第21話 この世で最後の殺人事件
「犯人は貴方ですね、奥さん」
白い息を吐き出しながら、探偵が跪く女性に静かに声をかけた。風が強くなってきた。山荘の外はすっかり雪化粧で染まり、集まった数名の人々の体を芯から凍えさせる。視界は悪かった。彼らの頭上にぽつんと浮かぶ小さな橙の灯だけが、白に覆われた暗闇の中で唯一の目印だった。服に纏わり付いた粉雪を身震いと共に振り払い、周りにいた一人の男が目を丸くして叫んだ。
「まさか……彼女が犯人だと!?」
「信じられない……! レモン七十兆個分のビタミンCを、被害者の体内に流し込むだなんて!」
「人体の細胞の数を遥かに上回ってるじゃないか!」
「なんて健康第一な女なんだ!」
騒ぎ出す周囲の輪の中で、女性は跪いたまま微動だにしなかった。立ち尽くす探偵に、反論の言葉は返ってこない。ひょろ長の探偵は、事件が終わったことを悟ると踵を返し、唇を震わせながら山荘を下る坂道へと歩みを進めるのだった。
□□□
「先生! 真田一行目先生!」
「助手君」
真っ白に染まった杉の木が立ち並ぶ坂道の途中。真田と呼ばれた探偵が振り返ると、学生服姿の少女が紺のマフラーを揺らしながら彼の方に駆け寄ってきた。白い息を吐き出しながら、助手君と呼ばれた少女は寒さで真っ赤になった頰を緩ませた。
「また一行目で解決してしまったんですね! 先生!」
「嗚呼。最早何も言うまい」
「そんな。何か言ってくださいよ」
「一行目で事件を解決してやったぞ! ワーッハッハッハ!」
「…………」
「…………」
それから二人はしばらく黙って雪山を下っていった。
□□□
「……それにしても大変ですね、先生。こんな寒い日にまで、殺人事件だなんて……」
「そうだな……毎回三食昼寝付き空調完備の一室で、殺人事件が起きてくれればいいんだが」
「先生……この頃働き過ぎじゃないですか? 少しは休んだ方が良いですよ」
「完全週休二日制で、殺人事件が起こればな……生憎と、事件の方が無くならない」
「この世から殺人事件が無くなるなんてこと、あるんですかねぇ……」
何やら考え深げに夜空を仰ぐ少女を見て、真田は汗を拭いながら足を止めた。一向に止む気配のない雪は深く降り積もり、一歩進むのにも一苦労だ。彼の足は既に膝下近くまで埋まってしまっていた。
「そうだな……もしかしたらさっき私達が解決した事件が、この世で起きた最後の殺人事件だったかもしれない」
「え!? そんなバカな……」
「もう二度と傷つけ合わない、誰も憎しみ合わない、争いも何も起こらない……」
「……………」
「もしそうなったら……私はもうお役御免ってとこだな」
「先生……」
少し先を進んでいた少女もまた足を止めた。山頂から吹き下ろす風が、さらに強さを増していった。
「じゃ……そうなったら、どうするんですか?」
「どうもしない。今更私にできることと言えば、謎を解くことくらいさ」
真田は肩を竦めた。少女は白の弾幕に吹かれながら、じっと彼の方を見つめて呟いた。
「私は……私はそうは思いません。だって、先生はあの時……」
「?」
吹雪が一段と強さを増すのと、少女が駆け出したのはちょうど同じくらいだった。
「助手君……?」
雪山の中腹に残された真田は、黙って少女の背中が小さくなっていくのを見つめていた。彼女の残した足跡は、一瞬で空から降る白に埋め尽くされ、あっという間に見えなくなってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます