生徒会合宿

「えーと、筆記用具OK。着替えOK……」


 リュックサック内の荷物をチェックする私。今日から一泊二日で河邑撫子かわむらなでしこ先輩の家でお泊まり会、もとい、生徒会合宿である。とは言っても河邑先輩の家は緑葉女学館から徒歩一分しか離れていないから、通学するのとほぼ変わらない。もし忘れ物をしてもソッコーで取りに帰ることができる。


「よし、全部OK! じゃあ母さん、いってきます!」

「気をつけてね」


 私はいつものように自転車を駆り出した。ただし制服である深緑のボレロとジャンパースカートではなく、パーカーにジーンズというラフな格好だ。


 午前九時集合だが、新参者である私は三十分前には河邑家に着こうと早く家を出た。そしてジャスト八時半で河邑家の前に到着。誰も来ておらず、一番乗り大成功である。


 河邑家は間近で見ると、やはりデカイ。敷地は生け垣が囲っていて玄関前には木造の屋根付きの門が構えられている。その中には私の住んでいる借家の二倍はゆうに越えている大きさの家がドンと鎮座していた。


 全体的に古めかしい造りとはいえ手入れが行き届いているようで、特に生け垣はビシッと切り揃えられていて美しい。私は自転車を降りて、家の周りをぐるりと歩き回って鑑賞することにした。


「あ、タンポポ」


 生け垣の下にちょこんと咲いている黄色いタンポポを発見。緑一色の場所にポツンと点在している鮮やかな黄色は否応なく目を引く。


 タンポポを近くで見ようとしたら、突然生け垣がガサガサと揺れてニョキッ、と犬の顔が飛び出した。


「ワウワウワウワウワウ!!」

「きゃああああああっ!!」


 何の心の準備も無しにゼロ距離で吠えられたら誰だって悲鳴を上げる。私は飛び退いた弾みで尻もちをついてしまった。


 犬はゴールデンレトリバーで、舌をだらりと垂らしながらこちらを見ている。口の開け方が、私のリアクションを見てニヤニヤ笑っているようだった。何と小憎たらしい犬だ。


「こらーっ、チャタロー!!」


 敷地内から甲高い怒声が飛ぶと、犬は「キャンッ!」と鳴いて顔を引っ込めた。それからすぐ、慌てて誰かがこちらに駆け寄ってきた。深緑色のカチューシャをつけて、服も深緑色のトレーナーという緑葉のスクールカラーづくしの書記の河邑撫子先輩だった。私は立ち上がってジーンズのお尻の部分についた土を払い、頭を下げた。


「あ、おはようございます」

「ああ、やっぱり菅原さんだったの、さっきの叫び声……ごめんなさい、うちの犬が迷惑をかけて」

「あ、いえ。気にしてないですよ。犬は吠えるものですから」

「この辺に住んでいる住民には吠えないんだけど、他所からお客さんが来た時にああやって驚かすことがあるの。やっぱり、犬小屋の場所を変えなきゃいけないかな……」


 河邑先輩が私のお尻を見た。


「本当にごめんなさい。洗濯してあげるから」


 いやいやさすがにそこまで、と思ったけれども下はこのジーンズの他にパジャマのズボンしか持ってきていない。このままだと家を汚すことになるので言葉に甘えることにした。


「お邪魔します」


 門をくぐって家に上がると、古い家独特の香りがした。母方の親戚が八王子に構えた古い一軒家に住んでいて時折遊びに行っていたけれども、あの時嗅いだ匂いより一段と濃い。


 私が案内されたの六畳二間続きの部屋だった。手前側の部屋にはテレビと座卓が置かれている一方、奥側の部屋には床の間のところに水墨画が飾られている。それだけなら良いけど、仏壇も置かれていて壁の上の方には親族た思われる遺影が掲げられていた。


