七章 瑠奈からの贈り物

 公式練習が終わり、瑠佳は明日の一五〇〇メートルの組み合わせを確認した。一緒に滑走する相手は和喜だった。

 彼と最後に直接対決をしたのは開幕戦の五〇〇〇メートルだった。あの時は和喜に敗北した。今回は負けたくない。


 瑠佳は着替えを済ませるとエントランスホールで父と合流する筈だった。しかし、集合場所に来ると其処にはもう一人立っていた。

「瑠佳、お疲れ!」

 恵也だった。彼は歯を見せて笑っていた。

「何でお前が此処に居るんだよ! 今日学校だろ!?」

 瑠佳は思わず恵也を指差す。今日は平日で学校がある筈なのだが、何故か恵也は此処に居る。

「もちろん休んだに決まってるだろ。瑠佳の晴れ舞台を見ようと思って来たんだぞ」

 恵也は誇らしげに言った。瑠佳は公欠だが、恵也はただの欠席にしかならない。

「でも、何で突然……。そんな事言ってくれなかったじゃん」

 瑠佳の反応を見て恵也は声を出して笑っていた。

「サプライズだから言う訳無いだろ。というか俺が観客席に居る事に気付かなかった?」

 恵也は首を傾げた。

「気付かなかった」

 首を横に振ると気付かなくて良かったかもしれないと思った。試合の時に気付いてしまったら恵也に気を取られて気が散っていただろう。


 瑠佳と恵也は父の車の後部座席に乗り込む。父の運転でホテルに向かう。

「よく俺が泊まるホテルが分かったね」

 恵也は瑠佳と同じホテルの予約を取ったらしい。

「瑠奈に訊いたから」

 思い返すと瑠佳は宿泊するホテルを瑠奈に訊かれた記憶があった。恵也に頼まれて訊いたのだろう。

「そういえば一人で来たんだよな? どうやって来たの?」

「高速バスで来た」

 恵也は鞄から帰りの高速バスの乗車券を取り出して瑠佳に見せた。

 彼の登場には驚いたが、学校を休んで泊まり掛けで応援しに来てくれた事は嬉しかった。


「そうそう、これを渡すように頼まれてたんだった」

 恵也は今度は鞄から水色のお守りを出して瑠佳に渡した。

「瑠奈が一昨日渡せなかったらしくて俺に預けてきた」

 何か言いたげだった彼女を瑠佳は思い出す。きっとこれが渡したかったのだろう。

「ありがとう」

 受け取ると鞄に仕舞った。思わず頬が緩む。


 ホテルの部屋に到着して夕食を摂った後、瑠奈にお礼メールを送る。彼女は練習中なのかすぐにメールは返って来ない。

「父さん、コンビニで飲み物買って来る」

 瑠佳はベッドから立ち上がり、黒いダッフルコートを着る。ネックウォーマーや手袋も身に着けしっかりと防寒対策をする。

「冷蔵庫に入ってるジュースを飲んでもいいんだぞ。それかホテルの自販機で買ってくるとか」

 ソファーに座ってテレビを見ていた父が振り返る。

「どっちも高いじゃん。だからコンビニで買って来るよ。それに夜風に当たりたい気分だし」

 瑠佳は首を横に振り、部屋を出た。


 入口の自動ドアが開き、暖かい空気が漂ったホテルを出ると瑠佳の体を冷気が包む。暗闇を照らすのは街灯と建物の窓から漏れる光。瑠佳は歩道を踏み締める。


 コンビニに到着した。駐車場には一台も車は無かった。

 店の中に入ると冷え切った体をコンビニの暖房が温めてくれる。店員の声が聞こえてきた。飲み物コーナーのガラスの扉を開けて中からアップルジュースを取り出す。


「あ、瑠佳先輩!」

 聞き覚えのある声が耳に届いた。瑠佳は声がした方に顔を向ける。カーキ色のモッズコートを着た和喜の姿があった。チョコレート色の髪の間から覗く目にはまだ幼さが残っている。

「和喜もこの近くのホテルに泊まってるんだ」

 瑠佳がそう言うと和喜に指を差された。

「明日は絶対勝ちます! 瑠佳先輩には絶対負けませんから!」

 和喜の目は気迫に満ちていた。瑠佳は一瞬圧倒されそうになった。

「俺も負けるつもりはない。……それよりこんな所で大声を出すな」

 和喜は慌てて口を両手で塞いだ。幸い店内には二人以外客は居なかった。しかし、店員と一瞬目が合ってしまった。


 和喜は咳払いをした後、レジに向かい左手に持っていたペットボトルをカウンターに置く。瑠佳はその後ろに並んだ。


 支払いを済ませると二人はコンビニ袋を提げながらホテルへの帰路に就く。二人共同じホテルに泊まっている事が分かり、同じ方向へ歩いていた。

「五〇〇〇メートルの滑りなまら凄かったですよ! スタートは失敗してましたが。兎に角、瑠佳先輩、完全復活ですね。ずっと瑠佳先輩と戦えなくて待ちくたびれてたんですよ」

 和喜は興奮気味に話す。

「ありがとう。でも、この結果に満足は出来ない」

 瑠佳は首を横に振る。


「高校生の中では一番じゃないですか。悔しいですけど、僕より順位が上ですし」

 和喜は瑠佳の横顔を見た。

「確かにそうだけど、高校生の中ではじゃなくて、全てのスピードスケート選手の中で一番になりたいんだ」

 瑠佳の透き通った目は天を見詰めていた。


 ホテルに戻って来ると上着のポケットに入れていた携帯電話の着信音が鳴る。エレベーターに乗りながら画面を見た。瑠奈からの返信だ。宿泊している部屋に戻ると返信メールを打つ。彼女の応援は嬉しかった。顔が思わず綻ぶ。

「何ニヤけてるんだ? もしかして彼女からのメールか?」

 父が瑠佳の表情を見て誂う。

「違うって! 瑠奈からのメール」

 瑠佳は首を何度も横に振った。その反応を見て父はつまらなそうな顔をする。


『試合、楽しんでね』

 メールの最後にはそう綴られていた。瑠佳は息を呑んだ。一番大切な事を試合の時に考えられなくなっていた事に気付いた。


「俺、風呂に入ってくる」

 メールの送信が終わると瑠佳はベッドから立ち上がった。

 風呂に入っている間、ずっと明日の試合の事を考えていた。一五〇〇メートルでは今日のような失敗をしたくない。そして、何よりも試合を楽しみたい。


 お風呂上がりに瑠佳は冷蔵庫に仕舞ってあったアップルジュースを取り出す。蓋を開けると少し口に含んだ。熱くなった体が少し冷やされる。

 明日の事を考えると鼓動が早くなる。僅かに手汗もかいていた。冷蔵庫にペットボトルを戻すと服で汗を拭う。


 寝る前にスケート靴の手入れをすると布団の中に潜る。興奮して眠れないかもしれないが早く眠ってこの緊張感から逃れたかった。




 七章まで読んで頂き、ありがとうございました。

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