生徒会合宿その3
「うわははは! 者ども! 宴じゃ宴じゃ」
古川さんがハイテンションで叫んでいる。夕飯が庭でのバーベキューだから誰だってウキウキするだろうけど、彼女のはしゃぎっぷりと言ったら傍目から見てちょっとウザったいというのが正直なところだ。
「おいクリボー、うるせえ!」
ほら案の定、今津会長から一喝を食らっちゃった。だけどそれで大人しなくなると思ったら大間違いである。
「すがちー見ろよ、タンパク質がこーんなにあるぞ!」
テーブルにずらりと並べられたお肉のパックを指差して叫ぶ。牛肉豚肉鶏肉何でもありでまるでスーパーの精肉コーナーのようだが、量が半端じゃない。
「これ、全部食べ切れるかな……?」
「私の胃袋がある。心配すんな!」
古川さんのお腹からぐぅ~、という音がした。あまりのタイミングの良さに彼女も私も爆笑してしまった。
「よーし、いい感じになってきたぞー」
今津会長の言う通り、炭火はほんのりと赤く燃えて準備万端といったところまでなっていた。実際に炭火を起こしたのは茶川さんだったけど、彼女は相当器用な手つきで炭を転がしていた。
金網が乗せられて、いよいよ調理開始である。河邑先輩のご家族含めての大人数のバーベキューは肉の奪い合いになり、焼けたと思った途端に消えていった。最初は多すぎると思っていたが、たちまちなくなっていった。その反面、河邑家で育てた野菜は残りがちになっている。みんなどれだけ肉に飢えてるんだろう。きくさんも年なのにガンガン肉を食べてるし。これが長寿の秘訣なのかな。
結局、思っていたほどに食べられず少々不満が残った。だけどその後に入った風呂、これが素晴らしかった。何せ、ちょっとした銭湯の浴場ぐらいの大きさの湯船があるのだ。親戚一同が泊りがけで集まる機会が多いため、一度にたくさんの人数が湯船に漬かれるようにとわざわざ改装したらしい。そんな大浴場に、私達四年生が恐れ多くも一番風呂で入らせてもらえることになったのである。
脱衣場で服を脱いで、ブラジャーを外して洗濯カゴの中に入れた途端だった。
「ひあっ!」
「うえっへっへっへっ」
古川さんがスケベオヤジみたいな声を出しながら、後ろから私のそれ程大きくない胸を揉みしだいていた。
「ちょっと、やめてよっ!」
「うえへへへ、口ではそう言っても体はあいてっ!」
パチーン、と小気味の良い音がして古川さんの手が離れた。団さんが古川さんのお尻を平手で思い切り叩いたらしい。
「ごめーん、いい形してたからつい叩きたくなっちゃった」
「やったなこいつ! お前のも揉ませろ!」
「きゃー!」
「おうおう、こっちの方が揉みがいがあるべよ」
団さんは服を着ている時は目立たなかったが、いざ脱いでみると私と違って豊満な胸の持ち主であり、正直羨ましい。だけどさすがに揉もうとまでは思わない。ふざけ合う二人を尻目に茶川さんが先に浴室に入ったので、私も後をついて行った。
浴室の中は本当に銭湯みたいで、洗い場まで設けられている。維持費がかかりそうだけど、それだけお金があるんだろうな、河邑家には。
私はまず洗い場で、山登りで少々汗をかいていた体を流した。それからシャンプーで頭を洗い、シャワーで泡を落としてさあリンスをしようとしたところ。ふいに誰かに頭を触られたかと思うと、ゴシゴシと掻き回された。またシャンプーをかけられたようである。
「ちょっと古川さん、さっきシャンプーしたんだけど!」
古川さんと決めつけて抗議したが、「え?」という彼女の声が右隣の方からした。
「あ、あれ? じゃあ今触ってんの誰?」
私は目の前にあった鏡にシャワーをかけて曇りを取った。
意外や意外、茶川さんの仏頂面が後ろに映っていた。
「え、え?」
「……」
あの、何かしゃべってくれないと困るんだけど……。
「多分、茶川さんなりに菅原さんと仲良くしたいんじゃない? やらせてあげたら」
