第22話 メリークリスマス殺人事件
「犯人は貴方ですね、奥さん」
長身の探偵のその一言で、人々の視線が一斉に中央の女性に集められる。予想だにしなかったご指名だったのか、当の女性はギクリと体を強張らせたまま、その場で狼狽えてばかりだった。大広間は彼女の次の言葉を待って、自然と静まり返った。壁に立てかけられた古時計が、同じリズムで淡々と次の一秒を刻んでいく。独特の張り詰めた空気が、会場の緊張感を高めていった。
「わ……私には……アリバイがあるじゃナイ!」
やがて彼女は反論を試みようと、震える唇を開き喉の奥から何とか音を漏らした。だが明らかに動揺しきった彼女の表情と、落ち着き払った探偵の顔を見比べてみれば、どちらが劣勢なのかは誰の目にも明らかだった。それに、探偵はまだカードを隠し持っている。顔を真っ赤にして唇を噛みつつも、まだ負けを認めようとしない犯人に対して、探偵は小さくため息をついた。
「貴方は決定的な間違いを犯した……」
「……何でスッテ?」
「サンタクロースがサーフィンするのはね……南半球だけなんですよ」
「!」
その言葉に、彼女は思わず手に持っていた七面鳥を取り落とした。それが合図となって、堰を切ったかのように関係者達が次々と驚きの声を上げる。
「そ……そうか! ということは、彼女がアリバイとして出したあの写真は……!」
「どういうこと?」
「日本じゃサンタはソリに乗ってやってくる……」
「あれは合成……加工を施した偽物……!」
「アリバイが崩れたぞ!」
「なんて頭メリークリスマスな女なんだ!」
犯人の虚を突かれたような顔を確認すると、探偵はそれ以上は何も言わず、くるりと踵を返して外へ出る扉へと向かった。騒がしさを増していく大広間の中で、彼女の足元に落ちた七面鳥がまるで臓物のようにぐしゃりと床で潰れていた……。
□□□
「先生! 真田一行目先生!」
「助手君」
真田と呼ばれた探偵が外に出ると、先ほどから降り続けていたのか、辺りは一面雪化粧へと変わっていた。空から舞い落ちる小さな氷の結晶を見上げていると、真田の元に少女が元気よく駆け寄ってきた。真田は目を丸くした。
「どうしたんだ助手君。『ぬりかべ』のコスプレなんかして」
「これ、サンタです!」
失敬な、とでも言いたげに助手君と呼ばれた少女は腰に手を当て頰を膨らませた。探偵はまじまじと彼女の姿を眺めた。
「何でサンタが全身青銅色なんだ」
「サンタが青くたっていいでしょう? オシャレだし。それより先生、またしても一行目で事件を解決してしまったんですね!」
「嗚呼」
今日は可愛らしくポニーテールに髪をリボンで結んだ助手の少女の褒め言葉に気をよくしたのか、真田は満足気に鼻の穴を膨らませた。
「全く、せっかくのクリスマスが台無しだ。ま、私にとっちゃ勿論こんなもの朝飯前だがね」
「先生、そういえば猪本警部からさっき事務所に連絡が入ってましたよ。四丁目で殺人事件が起こったから、手を貸してくれないかって」
「何だと?」
彼女の言葉に、途端に真田の目の色が変わった。
「どうします先生? もう遅い時間帯ですけど……」
「そりゃ、決まってるだろう」
彼女の言葉を最後まで待たずして、真田は降り積もる雪の中を事務所とは逆方向へと走り出した。
□□□
「犯人は貴方ですね、奥さん」
静まり返った夜の食堂に、探偵の一言が響き渡った。遅い時間帯に集められ、欠伸混じりに眠たそうだった関係者達も、彼の一言で一様に目を覚ました。
「そんな……バカな!? 彼女が犯人だなんて!」
「しょ、証拠はあるの!?」
黙ったまま棒のように突っ立っている犯人を庇ったのは、皮肉にも凄惨なる殺人事件の犠牲者達の、恋人や夫だった。探偵の男は少し悲しそうに目を伏せると、小さくため息を漏らした。
「証拠は……」
「おい、真田」
ポケットから真っ赤なお花を取り出そうとした真田の背後に、いつのまにかマフィア顔の警部が立っていた。真田は目を丸くして尋ねた。
「どうしたんですか、猪本警部。今ちょうどいいところなのに……。『鼠小僧』のコスプレなんかして」
「失礼な。これはトナカイだ」
全身真っ黄色のタイツに身を包んだ警部が、至極真面目な顔で真田を睨んだ。
