第26話 何も間違っちゃいない殺人事件
「犯人は貴方ですね、ご主人」
ひょろ長の男の指先が、集まった人々の間を縫い、やがて館の主人の顔を射止める。巨大なシャンデリアが天井でゆらゆらと揺れ動く。大広間に集まった数名の人々は、皆驚愕の面持ちで指名された犯人を振り返った。ご指名に授かった館の主人は、まるで彫刻のように固まったまま、口を半開きにしてひょろ長の男をしばらく凝視し続けた。
ひょろ長の男の名は、真田一行目。奇しくも都内某所にあるこの『大根館』にて起きた、凄惨なる殺人事件に巻き込まれた一介の探偵であった。そして彼は今まさに、殺人事件の謎を解き明かし犯人の仕組んだ狡猾なる犯罪を白日の元に曝け出した。真田はトレンチコートに鹿撃ち帽という、今時珍しい”如何にも”な出で立ちで、口元にはゆったりとパイプの煙を漂わせながら鋭く犯人を見据えた。
「そんなバカな!?」
「まさか、ご主人がこの事件の犯人だったなんて……!」
やがて宿泊客達が、堰を切ったかのように口々に騒ぎ出す。皆の注目を集めた館の主人は、ボールのように大きく突き出たビール腹を揺らしながら、無精髭の生えた顔を真っ赤にして歯ぎしりを繰り返した。騒ぎはあっという間に広間全体を埋め尽くした。
「じゃあ、あの時彼は密室を作り出すために敢えておろし大根を……!?」
「こんなトリックは聞いたことがない!」
「なんて贅沢三昧な男なんだ!」
人々のどよめきに突き動かされるように、主人はふらふらと探偵の前に歩みを進めた。彼は奇妙に顔を歪ませたまま、やがて蚊の鳴くような声を絞り出した。
「教えてくれ、探偵さん……。私のトリックは完璧だったはずだ……!」
「…………」
悔しそうに顔を歪ませる犯人を、真田は煙を揺蕩わせ涼しげな顔で受け流した。主人の顔がさらに赤みを増した。
「ありえない! 密室は完璧だったはずだ! どうして分かったんだ……一体どうして……!?」
「……ええ。確かに貴方の作った『おろし大根密室』、正に完璧と言わざるを得ないおろし大根でした」
「そうだろう!?」
主人の大声が広間に響き渡った。
「アリバイもあった……私は確かにあの日、スーパーで大根おろしを買っていた!」
「ええ。貴方のアリバイは確かに一見崩しようがなかった」
「動機だって、上手く誤魔化せていたと思っていたのに……!」
「貴方と被害者の面々は、大手サイト『大根おろしになろう』ユーザー同士の繋がりで……直接関わりがなかったため突き止めるのに苦労しました」
「くっ……!」
主人が声にならない呻き声を上げ、赤い絨毯の上に倒れこむように跪いた。シャンデリアがゆらゆらと頭上で揺れる。真田は静かに彼の前まで歩を進め、塞ぎ込む犯人に覆いかぶさるように影を作った。
「何故だ!? このトリックを考えついた時は、完全犯罪だと思っていたのに……! 一体どうして……何故分かったんだ探偵! 私は……私は何も間違ってない! 何も間違っちゃいないはずだ!!」
「ええ……貴方は何も間違っちゃいません。トリックも完璧だった。アリバイも、動機もネットを複雑に介し、ほとんど鉄壁と言って良かった」
「だったらどうして……!?」
「ま、画面の向こう側にいるのも、同じ血肉の通った人間だったということでしょう」
「?」
「貴方がこの私……真田一行目が担当する事件で犯した、何より一番の間違いはですね……」
犯人が、今度は青ざめた顔をしながら探偵を恐る恐る見上げた。真田は鹿撃ち帽の上からポリポリと頭を掻き、ぼんやりと天井の方を見つめながら呟いた。立ち込めた白い煙が、真田の頭上で拡散して淡く薄く空気の中に溶けていった。
「”人を殺した”……ということに尽きるんじゃないですかね?」
□□□
「先生! 真田一行目先生!」
「助手君」
犯人が警察に連行されていくのを見届け、真田が館の門の前で佇んでいると、館の中で待機していた学生服姿の少女が子犬のように走ってきた。助手君、と呼ばれた少女は真田の前で立ち止まると、嬉しそうに目を輝かせた。
「また一行目で事件を解決してしまったんですね! 先生!」
「嗚呼。助手君、君はまた『てにをは』を間違っているぞ。一行目『が』事件を解決したんだ。一行目『が』」
真田が大げさに天を仰いだ。辺りはもうすっかり暗くなり、先ほどまで眩しかった夕陽も、今や西側の空の下に小さくなってその姿を隠そうとしているところだった。二人はゆっくりと路地を歩き始めた。
「何も間違ってなんかいません。間違ってようが正しかろうが、易しかろうが難しかろうが、要は『先生が解決してくれて嬉しい』って気持ちが伝わればいいんです」
「『で』と『が』、一文字違うだけで……伝え方を間違えれば、相手に大きな誤解を生む恐れだってあるぞ」
しかめっ面をする真田に、少女はにこやかに微笑んでみせた。
「でも先生がどんなに誤解されていようが……私は先生が一行目で事件を解決したって、信じてますから!」
「間違った情報を信じられてもだな……まさかこの世界が、推理小説ってわけでもあるまいし」
「でもそれだって、もしかしたら間違った情報かもしれませんよ?」
「おいおい……」
真田は諦めたように苦笑いを浮かべ、少女と共に家路に着くのであった。
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