と、左隣にいる団さんが提案する。頭を洗うたびにユッサユッサと胸が揺れていた。
「じゃ、お願いするね……」
「……」
茶川さんは無言で私の髪を洗いはじめた。しかしその手つきは美容師さんのように丁寧で優しい。
やがて、頭皮を優しい圧迫感が包み込む。マッサージをしているようだ。これがとてつもなく気持ちがいい。
「あっ、やばっ……」
思わず声が漏れ出てしまうぐらいに。
「がわちょはテクニシャンだからなー。このテクニックで何人の女を泣かせてきたことかあいてっ!!」
古川さんの発言がパコーンというこれもまた小気味の良い音で中断された。茶川さんに桶で頭を叩かれたようだ。叩かれたりグリグリされたりと何かと忙しい子である。
マッサージが終わると、血流がよくなったのか頭が暖かく感じられる。
「凄いポカポカする。ありがとう、茶川さん」
「別に……」
無愛想だけど、お礼を言われて満更でもなさそうな反応である。私の中で彼女の株価がちょっと上がつた瞬間だった。
それから湯船に浸かった私達はとりとめのない話で盛り上がった。先輩たちが後に控えているのであまり長居できなかったのは残念だったけど。
先輩たちも風呂に入り終えるとお遊びの時間である。お泊り会の定番といえばカードゲームだが、緑葉生徒会のカードゲームは一味違う。
「カワムー、やっぱそれポンだ!」
「ちょっと今津さん、下敷領さんがツモる前に言いなさいよ!」
「すまんすまん」
「ロン! チートイドラドラね」
「うあああー!」
「うおおい、何でそんなミエミエの待ち牌を切っちゃうんだよー」
先輩とサブたちの二グループに別れて、私達は敷かれた布団の上でカード麻雀をやっている。どういうわけか知らないが、麻雀は緑葉女学館生徒会の伝統らしい。
幸いなことに、私は麻雀のルールを知っていた。東京時代、大学教授である父さんがよく自分のゼミ生を家に呼んで卓を囲っていたので、それを見て自然とルールが頭に入ったのだ。
しかし腕前となると別で、私は完膚なきまでに叩きのめされてしまった。団さんのチートイドラドラを食らった私は6400点を支払うはめになったがここで半荘が終了し、私は残り点数が何と900点のぶっちぎりの最下位に。ああ、これがセンター試験の点数だったら満点なのに……。
先輩グループも半荘を終了したようだ。
「よーし、各グループの最下位は立てー。罰ゲームなー」
今津会長の言う通りにして、私は大きなため息をつきながら立ち上がった。そうしたら今津会長も立ち上がった。あんたが最下位だったんかい……。
みんなが会長! 会長! と囃し立てはじめる。今津会長はまぁまぁ、と抑える仕草をして、
「仕方ないなあ。今晩は特別にとっておきのネタを披露してやろう」
と勿体つけてから披露したのは、英語の藤谷先生のモノマネだった。この先生は教え方は上手いのだが老齢のため、発音が少々怪しい。特に"question"は「クエッチョン」と読むためにみんな真似をしていた。
ところが会長はそれに加えて、仕草や声色を完コピしたのである。その上で英語で"f*ck"だの"s*it"だの卑語を混じえて、気に入らない教師をこき下ろすなどしたからみんな大爆笑だった。
やり遂げた本人は拍手を浴びて満足げだった。実はネタをやりたくてわざと負けたんじゃないかと思う。
さて、次は私の番だ。すがちーコールがプレッシャーを与える。一つ咳払いをしてネタを出した。
「えー、私は会長みたいに一芸を持っていないので、代わりに秘密を暴露したいと思います」
「おおっ?」
「私の元カレの話をします!」
「おおーっ!?」
「彼氏いたの!?」
「全然知らなかったわ……で、相手は誰!? 誰!?」
団さんが足元にじり寄ってきてパジャマのズボンを掴んできた。何だ何だ? この異常な食らいつきようは?
