第20話 真田探偵助手殺人事件
「犯人は貴方ですね、奥さん」
しっかりと見据えられた眼光の先で、呼ばれた女性が目を虚ろにして体を強張らせた。大広間に集まった誰もが、彼女の次の言葉を固唾を飲んで見守った。全方位から注目を浴びた彼女も、しばらく声にならない嗚咽を漏らし続けていたが、やがて観念したようにその場に崩れ落ち、ひたすら頭を下げ続けた。
「すいません……すいません……!」
容疑者の敗北宣言に、周りの大人達に動揺が走った。
「なんてこった……まさかまだあんな少女を……!?」
「なんて複雑怪奇な女なんだ……!」
広間が騒がしくなっていく中、いつもより気合の入った探偵は、ホッと肩の荷を下ろした。やがて警察官が泣き崩れる女性を取り囲む。犯人が何か語り出す前に、無精髭の探偵は目を伏せると、何も言わず逃げるようにその場を後にした。重たい扉が開かれても、今回ばかりは気を使ったのか、誰も彼を止める者はいなかった。
□□□
「ふぅ……」
静まり返った廊下で、探偵が思わずため息を漏らした。今夜はもう、彼を慕ういつもの少女は駆け寄って来ない。そう思うと、真田は何だか急に胸にぽっかりと穴が空いた気分になった。いつの間にか、自分の目に涙が浮かんでいるのに気がついた。きっと夜遅くなって眠たくなったせいだろう、と探偵は推理した。彼は窓から差し込む月明かりに導かれるように、フラフラとガラスに身を寄せ、一人空を見上げた。物思いに耽る探偵の元に、廊下の暗がりから小柄な影が駆け寄ってきた。
「お兄サン! 真田お兄サン!」
「な……!? お前は……!!」
真田と呼ばれた探偵が、ギョッとして声の方を振り返った。探偵の元にやってきたのは、猫耳のヘッドフォンを付けた、小学生くらいの女の子だった。何時ぞやの路地裏で出会った、奇想天外な『謎』を売り歩く正体不明の少女。予期せぬ人物の登場に、ひょろ長の探偵は慌てふためいた。
「お兄サン、おめでトウ! また一行目で事件を解決したんでショウ?」
「なんで君がここに……!?」
完全に虚を突かれた様子の真田を、褐色の少女が可笑しそうに見上げた。
「モチロン、新しい『謎』を手にいレタからだヨ。お兄サンなら、きっと気にイルと思っテ……」
「おいおい、ちょっと待て。私はついさっきまで複雑怪奇なトリックを解いていたんだ。いくら何でも……」
「またまたァ、そんな事言ってエ。きっとこの『謎』を見たら、飛びつかずには居られナクなると思うヨ」
顔をしかめて売り子を追い払おうとする探偵に、ニンマリと笑った少女は尻ポケットからカードを取り出して見せた。
「な……!?」
疲れた顔でちらりとカードを見るなり、真田は思わず身を強張らせた。そのカードには、こう書かれていた。
【真田探偵助手殺人事件】
「何だ……これは……!?」
真田は少女からカードを引ったくり、食い入るようにその文字を見つめた。今日は例の助手は、真田の隣にはいなかった。だがそれは、演劇部の予定があるとか何かで、珍しく現場について来なかっただけの話だ。それが、殺人事件? もし悪戯だとしたら、あまりに悪質すぎる。いくら何でも……。様々な事柄が一瞬で頭を駆け巡る中、真田は答えを探すように少女に目を泳がせた。猫耳ヘッドフォンの少女は、廊下の影にその体を半分隠しながら、ニヤリとその八重歯を剥き出しにした。
「こんなところで油を売ってていいのかナァ……真田一行目探偵」
「…………!」
真田は息を飲んだ。闇に埋もれた猫耳少女の目が、窓から差し込む月明かりに照らされて妖しく光った。
□□□
「エリィ、起きなさい。エリィ」
「うぅん……」
寝静まった住宅街の一角で、少女を起こそうとする怪しげな声が囁かれた。エリィと呼ばれた少女は、寝返りを打ちながら自分を呼ぶ謎の声に顔をしかめた。彼女が目を覚ますと、自分の部屋に見知らぬ白髪の老人が立っていた。
「きゃああっ!?」
思わず大きな叫び声を上げる少女に、老人は慌てて人差し指を立てた。
「シーッ! 静かに! 静かに!」
「何!? 何!?」
突然の出来事に混乱する少女に、老人は必死に人差し指を立てた。
「落ち着けエリィ! ワシじゃよ、忘れたのか? ダンブルマドじゃよ」
「むぐぐ……忘れたも何も、私貴方のことなんか知りません! 一体何なんですか貴方? どうやってこの部屋に……?」
