禁断の防災倉庫

「いってきまーす!」


 自転車に乗り込んでいざ、高校生活二日目。正確には中等教育学校二日目だけど。


 県道三十一号線を横断し岩彦橋を越えて土手を下ったところで狭い市道にぶつかる。そこでは深緑色のボレロとジャンパースカートに身を包んだ集団、緑葉女学館の生徒たちが登校している様子が見えた。彼女たちの大半は電車通学組と寮生活組である。この市道を東の方に進むとJR西部線岩彦駅があり、さらにもう少し先には生徒寮がある。


 クラスメートの赫多かえでさんに出くわしたので、私は自転車を降りて「おはよう!」と声をかけた。


「あ、菅原さん。おはよう!」

「おはようございます」


 赫多さんの隣にもう一人生徒がいた。だいぶ小柄で赫多さんの肩より下のところに頭がある、ツインテールの髪型をした童顔の少女で、どこか眠たそうな眼をしている。入学仕立ての前期課程の子だろうか。ともかく私は彼女にも挨拶を返した。


「かえでちゃん、この人が噂の編入生?」

「そうだよ」


 お互いタメ口だけど、まさか同級生か?


「私は古徳聖良ことくせいらといいます。前期課程三年生で部活は柔道をやっています」


 予想は外れて、何と一つ下の後輩だった。確かによく見ると、ボレロのにY字状に三枚の葉を象ったピンバッジ、三年生を表す学年章が。しかも柔道部? 私にはどうしてもか弱い小学生にしか見えない。


「あ、今『ウソぉ?』って顔しましたね」


 ぎくっ。


「い、いいえ」

「証拠をお見せしましょう。ちょっとこれを持っててください」


 古徳さんはそう言って背負っていたリュックサックを下ろした。自由な校風をうたう緑葉では通学カバンは特に指定がなく、派手なものでなければ何も言われないのでリュックサックでもOKである。


 私はてっきり柔道の形でもやるのかなと思い、リュックサックに手をかけた途端。


「はうっ!!??」


 ズシーンと謎の重量感が手にのっかり、耐えきれなくなった私はそのままリュックサックを落としてしまった。ドスンという鈍い音がした。


「ご、ごめん……でも何が入ってるの一体……」

「これです」


 古徳さんがリュックサックから取り出したのは何と鉄の板だった。重さは何キロあるのか想像がつかないが、私の力では持ちきれないのは確かだ。しかし古徳さんはまな板でも持つかのように軽く取り扱って、またリュックサックに戻してひょいと背負い直した。


「毎朝こいつで鍛えているのです。おかげで大柄な大人の男性でも投げ飛ばすことができるようになりました。何なら試してみます?」


古徳さんは口の端を上げて、指をポキポキと鳴らした。


「いえ! よくわかりました!」


 つい敬語で答えてしまった私を赫多さんが笑った。


「ビビりすぎでしょ!」

「手が抜け落ちそうになったもん、そりゃビビるよ……」


 道すがら話を聞くと、赫多さんと古徳さんは幼なじみで八坂やさか市という県北部にある街の出身とのこと。赫多さんが小学校六年生で古徳さんが五年生の頃、古徳さんが岩彦駅から下り路線で一つ隣にある千尋せんじん駅の近辺に引っ越しをしてしまったが、赫多さんが緑葉女学館に入学した際に再会を果たした。古徳家のご厚意により下宿させて貰えることになったためである。古徳さん自身も後を追うようにして緑葉に入学し、かくしてまた同じ校門をくぐることになったのだった。


 地縁社会が崩壊しつつある現代日本でも、まだ人と人との縁の繋がりを感じられる逸話が残っているものだと感心した。


「じゃあねー、かえでちゃんに菅原さん」


 古徳さんは私達に手を振って北校舎に向かっていった。さあ二日目、気合い入れて頑張るぞと力んでいたら首筋に何やら触感が。


「おはよう、千秋さん」


 高倉先輩だった。後ろから忍び寄って、首筋に手を回していた。


「あ、おはようございます……」


 高倉先輩はニコニコしながら赫多さんにも軽く挨拶すると、


「ちょ、ちょっとちょっと……」


 気がついたら私は赫多さんから引き剥がされ、南校舎エントランス近くに植えられている大きなクスノキの方に引っ張られていった。呆然とする赫多さんに私は「ごめん、先に行って」と言った。


