体全体が土まみれになることだけ防げたのは不幸中の幸いだった。


「こらクリボー! もうちょっと早く注意しろよ!」


 今津会長は汚れたままの握り拳で古川さんの側頭部をグリグリと圧迫した。


「い、痛い! 理不尽だ! これパワハラっスよパワハラ!」

「私の辞書にパワハラという文字なんかねぇんだよ」

「あいででで! この鬼畜! 人でなし! うぎゃああ!!」


 朝のチャタロートラップの仕返しとばかりに力をこめてグリグリする。とはいえ八割型おふざけが入っているだろう。古川さんが抵抗する素振りをあまり見せないのが証拠だ。でもめちゃくちゃ痛そう。


「あー、こんなの毎日くらったら脳細胞が死滅しちまうよ」


 古川さんは軽口を叩いて側頭部を手で抑えながら、木の根をひょいと飛び越えた。


 私は一つ気になったことがあったので聞いてみた。


「ねえ、『河邑先輩の家にしょっちゅう遊びに行ってる』って言ったでしょ」

「ああ」

「この道も知ってるの?」

「ああ、ここはチャタローの散歩コースだからよく先輩と一緒について行ってんだ。特に夏だとめっちゃ涼しくて最高なんだわ、これが」


 確かに、林立している木の葉っぱが太陽光を覆い隠しているからちょっと肌寒いが、夏の日には良い日除けになるだろう。


「じゃあ、この先きくさんが向かうところも当然知っているよね」

「ああ。良い物が見られるぞ。自分の目で確かめな」


 やがて、きくさんがまた左折した。程なくして広々とした場所に出た。


「着いたぞい」


 私達が目にしたのは一つの古い石柱だった。その向こう側には柵が張り巡らされていて、木々が生えていない部分がある。


 柵越しに覗き込んだ光景は雄大の一言に尽きた。「うわあ……」と感嘆の声が無意識的に漏れ出るぐらいに。


 まず見えたのは緑葉女学館の小さなグラウンド。ただでさえ小さいのに見下ろすと余計に小さく見える。ちょっと離れたところにある校舎は裏山に隠れてほとんど見えなかったが、さらに左手に目をやれば環川の流れと、対岸にある工業団地やそれを取り囲んでいる広い田畑が一望できる。自分の家まではさすがに見えないが、はるか彼方には緑濃き山々が連なっていて、青空とのコントラストがとても美しい。


「どうだ、すごく良いだろ」

「うん。絶景だね」

「今は運動場になっとるが、ワシが通っていた頃はそこに校舎が建っておったんじゃよ」


 きくさんに言われて、私達はグラウンドに視線を戻した。


「藤瀬先生はな、毎朝毎夕、ここから生徒たちの登下校の様子を見守ってくださった。亡くられる直前までの」


 校祖、藤瀬みや先生の名前がここで出てくる。


「そして今もここから、緑葉女学館を見守ってくださっとるんじゃ」


 きくさんが石のもとに歩み寄る。その正体はお墓だった。墓石は風雨に晒されて劣化していたものの、『藤瀬先生之墓』という文字ははっきりと見える。供えられている花はまだ新しい。


 墓の文字は、緑葉女学館の方を向いている。


「戦争が終わってワシの家は土地を失うたが、他の生徒も辛い目に負うた。空襲で家を失うたり、兵隊に取られた父兄が帰ってこなんだり。もうみんな学校どころじゃのうてな。それでも藤瀬先生はせめて学校を卒業させてやりたい、というお気持ちが強かった。


 その時はもう学校の経営には関わっとらんかったけど、お屋敷や身の回りのものを売り払うてワシらの学費にしてくださってな。自身はここに粗末な小屋を建てて暮らし始めたんじゃ。その御礼として、ワシらは代わる代わる先生のお世話をさせていただいたもんじゃった。


 それからワシが卒業して一ヶ月も経たんうちに先生は亡くなられた。墓は小さくて構わんから小屋のところ、女学館が見えるところに建ててくれ、と遺言を残してな。先生には身寄りがおらんかったからお墓の面倒は生徒たちや教職員たちが見とった。けれども先生を知る人らはみんな他所の土地に移ったり亡くなったりしてしもうて、今はワシら河邑家の者だけが墓守りをしとるんじゃよ。


 今ワシがいるのもこのお方のおかげじゃ。このお方がおらんかったらきっと梅乃もおらんし、桜子も撫子もおらんかったじゃろう。先生によう感謝せいよ、と小さい頃から言い聞かせて育ててきたもんじゃ」