ダンブルマドと名乗った老人は、抵抗する少女を見て諦めたようにため息をついた。
「忘れてしもうたか……それも仕方あるまい。違法界の出来事は、現実では並大抵の精神力では覚えておられんからのう」
「何ですって?」
「エリィ。落ち着いて聞いて欲しい。ワシはお前さんに、大切なことを伝えに来たのじゃ」
「そもそも私絵里だし、エリィなんて外国っぽい名前じゃないですけど……人の家に不法侵入しといて、一体何を伝えに来たの? おじいさん」
絵里と名乗った少女が老人を突き飛ばしながら尋ねた。フローリングの床で全身を強打した老人が、腰を摩りながら弱々しく声を上げた。
「イタタ……落ち着け。エリィ、君は違法使いじゃ。ワシはそれを伝えに来た。落ち着くのじゃ」
「もしもし、警察ですか? すぐに来てください……私が何使いですって?」
落ち着いて警察を呼ぶ絵里が、馴染みのない言葉に首を傾げた。老人は欠けた歯を剥き出しにして不気味に笑った。
「無駄じゃよ、エリィ。ワシの違法で、電話線を切っておる」
「え……」
「いいから落ち着いて、ワシの話を聞け。私はダンブルマド。違法専門学校の校長じゃ」
「何……?」
身の危険を感じた絵里が思わず後ずさった。老人は狂気を隠そうともせず、嬉しそうに彼女に一歩近づいた。
「違法じゃよエリィ。違法使い。君が無意識に使っておるそのまっこと不思議な現象……それは皆、違法の力じゃ。我々の世界ではそう呼んでおる」
「違法……?」
老人がどこからともなくペンチを取り出した。どうやらその工具で、無理やり鍵をこじ開けて侵入したのだろう。凶器を取り出した侵入者を刺激しないように、絵里は慎重に老人に尋ねた。
「……私が、違法使いですって? 何かの間違いじゃないかしら? だって私はただの高校生で……」
「聞きなさい、エリィ」
老人は長く白い髭を撫でながら、優しく囁いた。そして何故か羽織っている似合わないボロボロのマントの後ろから、棒切れとプラスチックのコップを取り出すと、ニッコリと絵里に微笑んで見せた。苦笑いを浮かべる絵里の前で、老人はただの棒切れをまるで魔法の杖みたいに構えると、机に置いたコップに向かってブツブツと呪文を唱え始めた。
「マジック=マッシュルーム!」
「えっ!?」
次の瞬間、コップの中が虹色の液体で満たされた。絵里は目を見開いた。今のは……マジックか何かなのだろうか? 驚きのあまり声を出せないでいる絵里に、老人は不気味な笑顔でコップを差し出した。
「さあ、飲みなさいエリィ。これを飲むと気分がその……良くなるから」
「い、いえ……結構です……」
絵里は七色の渦巻く謎の液体を覗き込みながら、精一杯の愛想笑いで断った。
「そうかい。勿体無いのう……美味いのに。じゃあ、ワシが頂くとするかの」
少し残念そうな表情を浮かべた老人だったが、次の瞬間一気にコップの中身を喉に流し込んだ。途端に老人は呻き声を上げ、視線を天井の方に向け薄ら笑いを浮かべ始めた。
「ふぃ〜。やっぱり違法の飲み物は格別じゃの! 一度知ったら、病みつきになる!」
「ハハ……」
違法の飲み物。確かに老人はそう言った。絵里が引きつった笑いを浮かべていると、突然老人が真顔になって喋り始めた。
「聞け、エリィよ。実はワシはな、違法学校で校長をしておる」
「さっきも聞きました……」
「違法な力を宿した違法使いを違法界に呼び戻すため、こうして夜な夜な君のような者の元を訪れているのじゃよ」
「違法使い……なるほど、それで訪れ方も違法なのね」
老人の手に握られたペンチをチラチラと気にしながら、絵里が頷いた。
「そうじゃ。絵里……いや間違えた、エリィ。何を隠そう、君は去年、違法学校を卒業した私の生徒なのじゃ」
「間違えてないですよ」
「ただ、違法界の出来事は現実では隠されておるから、君は覚えてないかもしれん。どうじゃ、ワシと共に、違法界に戻らんか? 向こうには仲間がたくさんおる! 皆違法じゃ! ワシも君も、違法使いなんじゃ!」
笑い続ける老人を前に、絵里は完全にドン引きした。
「私……そんな、違法使いだなんて……」
「ふむ。自覚がないようじゃな。それも仕方あるまい……じゃがのう。君の周りでも、説明のつかない不思議な現象が起こったりしとらんかの?」
「え……」
「君も、知らず知らぬのうちに違法を使ったことがあるんじゃよ」
