第25話 一刀両断殺人事件
「犯人は……屋敷のご主人、貴方ですね」
「!」
張り詰めた空気の中、探偵がゆっくりと噛みしめるようにその一言を告げた。その途端、そこにいた全員に衝撃が走った。探偵に指名され、好奇の視線を一斉に集めた渦中の男は、しばらくじっと目を瞑ったまま何も言わずにその場に立ち尽くしていた。
「……もし間違っていたら」
やがて、屋敷の主人が静かに口を開いた。若くして実業家として巨額の富を築き、この屋敷の主として君臨してきた男だ。周りにいる大勢の使用人達の顔に、それぞれ緊張と不安がはっきりと浮かんでいた。今や探偵に犯人として皆の前で吊し上げられた彼は、怒りを抑えるように眉を小刻みに揺らし尋ねた。
「もし間違っていたら、君はどう責任を取るつもりなんだい? 真田一行目探偵」
「…………」
ひょろ長の探偵は、くたびれた帽子を深く被り直し、それでも隙間からしっかりと男を見据えて答えた。
「……その時は、腹を切ってみせます」
「……なんだと?」
思わず語尾を上げた男に、探偵は真顔で続けた。
「それくらいの覚悟でやれ……と、私の師匠からの教えなので」
「……っくく」
周囲に戸惑いが広がる中、一人屋敷の主人だけは、探偵の言葉に堪え切れないように笑い出した。
「負けたよ……そうだ、私が犯人だ。参ったな。こんな前代未聞のトリックを思いついた時は、誰にも解けやしないと思ったのにな」
やがて、男は両手を掲げ自らの罪を告白した。その顔は、負けを認めたにも関わらずどこか晴れやかですらあった。身柄を拘束された彼は、特に抵抗する素振りもなく大人しく警察官達に連行されていった。扉の前で長身の探偵とすれ違う時、男は一度だけ立ち止まり、笑みを見せながら尋ねた。
「教えてくれよ探偵さん。私のトリックは完璧だったはずだ。君は一体どの時点で私が犯人だと分かったんだ?」
「……そうですね。大体、一行目辺りです」
「なんだって?」
澄まし顔の探偵が、さらりと言ってのけた。驚きの余り口をあんぐりと開けた容疑者は、そのまま警察官によって強引に扉の外へと連れ出されていった。
□□□
「先生! 真田一行目先生!」
真田が街を歩いていると、人混みの中から聞き慣れた声が飛んできた。辺りを見渡すと、学生服姿の少女が、道路を挟んだ向かい側のガードレールで勢いよくこちらに手を振っているのが見えた。
「助手君」
やがて子犬のように真田の元へと駆け寄ってきた少女が、息を切らしながら尋ねた。
「こんなところで何やってるんですか? 柄にもなく花なんか抱えちゃって……」
助手君、と呼ばれた少女は、真田の抱えた花束を見ながら目を丸くした。真田が帽子の上からボリボリと後頭部を掻いた。
「何……ちょっと人に逢いにな」
「お見舞いですか? 先生にも、そういう『人間の繋がり』みたいなものってあったんですね」
「失敬な。君は私を何だと思ってるんだ? いや……この間解決した事件で、ふと私の師匠のことを思い出してね」
バツが悪そうに遠い目をする探偵に、助手はからかうのを止めた。
「先生の、お師匠さん……。入院されてるんですか?」
「いや……もうお亡くなりになってる」
「…………」
「こっちも、長年墓参りにも行けなくて悪かったなと思っていたんだよ……君も行くか? すぐそこだ」
真田は白い歯を見せて、ビルの隙間から見える小高い山を指差した。本人は冗談のつもりだったのだろうが、真田の思惑とは違い少女は真っ直ぐ頷いていた。
□□□
小高い山をものの数分登った中腹辺りに、大勢の墓地が犇めき合っていた。墓地の周囲は木々で囲まれ、その空間だけが都会の中にありながら静かで独特の雰囲気を醸し出している。その一角に、真田が目指していた名前が有った。緑色のフェンスの中に突き立てられた石の棒をぼんやりと眺めながら、助手が探偵に尋ねた。
「先生のお師匠さんって……」
「ん?」
「どんな人だったんですか?」
墓地の前で手を合わせ終わった真田は、静かに青い空を見上げた。
「厳しい人だったよ。私生活じゃなくて、探偵業に関しては。私に探偵のいろはを教えてくれたのが、彼女だったんだ」
「女性の方だったんですね」
「嗚呼。とにかく豪快で……滅茶苦茶だった。警察や事件の関係者としょっちゅう取っ組み合いの喧嘩をしていたような方だったんだが……」
何かを思い出したかのように、真田がふっと笑みを漏らした。
「師匠の口癖だったのが、『もし推理が間違っていたら、責任を取って腹を切れ』だった」
「えええぇ……そこまで」
少女が石に水をかけながら顔をしかめた。暮石の傍にお供えされた壊れた猫耳のヘッドフォンに、跳ねた水がかかって少し濡れた。
「そのくらいの覚悟でやれってことさ。それである日、とある殺人事件が起こってな。その時、何件も同時に事件を抱えていた師匠は、珍しく犯人を取り違えてしまったんだ」
「え……まさか、お腹を……」
真田が笑った。
「嗚呼。大変だったよ、師匠を取り押さえるのは。どっから持ってきたのか日本刀を取り出して、容疑者の腹を切ろうとしてな」
「そっちですか!? 自分のじゃなくて!?」
真田が目を細め頷いた。
「私も助手時代、師匠のその悪癖には苦労したよ。師匠を人殺しにするわけにはいかない。どうにかして彼女が間違える前に、私がいち早く真犯人を見つけ出さなくては。そのおかげか、私は誰よりも速く事件を解決する術を編み出していった……」
「なるほど……それで……。先生にもそんな苦労があったんですね……」
助手の少女が妙に納得した顔で頷いた。真田はしゃがみ込み、しばらく懐かしそうに墓石に刻まれた名前を眺めていた。
「……さて、じゃあ行こうか。こないだの依頼の件を片付けなくっちゃあな」
やがて立ち上がった探偵は、どこか晴れやかな顔でここまで着いて来た少女にそう告げた。少女はニッコリと微笑み、二人は都会の喧騒の中へと帰っていった。
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