「
「恵央!? すごーい! ね、どうやって知り合ったの!? ね、ね?」
「団さん、今から話すからちょっと落ち着いて?」
というわけで、中学二年の頃に教育実習で学校にやってきたイケメン大学生に思い切って告白してつき合ったものの、性格の不一致で別れたという話をした。みんな食い入るように聞き入っては勝手に盛り上がった。
うん、みんなごめんなさい。全部デタラメで話しています。
だけどほんのちょっと事実は入っている。教育実習生のイケメン大学生は実在し、父さんのゼミ生の一人だった。家に何度か遊びに来ていたので温厚篤実な人となりであることも知っている。そんな彼を好きになっていたのも事実である。
だけど彼にはすでに同じゼミ生の恋人がいた。いわゆる叶わぬ恋だったというわけだ。卒業して高校教諭になったとのことだが、今では全く疎遠になってしまった。多分、今でも恋人とはうまくやっていると思う。
「で、ヤったの? ヤったの!?」
団さんがなおもにじり寄る。
「やったのって……何を?」
「もうとぼけちゃって。セックスしたのかって聞いてんの!」
ど真ん中の直球を投げてきた。
「う。ご想像におまかせする……」
「ふーん」
ここで「してません」なんて言ったら白けてしまうかもしれないし、かといってこれ以上ウソをついたらボロが出そうだったからこう曖昧に答えるしかなかった。団さんやみんなは果たしてどう捉えたのだろうか……。
無愛想な茶川さんを除き、みんないやらしいニヤニヤした笑みを浮かべている。でも高倉先輩の笑顔が目に入った途端、私はゾッとした。この人の笑みは何だかちょっと怖いところがあるのだが、背筋に無数の芋虫を這わされたような、今までにないぐらいの不気味さを感じ取ったのである。
「い、以上です!」
私は無理やり話を切り上げて座り込んだ。誰も咎めなかったということは、それなりに満足してくれたということだろう。
麻雀はメンツを入れ替えて眠くなるまでやり続けた。私は上がるよりも振り込まないことを考えて、守りの戦略に切り替えた。それが功を奏して二度と最下位になることはなかったが、神経がガリガリにすり減ってだいぶ疲れてしまった。
一番のハイライトだったのはグループでトップを張っていた古川さんが高倉先輩の大三元に振り込んで一瞬で飛ばされたことだ。この時の古川さんの顔ときたら、出目金みたいに目玉が飛び出しそうなぐらいになってて不謹慎にも私達の笑いのツボを刺激した。罰ゲームは会長命令でこの表情をずっとやらされてたけどこれだけで大盛り上がり。桜子さんが「もうちょっと静かに」と注意しに来るまでずっと笑いっぱなしだった。
笑い疲れた私達は切り上げて就寝することになった。仏壇のある奥側の部屋は飾られている遺影が怖かったので、手前側にしてもらった。
「じゃあ皆の衆、グッナイ!」
今津先輩の一言で消灯され、私は大きなあくびをして布団に潜ったのである。
*
何か変な感触がして、ふと目を覚ます。
「!?」
体が動かせない。だが金縛りにしてはおかしい。金縛りであればズンと誰かに伸し掛かかられるような感覚が襲ってくるものだが、今の私は生暖かい感触に包まれている。
その正体が、私の耳元で囁いてきた。
「ち・あ・き・さん」
「!!」
声が出そうになったところで、口元を塞がれる。振り返ることができないが、今自分が何をされているのかはっきりと認識できる。
高倉先輩が私の布団に潜り込んで、後ろから抱きついているのだ。がっちりホールドされていて身動きが全く取れない。
「ねえ、元カレとはヤッたの?」
湿った色気を込めて、団さんと同じことを囁いてきた。
「んー! んー!」
私は首を横に動かして意思表示をした。
「ほんとぉ?」
「!!!!」
ズボンの中でモゾッと動くものがある。先輩の手だ!
赫多さんの忠告がリフレインする。私は一線を越える気など微塵もないのに、相手はそう考えていないらしい。いくら真性でも二人きりで寝るわけじゃあるまいし、何もないだろうと油断していた。
マズい、これは非常にマズい!