「今日はいい返事を聞かせて貰えるんだよね?」


 今の状況を説明すると、私たちはいわゆる「壁ドン」の体勢になっている。高倉先輩が手をついているのは壁じゃなくてクスノキだから「木ドン」という表現が正しいのだろうか。


 少女漫画だとイケメンが主人公に迫る定番の場面だけど、私がやられている相手は同性だしシチュエーションとしてはカツアゲに近い。


「さすがに脅すのはよくないですよ」


 と言ったら、あのちょっと怖そうな笑顔を浮かべたので思わず視線をそらしてしまった。


「脅迫じゃないよ? 『強くお願い』しているだけだから」


 それを脅迫と人は言うんですよ……。


「別にこんなことしなくても先輩の望む答えを今日、会長にもお聞かせしますから」

「本当!?」


 高倉先輩のツリ気味の目が大きく見開いた。


「千秋さんならそう言うと信じてた!」


 子供のようにはしゃぐ。正直、早く校舎の中に入りたかったがあまりに嬉しそうにしているので「もう行っていいですか?」と言えない。


「執行部のメンバーを全員呼び出しておくからねっ」


 高倉先輩はそう言ってようやく解放してくれたのだった。


 *


 四年北組の教室のドアのところで赫多さんが待ち構えていた。


「ちょっと、高倉先輩と何を話してたの?」

「ごめん、さっきはほっぽりだしちゃって……」

「別に怒ってるわけじゃないから、質問に答えて」

「うん、実は生徒会に入らないかって誘いを受けてて」

「生徒会に!?」


 赫多さんはつい大声を出してしまったと自覚してか、口で手をおさえた。そこからは小声で、


「そもそも、いったいどういう経緯で仲良しになったの」

「私、編入生だから授業に追いつくために春休みじゅうずっと特別補習を受けてたんだよね。その時に高倉先輩がチューターとしていろいろ教えてくれて」

「いろいろって……勉強だけだよね?」

「う、うん。あとはどの先生が怖いとか優しいとか、食堂のメニューはこれがおすすめだとか。それがどうかしたの?」

「いや、それならいいんだけど……先輩、菅原さんのこと下の名前で呼んじゃってるよね」

「初対面でいきなり呼ばれたからびっくりしちゃったよ」


 赫多さんは眉間にタテジワを作って首をひねった。何かまずいことでも言ったのだろうか。


「本当に何もなさそうね、今のところは」

「どういうこと? 高倉先輩が何か……」


 言いかけたところで予鈴が鳴った。


「今日のお昼はお弁当?」

「うん、お弁当だけど」

「じゃあ一緒にお昼を食べよう。理由を話すのに良い場所があるからそこで食べながら、ね」


 少なくともこんな場所はご飯を食べるのに適してないだろう。


 私達は防災倉庫の裏側に座って食事をとっていた。絶景が見られるのならともかく、目の前は裏山へと連なる雑木林が広がっているだけ。しかも「マムシ注意!!」という立て看板を目にしてしまったので、落ち着いて食べられるはずがない。


 で、赫多さんは理由を話すと言っておきながら一言も発さず、購買で買った焼きそばパンを頬張ってばかりいる。


「赫多さん、そろそろ話してよ」

「もうちょい待って」


 三回目の催促も同じ返事で、とうとう食事の方が先に終わってしまった。

 四回目の催促をしようとしたところで、ガチャガチャッ、と後ろで物音がした。


「来た」


 赫多さんは指を口に当てて「静かにね」と小声で告げた。


「ここから中を見てよ」


 赫多さんが指を指したところ、ほんのわずかだが穴が開いている。高倉先輩のことよりも倉庫の中に何があるのかといった好奇心が、この時は勝っていた。


 次の瞬間、私はとんでもないものを見てしまった。


 倉庫の中で背の高いショートヘアの生徒が、背が低く髪の長い生徒を後ろから抱きしめている。問題はその後である。二人はおもむろにキスを交わしたのだ。しかも舌を絡め合うディープなやつ。トタンの壁越しにピチャ、ピチャという水音とくぐもった喘ぎ声が聞こえてくる。