 きくさんの言うことを、私達は神妙に聞き入っていた。河邑先輩は身につけるものの色をスクールカラーと同じにするぐらいだし、人一倍愛校心が強い人だと思う。その理由がきくさんの話だけでわかった気がする。三世代に渡る「英才教育」の賜物だろうな。


 きくさんは腰をかがめてお墓に手を合わせると、ナムアミダブツ、と念仏を唱えた。私達もそれに習った。


 家に戻ると、きくさんは学生時代の思い出を話してくれた。「よく覚えておらんのじゃが」と言う割にはかなり詳しく、当時の様子がくっきりと想像できた。入学仕立ての頃は戦争の真っ最中で竹槍の訓練ばかりやらされてうんざりしていたこと。勤労奉仕で桃川市にある軍需工場で働いていたこと。たまたま帰省していた時に空襲で工場が焼け落ちたことなど、戦争の痛々しい記憶を語っていた。戦後も苦労はしたものの、藤瀬みや先生のおかげでようやくまともな勉強ができるようになったとみんな喜んでいたという。私は平和学習を受ける気持ちで、ノートにメモを取っていった。


「さて、堅苦しい話ばかりも何じゃで、ここでワシの秘蔵を見せてやろう」


 きくさんは押入れから箱を持ち出してきた。フタを開けて取り出したのは白黒の昔の写真だったが、その中の一枚が私達の目を引いた。


 椅子に座っているジャンパースカートの生徒。今のとは微妙にデザインが違うが緑葉女学館の制服で間違いない。とにかく、その生徒は目鼻立ちがくっきりとして、現代の基準でも美人と断言できる。さらに彼女の周りには侍るようにして複数の生徒たちが取り囲んでいる。視線はカメラではなく、椅子に座っている美人に向けられていた。


「この椅子の人ってもしかして……」

「そう、ワシじゃよ」


 きくさんがニンマリと笑うと、「えー!」という驚きの声が上がった。いや、よく見ると確かに面影はある。


「今でこそしがないババアじゃが、昔は学校の中で一番モテとったんじゃぞ」

「モテるって言っても、女子校ですよね……?」

「そうじゃよ?」


 きくさんはきっぱりと言った。


 他のどの写真を見てもきくさんが生徒に囲まれているのばかりで、ハーレム状態になっていて、みんなはそれを見ては凄いだの羨ましいだのと感想を口にしている。理解できないわけではないけど何だかな、といった感じだ。


「上級生からは妹のように可愛がられ、下級生からはお姉さまと慕われとった。同級生に至ってはもう毎日ワシの取り合いじゃったよ。はっはっはっ」

「私がこの頃の緑葉に通っていたら、間違いなくきくさんに告白していたと思います」


 高倉先輩が目を輝かせている。そういえばこの人「真性ガチ」なんだった。お世辞なのかどうか判別し難いところだ。


 今度はカラー写真が出てきた。それを見たみんなから「うわっ」だの「きゃっ」だの悲鳴にも似た声が上がる。


 ショートカットの生徒がぱっつん前髪の生徒に頬ずりをしている写真。カラーだから彼女の頬が赤く染まっているのがよくわかる。ショートカットの生徒はきくさんに比べて彫りがやや深いところ意外はそっくりで、そのまま髪型を変えただけのようだった。


「おお! これは梅乃じゃな」

「いやー! やめてよ恥ずかしい!!」


 お茶を持ってきてくれた梅乃さんが慌てて写真を取り上げた。


「まだあるぞ、ほれほれ」

「いやああ!!」


 ゾロゾロと出てきた写真は大半が梅乃さんの方から積極的に可愛い生徒にアプローチをかけているものばかりだった。


「梅乃は『三十人落としのウメ』の異名を持っとってな。六年間の間に三十人も相手をとっかえひっかえしとったそれはそれは悪い子だったんじゃ」

「昔のことなんかもういいでしょ!」


 黒歴史をバラされた梅乃さんがきくさんの背中を叩くが、笑って受け流される。


「この調子だとお母さんもモテてたんでしょうか?」


 河邑先輩に耳打ちしたら苦笑いされた。


「いいえ。反動かどうか知らないけど、母さんはいたってフツーの女子高生だったって聞いてるわ。私だってさすがにおばあちゃんやひいばあちゃんみたいになりたいとは思わないわよ」


 とはいえ先輩だって顔立ちは良い部類に入るのだから、目をつけられてもおかしくはないだろうか。


 ふと手元にあった梅乃さんが背の小さい生徒に抱きついている写真を何気なしに見ると、後ろに今の校舎があって「祝・新校舎完成」の垂れ幕が掲げられている。こんな何気ない写真の中でも歴史を感じられるものがあるもんだなと感じた。

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