「ここが研修場所兼寝室よ。八人もいればちょっと手狭かもしれないけど」


 手狭なのは我慢できるけど、遺影に囲まれながら過ごすというのは落ち着かない。


 河邑先輩はジャージパンツを持ってきて、これに着替えるようにと言いつけた。先輩とは背丈も体格もほぼ変わらないのでぴったりとフィットした。よかったよかった。


 洗濯機の動く音がしはじめて、河邑先輩がまた部屋に戻ってきた。


「一番乗りをした勤勉な菅原さんにご褒美。みんなが来たらすぐに始められるように準備しといて」


 というわけで、座卓に人数分の座布団運んだり政策議論に使う資料の冊子を用意したり、資料に抜けが無いかチェックしたり。そうして九時十分前になった時だった。


「ワウワウワウワウワウ!!」

「あぎゃああーーーーっ!!」


 犬の鳴き声と同時に断末魔の叫びが外から轟いた。河邑先輩が猛ダッシュで飛び出す。


「こらーっ、チャタロー! 何度言ったらわかるの!!」

「キャイン! キャウーン……」


 今度は悲しげな鳴き声を発した。余程こっ酷く怒られたとみえる。


 私も遅れて外に出た。思った通り、生徒会長の今津陽子いまづようこ先輩一同のご到着だった。会長は眉根を寄せて見るからに不機嫌な顔つきになっている。


「おはようございます」

「ああ畜生! クリボーの分際で私をハメるなんて悔しいったらありゃしねえ!」


 今津会長は私に挨拶を返さず、汚い言葉使いで喚き散らして真っ先にズカズカと家に上がり込んだ。で、それを見た当のクリボーこと古川恵ふるかわめぐみさんはニシシシと悪ガキのような笑い声を上げているのだった。しかし左頬だけ不自然なほどに真っ赤になっている。


「チャタロートラップに引っかかった御大の顔、マジで爆笑モンだったなあ! あいててて……」


 古川さんが左頬を抑えた。何があったのかは容易に想像ができる。


「ホント、この子ったらチャタローみたいにしょうもない悪戯をして……」


 河邑先輩が古川さんを小突いた。


「古川さんは知ってたの? 犬のこと」

「ああ。だって河邑パイセンの家にはしょっちゅう遊びに行ってるもん」

「えっ、そうなの」

「生徒会以前に、部活で繋がりがあったしな」

「そういえば、そうだったね」


 古川さんと河邑先輩は、実は郷土研究会という少々マニアックな部活にも所属していて、生徒会活動の合間を縫って白沢市の歴史や遺跡について調べている。この地域には古代の頃に有力な豪族が住んでいたらしく、墳墓があちこちで見つかっているからなかなか調べ甲斐があるとのこと。


 だけど古川さんは結構チャランポランなところがあり、生真面目な河邑先輩からよく怒られている。いくら怒られても堪えない性格だから、結構キツイ言葉で叱責されることもある。だからこの二人は反りが合わないと思っていたのだが、家に遊びに行くような仲だったとは意外や意外である。


 遅れて副会長の高倉美和たかくらみわ先輩、サブの団六花だんろっかさんと茶川陽菜ちゃがわひなさんが門をくぐってきた。もう一人、会計の下敷領鈴しもしきりょうすず先輩の姿は見当たらない。


「おはよっ」


 高倉先輩が片手を上げて挨拶してきた。


「おはようございます。あれ、下敷領先輩は?」

「下敷領さん、急遽ソフトボールの練習試合が入ったから午後からの参加になるって」


 運動部との掛け持ちは大変だなあ。


「さあ、待ちに待った合宿の始まりだよ。一緒に頑張ろうねっ」


 今日の高倉先輩のテンションは一段と高い。寮から離れて一軒家に泊まるだけでも新鮮味があるのだろう。


 *


 七人が揃ったところで、座卓の上座に着座した今津会長が挨拶した。


「合宿と言ってもあまり堅苦しい雰囲気でやりたくはない。緑葉女学館の生徒として自覚を促し、メンバー間の親睦を深めることを主な目的としている。楽しくやろう」


 それから早速、政策議論に移る。河邑先輩が作製した冊子には過去十年間の生徒会の取り組み、ならびに様々なデータがぎっしりと、しかしながらわかりやすくまとめられていた。さすが書記といったところだ。