「うわ、わ……」


 背徳的な光景に絶句してしまった。赫多さんに肩を叩かれなければずっと固まりっぱなしだったかもしれない。


「さあ、何が見えましたか?」


 赫多さんが耳打ちした。


「そ、その……生徒どうしが……」


 その先からは口はパクパク動くものの声が出てこない。


「うーん、ちょっと刺激が強すぎたみたいだね。戻ろう」


 赫多さんは私の手を引っ張っていった。


「ま、99%同性しかいない半閉鎖的空間に長い間いると、こうなっちゃう人も出てくるわけ」


 歩きながら赫多さんは淡々と語った。そう言えば聞いたことがあるが、刑務所みたいに同性のみでひとかたまりで暮らしているような環境に置かれると、ソッチに目覚めてしまうことがあるらしい。東京の中学に通っていた頃、小林多喜二の『蟹工船』で男どうしの強姦シーンがあることを喜々として話していた国語の先生がいて、あの時はクラスのみんながドン引きしていたものだが、あのシーンも今思うとそういった類の性癖を表したものだろう。


「でも、他所で彼氏とか作ったりしないの?」

「そういう人もいるけど、ほら、男相手だと行くところまで行ってしまったらリスクがあるし……男と付き合ったがために子供ができちゃって中退しなきゃいけなくなった先輩が昔いたからね」

「だからと言って同性で代用するのは、それはそれで結構なリスクだと思うけど……」

「だけど、大概は卒業したらストレートに戻るよ。いわば仮性的なものなの。でも、ごくわずかにいるのよね、真性ガチが」


 私達は北校舎横から中庭に抜けて、その中央にある池のほとりのベンチに座った。


「高倉先輩はその真性ガチの一人」


 こんな形で、とうとう高倉先輩の話が飛び出した。


「あの人ね、今まで何度も相手を取っ替え引っ替えしてるの。上級生同級生下級生、先生とも噂があったぐらいだよ。で、きっと次はあなたが狙われていると思う。いや、狙われている。断言する」

「私が? 冗談でしょ」


 ついつい鼻で笑ってしまったが、赫多さんは「甘いね」と返した。


「あなたって犬顔って言われたことない?」

「うっ、あるけど……」


 小学校時代のトラウマがちょこっと蘇った。


「高倉先輩が好きなタイプがまさに犬顔で、過去に付き合ってた子がみんなそうだった。あの人、猫顔だから犬顔に惹かれてるってわけじゃないと思うけど」

「……」


 どう反応していいのかわからない。


「今のところは無事でも、あなたにその気が無いのなら適当に距離を置いた方がいいよ」

「だけど先輩は私のチューターだし、付き合うなって方が無理だよ」

「付き合うなとは言ってない。生徒会にも入ったら良いと思うよ。ただ、一線を越えないように気をつけなさいってこと。悲しい思いをしたくなかったらね。いつかは飽きてポイされるだけだから」


 私達の目の前を二人連れが横切っていった。さっき防災倉庫で情事に耽っていた二人だった。スッキリしたような笑顔で他愛もない会話をして、何事もなかったように振る舞っている。彼女たちのボレロには五枚の葉で五芒星状の模様を象った学年章が見えた。五年間どっぷり浸かった結果、というべきか。


 私自身は同性愛に偏見をもっていないつもりではいる。意識していなかったというのが正しいだろう。だけどこうして私も当事者になり得る環境におかれ、しかも実際に目の当たりにしてしまった。今思えば高倉先輩のスキンシップもやはり私に対する「好意」の現れなんだろうか。


 しかし、私自身がソッチの性癖に傾くというのは想像もできない。高倉先輩とはやっぱり先輩、後輩の仲でありたいと思っている。なんだかんだで今の関係の方が一番しっくりきているのだから。それを無理に弄って壊してしまうような真似は絶対にしたくない。

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