ニッコリと微笑む老人の言葉に、絵里は眉をひそめた。
「たとえば母親から電話で怪我をしたから急いで入院費を振り込むように頼まれ、後日聞いてみると『全くそんな事は知らない。入院もしていない』と言われたり……」
「たとえば友人から『買うだけで効果があるから』と言われ貯金全額払って買った壺が、仲間内で君にだけ何故か効果がなかったり……」
「ちょ、ちょっと待って。なんで知ってるの?」
絵里は目を丸くしてちょうど棚の上に飾られた趣味の悪い壺と、気味の悪い老人を交互に見比べた。驚く絵里に、老人がスマホを取り出して見せた。
「違法の力を舐めるでない。その程度の情報を集めるなど、ワシならお茶の子さいさいじゃ。とにかく、それらの出来事は、みんな違法なんじゃ。エリィに眠る違法の力に、引き寄せられて起こったのじゃ」
「ええ……何それ怖い……」
「さあエリィ、これでわかったじゃろ? ワシと共に、違法の世界に戻ろう」
「で、でも……」
相変わらず過ぎた笑顔でシワシワの手を差し出す老人に、絵里は目を逸らした。
「ごめんなさい、おじいさん。私、学生だもの。高校を辞めて違法使いになるなんて言ったら、お父さんとお母さんがきっと怒るわ」
「大丈夫じゃ。そこらへんは違法の力で何とかなる」
「まあ……違法ってすごいのね」
絵里はため息を漏らした。
「でも……私真田先生の元で助手もやらせてもらってるし、やっぱり無理。探偵の助手が違法を使ってたら、おかしいじゃない」
「ふむ。致し方がない。だったら……」
「!」
「違法の力で何とかするしかないかの」
絵里が拒絶したと分かるや否や、老人は冷たい目つきで右手に持ったペンチをゆっくりと振り上げた。絵里は思わず目を瞑り悲鳴をあげた。
「きゃああっ!!」
「そこまでだ!」
身の危険を感じ、叫び声を上げた絵里の元に、突然ドアが開かれ鋭い声が飛んできた。新たな来訪者に、絵里は目を丸くした。
「せ、先生!?」
「大丈夫か、助手君!?」
息を切らしてやってきたのは、他ならぬ真田だった。老人は真田を振り返り、一瞬時が止まったかのように固まった。
「チッ……邪魔が入ったようじゃの」
「待て!」
だが次の瞬間、老人は見た目からは考えられないくらい驚くべき俊敏さで窓から身を投げ出した。そのまま二階から飛び降りた老人は、何事もなかったかのように脱兎の如く走って逃げて行った。唖然とする絵里の横を通り抜け、真田が窓の枠から身を乗り出し歯ぎしりした。
「クソッ……逃したか!」
「先生……一体何なんですか!? どうしてここに……」
目を白黒とさせる絵里に、振り返った真田は頷いて説明した。
「嗚呼。とある人物から、君に危険が迫っていると聞いてな。あいつは麻薬の密売人さ」
「ええ!?」
「自分でも売り物に手を出してああなってしまったんだ。間に合って良かった。危ないところだったな、助手君」
「そんな……」
「もう安心だぞ。警察も呼んである。私が来たからには、君には指一本触れさせん」
「せ、先生……」
ちょっぴり顔を赤らめる絵里の頭を、真田がくしゃくしゃっと撫でた。
「あ、ありがとうございます……」
「落ち着いたか?」
「ええ」
緊張から解き放たれたのか、ようやく絵里にも笑顔が戻った。
「そ、それにしても先生、よく私の家が分かりましたね。びっくりしましたよ……それも誰かに聞いたんですか?」
「嗚呼。それはこれを使った」
真田が得意げにスマホを取り出してみせた。
「GPSだよ。いつかの仕返しにと、君のカバンにこっそり取り付けていたんだが、まさかこんなところで役に立つとはな。まさに現代の魔法じゃないか。ハッハッハ!」
「んな……!?」
白い歯を見せ笑う真田に、絵里は完全にドン引きした。
「こうしちゃおれん。私はさっきの男を捕まえに行かなくては。じゃあな助手君!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ先生……それって、それこそ違法……」
慌ててカバンをひっくり返す絵里をよそに、真田は颯爽と部屋から飛び出して行った。暗闇の住宅街を駆け抜けていく真田の背に、絵里の叫び声が遠くから響き渡った。
「もう……先生の、アホー!!」
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