 まず議論の題材に上がったのはトイレ事情だった。何でトイレ? と思われるかもしれないが、トイレの良し悪しは建物の良し悪しに繋がり、ひいては建物を管理している組織の良し悪しを映す鏡になるのだ。……というのは東京時代の小学校の先生の受け売りだが。実際、就職活動で訪問先の会社の企業体質を見極めるのにトイレの清潔さが基準になる、と主張する人もいるぐらいである。トイレの質と組織の質の間には、ある程度相関関係があるのには違いないだろう。


 そして私の主観では、我が校のトイレは飛び抜けて汚いわけでもないがピカピカというわけでもなく、和式便器が無いだけ若干マシという程度という認識しかなかった。


「去年の文化祭で『女子校のトイレってもっと綺麗だと思っていた』と男性のお客さんが愚痴をこぼしていたのを聞いた生徒がいる。こちらも仕方なく男子トイレとして使わせてあげてるのにそりゃねーだろ、と言いたいところだが、今のトイレ事情には私も満足しとらん。学校側も巻き込んでいかなきゃならない案件だが、改善する方向に持っていきたい。遠慮なく意見を出してくれ」


 まず先陣を切って手を上げたのは団さん。


「我が校は三年前までは体育館横の屋外トイレが汲み取り式というあり得ない状態で、ようやくそれが水洗に変えられた程度ですよね。学校には改修費用を捻出できる余裕があるはずですが、ここまで遅れているのは学校側の怠慢というよりも我々生徒の衛生意識が高くないからではないかと思います。

 例えば、手を洗った後にハンカチじゃなく制服で拭いたりとか、トイレットペーパーで鼻をかんだりとか、とにかくエチケットがなっていない生徒がいます」


 トイレで鼻をかんだことがあった私は少しぎくっ、となった。でもあの時はポケットティッシュを切らしていて仕方がなかったのだ。団さん許して。


「確かにね。異性の目が無いからガサツになっちゃう子がいるのよね。『いくら改修してもどうせ汚すからムダ』って思われても仕方ないかも」


 河邑先輩がウンウンと頷きながらそう言うと、古川さんが話を繋いだ。


「中には酷いケースもありますもんね。ついこの前なんか、どうしても我慢できなくて授業中にトイレに行ったら(あまりにも描写が酷すぎるので中略)ホント、最後に使ったヤツは便所の神様に土下座して謝れって言いたいですよ」

「うええ、何だそりゃ。トイレ掃除当番泣かせだなあ」


 みんな、顔をしかめた。


 女子校に幻想を抱いている人が聞いたら発狂しそうなぐらい汚れた話を交わしつつも、私達は議論を煮詰めていった。結論としては生徒会が主体となってトイレの扱い方について生徒全員に衛生教育を施し、キチンと使えるようになってから改めて学校側に改修を呼びかけることになった。


 その後は食堂のメニューについて。登下校マナーについて。地域清掃への取り組みについて。常任委員会との連携についてなどなど議論を交わした。


 途中で休憩となり、河邑先輩は古川さんを連れて台所からウーロン茶とお菓子を持ってきた。


「ほう、おかきか」

「河邑家お手製よ。食べてみて」


 今津会長が一口食べると、「うむっ!」と唸った。


「油で揚げているにも関わらずしつこさはなく、もち米が持つ本来の甘味と塩とともに絶妙なハーモニーを奏でている。食感はサクサクで噛むたびに油がジュワッと口の中に広がってとろけていく様は官能的ですらある。こんなおかきは初めてだ」

「一体どこのグルメ漫画の人間よ」


 河邑先輩は過度な賛辞には苦笑いしたけど、本当にそう表現せざるを得ない美味だった。


「いや、冗談抜きで金を取れるレベルだぞこれは。お土産に持って帰りたいから是非売ってくれ。言い値で買うぞ」

「そこまでしなくても家にはたくさんストックがあるからタダであげるって」

「私にもください。本当に美味しいですよこれは!」

「わかった、わかった。ちゃんとみんなにあげるから!」


 おかきはあっという間になくなってしまった。お昼ご飯前とはいえ物足りない。私の中ではハッ◯ーターンの粉に匹敵するぐらいの中毒性のある味なのだが。


 おかきタイムが過ぎればまた議論である。話を聞いたりしゃべったりしているうちに満たされた小腹もあっという間に空きっ腹になってしまった。


 *


「ただいまー」

「あ、母さんたちが帰ってきた」


 最後の議題を締めくくった良いタイミングで、河邑先輩のご家族が畑仕事から帰ってきた。三人の女性が姿を見せたが、それぞれ四十代、六十代、八十代といったところである。彼女たちこそが先輩の母親、祖母、曾祖母に違いなかった。