隣で寝ている団さんに助けを求めたい。しかし常夜灯の薄明かりに照らされた彼女は、私からそっぽを向くように横向きで眠っていた。いや、彼女も何かおかしい。小さくくぐもった声を上げて、布団からは何やらニチャニチャといった粘っこい音がしている。
ま、まさか団さん……。
「あらあら、よくもまあ人の家で……千秋さんの元カレ話に興奮したのかな? あの子、大人しそうなくせして実は妄想癖が凄いんだよ」
そんな情報なんか今知りたくない! 私は首をブンブン動かした。
「ねえ、こんな風にヤッたの?」
先輩の生暖かい吐息が耳にかかるや、手は私の下着の中に無情にも滑り込んでいった。
「~!!!」
もうダメだ! 同性相手に貞操を散らされるのを覚悟したその時だった。
「んああっ……」
団さんの体が大きくビクビクっと震えた。どうやら果てたらしい。それからゆっくりと身を起こした。高倉先輩はさすがにコトがバレるのを恐れたのか、パッと私から離れ彼女の布団に避難した。
薄目を開けて、団さんがそそくさとトイレに行ったのを確認してから、私は泣きながら先輩に抗議した。それでも周りを起こさないよう、小声で怒鳴るぐらいの理性はかろうじて残っていた。
「な、何てことするんですか!!」
「ごめん、いたずらが過ぎた。忘れて」
そう言って、さっきいたずらしようとした手で私の頭を撫でた。その時に見せた笑顔は今までのと違ってどこか悲しげだった。それを見た私は咎める気が急に失せてしまったのである。
先輩は横を向いて、そのまま眠りについた。先輩の感触が生々しく残っていて、私の動悸は一向に収まる気配がない。涙をパジャマの袖で拭って目を閉じたが、こんな状態では眠れるはずもなく、団さんが戻ってきてからはただ一晩中オレンジ色の常夜灯をぼんやりと眺めていた。
*
二日目は朝早くから畑の草むしりを手伝ったが、寝不足の私は少し動いただけでヘトヘトになってしまった。それでも桜子さんが作ってくれたおにぎりと味噌汁が活力を与えてくれた。
「ひと仕事終えた後のご飯は最高だなあ」
今津会長が自分の言葉にウンウンとうなずく。彼女は昨夜の出来事を知っていないようだが、当事者である高倉先輩も何もなかったかのように振る舞っている。そんな高倉先輩は私の向かい側に座っていたが、挨拶はしたもののそれからは一言もしゃべっていない。
私達の間には、微妙な空気が流れて壁を作ってしまっていた。
「菅原さんのシャケと私のカツオを交換しよう」
隣の方から団さんがおにぎりのトレードを持ちかけてきた。昨夜、彼女のアレな面も同時に垣間見てしまった私はまだ心の整理がついていなかったが、私も何もなかったかのように振る舞うよう努めた。
「あれ、カツオ嫌いなの?」
「ううん、私、シャケが大好きだから」
「そうなんだ。じゃあどうぞ」
私はカツオだろうがシャケだろうが何でも美味しく頂くので、シャケを渡して代わりにカツオを受け取った。
食べながら、自分なりに合宿を振り返ってみる。サブのメンバーの性格が把握できて距離はだいぶ縮まったかな、とは思う。元々フレンドリーで明るい古川さんはことさら言うまでもないが、無愛想な茶川さんも彼女なりに私とコミュニケーションを取ろうとしていたし。団さんは性癖は置いておくとして、一番真面目に合宿に取り組んでいた。政策議論でも盛んに質問していたのは彼女である。
自分はまだまだ、といった感じが強い。同級生はみんな三年間緑葉女学館で過ごしてきたのに対して私はまだ一ヶ月。学習進度のハンデは勉強すれば取り戻せるだろう。だけど緑葉女学館の水に慣れ、緑葉の生徒としてふさわしい立ち居振る舞いを身につける。これは一朝一夕で身につくものではない。それは今後の生徒会活動の取り組みの中で身につけていくものだろう。
……といったことを寝ぼけた頭を振り絞りつつ、合宿まとめレポートに書いて今津会長に提出し、昼食を取った後に解散となった。
河邑一家に丁寧にお礼を言って帰宅の途についた私は、駅の方までみんなについて行ってここで解散となった。
「じゃあね、また明日学校で」
高倉先輩が挨拶して寮に向かっていく。昨日のことについて改めて詫びることはしなかった。
あれは果たして本当にいたずらだったのか、それとも……。
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