「真田。ここは私に任せて、お前はサンシャインビル前に行ってくれないか。どうも現場の連中、見たこともない密室トリックに手を焼いているらしいんだ」
「密室トリックですって?」
猪本警部が小声で耳打ちしている間に、みるみるうちに真田の目が輝き出した。
「ここはもう、証拠は抑えているからな。お前の力を借りたい。こんな日だから、無理にとは言わんが……」
「何言ってるんですか警部。行くに決まってるでしょう」
真っ赤なお花を警部の胸に押し付けて、真田は急いで現場を後にした。
□□□
「犯人はあ」
「待って、真田君!」
薄暗いビルの一角で、真田が腕を振り上げたその瞬間、鋭い声が入り口から飛んでそれを制止した。その場にいた全員が声のする方を振り向くと、全身包帯でぐるぐる巻きの女が息を切らしてそこに立っていた。真田はぎょっとなって叫んだ。
「何だ、その格好は。ミイラ女か? 夜霧探偵」
「違うよ、これは『一反木綿』だ」
真っ白になった顔で、夜霧と呼ばれた女探偵はほんのりと頰を紅く染めた。
「何故クリスマスに一反木綿の格好を……」
「一反木綿がクリスマスを祝っちゃおかしいかい? それより、ここは私の担当なんだ。手柄を横取りしないでくれ」
「何言ってるんだ。君こそ、私の邪魔をするな」
推理を途中で遮られた真田は、手を振り上げたまま憮然とした顔をした。一反木綿が慌てて下の方を指差した。
「そ……そういえば下で、暗号が見つかったらしいぞ。まだ解読できてないとか。君、行って手伝ってあげたらどうだい?」
「ちょっと待て。おかしいぞ。今日に限って、いくら何でも事件が起こりすぎだろ」
「事件はいつだって、突発的にやってくるもんさ。どうする? 行くのか、行かないのか……」
「そりゃあ勿論行くさ」
真田は即答した。謎があれば飛びつく男だ。後犯人はお前だ、と、すれ違いざまに一人の女性にそう言い残して、彼は足早にエレベーターへと向かった。
□□□
「犯人は貴方ですね、奥さん」
「犯人はあなた」
「犯人はあ」
「犯人」
「はん」
「は」
□□□
「はあ……」
それから真田は今日だけで十件もの怪事件を解き明かし、街中をサンタの如く駆け回った。ようやく彼が事務所に戻った時には、すでに時計の針は十二時を回っていた。さっきまで降っていたはずの雪はとうに止み、街灯に照らされた白い地面にはたくさんの足跡が何重にも重なり合っている。流石の名探偵も疲れを隠せず、下を向いたままため息混じりに真っ暗な事務所の電気をつけた。すると……。
「メリークリスマス!」
「!」
激しい破裂音と、眩いばかりの光が真田の目に飛び込んできた。真田はぽかんと口を開けた。いつの間に用意したのだろうか、殺風景だった事務所にはツリーや色とりどりのキャンドルが並べられている。探偵事務所は、すっかりクリスマス仕様になっていた。真田が中を見渡すと、青いサンタの格好をした助手君や黄色いトナカイ、全身包帯巻きの一反木綿に、何やらよく分からない紫の塊に身を包んだ美人小説家・一条千鶴の姿もあった。
「こ……これは一体……」
「ごめんなさい、真田先生。お邪魔してますわ」
真田が戸惑っていると、一条千鶴が紫の塊から飛び出した根っこのようなものをずるずると引き摺りながら彼に近づいてきた。いつの間に先回りしていたのか、夜霧探偵が真田に笑いかけた。
「実は真田先生に内緒でサプライズのクリスマスパーティを開こうと……そこの可愛らしいサンタさんから提案があったのですわ」
「えへへ……」
「でも真田君ったら、どんな事件も相変わらずスピード解決するもんだから。危うく会場の巡撫が間に合わないんじゃないかと焦ったよ」
「それでみんなに協力してもらって、先生にわざと事件を回してもらったんです」
「それもあっと言う間に解決するんだから、流石といったところだな、名探偵」
「そ……そうだったんですか……」
「さあ、先生も早くサンタに着替えて! パーティを始めましょう!」
仕事を終えた名探偵に、助手の少女から赤いちゃんちゃんこが手渡された。
「メリークリスマス! 真田一行目先生!」
「メリークリスマス!」
それからシャンパンが開けられ、事務所では遅めのクリスマスパーティが始まったのだった……。
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