「あら、生徒会の人たちね」


 母親が声をかけると「お邪魔しています」と今津会長が立ち上がって頭を下げた。


「来てくれてありがとうね。時間が時間だからお腹が空いたでしょう。自己紹介はお昼ご飯の時にしましょう」


 というわけで、ご家族と一緒に昼食を頂くことになった。そしてこれまた良いタイミングで、ソフトボールの練習試合を終えた下敷領先輩が合宿に合流してきた。ジャージ姿がよく似合っている。


「みんな、遅れてすまなかった」

「おうシーモおつかれ。試合はどうだった?」

「ああ、ホームランを一本かっ飛ばしてやったよ。三安打四打点だ」

「やったじゃん!」

「試合は十点取られて負けたけどな」

「だめじゃん!」


 下敷領先輩曰く、相手は桃川西商業高校という女子ソフトボールチームの強豪で、そのCチームと環川たまきがわの河川敷で試合をしたとのこと。CチームということはAとBの次、即ち三軍レベルだと思うがそこにボコボコにされるぐらいに我が校のソフトボール部は強くない。


 その中で下敷領先輩だけは飛び抜けて上手い方で、前期課程チームの頃から五年間ずっと四番を張り続けている。しかし一人だけが頑張っても試合に勝てないのが団体競技の宿命だ。それでも下敷領先輩は試合で結果を出したためか、上機嫌な様子だった。


「いただきまーす!」


 生徒会執行部全員が揃ったところで昼食開始。野菜をふんだんに使ったカレーライスは甘すぎず辛すぎず、ご飯は艶が出てふっくらしていてルーとよく合っている。これはスプーンが進む。


「おかわりの分はたくさんあるからね」


 河邑母がそう言った途端に早速、下敷領先輩がおかわりをした。


「あら、早速来たわね」

「試合でカロリーを相当消費したもんで」

「運動部の子だったら、もっと食べないとね」


 皿に一杯目より多くのカレーライスが盛られて下敷領先輩の元に戻された。先輩はすかさず勢い良く食べる、食べる。見ている側も食欲がモリモリと湧いてきたようで、結局みんなおかわりをした。


 食事の間に河邑先輩の家族の紹介があった。まず二十三年前に卒業した母親の桜子さくらこさん。当時はまだ高等部と中等部に分かれていて、もちろん中等部からの入学である。続いて祖母の梅乃うめのさん。四十七年前に緑葉女学館を卒業。そして最後に曾祖母のきくさん。七十年前に緑葉女学館を卒業。このきくさんはかつて大衆食堂を営んでいて、店舗は私が通学時に渡る、県道三十一号線信号横のコンビニエスストアのところに建っていたらしい。これにはちょっとびっくりした。


「このカレーはな、ワシが食堂で出していたのと同じレシピで作っとるんじゃ。栄養が偏らんよう野菜をたっぷり食べてもらおうと思うて作ったんがこのカレーじゃ」


 きくさんははっきりとした声でそう言った。御年八十台後半にも関わらず背筋はピンと伸びているし、肌もツヤツヤしている。梅乃さんも六十半ばなのに髪の毛は艶のある黒色だし顔にはシワがまったく見えない。桜子さんに至ってはまだ二十代後半から三十代前半と言っても通用するぐらいに顔も声も若々しい。


 そして撫子先輩本人も童顔で役員四名の中では一番幼く見えるし、小学生と言ってもギリギリ通用するかもしれない。どうも河邑一族の人たちは老化を遅らせる遺伝子を持っているんじゃないかと思ってしまう。


 談笑しながらの昼食は時間を経つのも忘れさせ、気がついたら一時間弱ほと経過していた。


「さて、今から腹ごなしにみんなを良いところに連れていってやろうかの」


 きくさんがやおら立ち上がった。午後からはきくさんのお話があるとのことだが、どこに行くのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る