第23話 偶然を装って巻き込まれた殺人事件

「犯人は貴方ですね、奥さん」


 静かに呟かれた探偵の一言で、集まった大勢の人の輪に動揺が走った。波紋のように広がったそれは、やがてうねりを上げて大広間全体を覆っていく。探偵に集められていた皆の視線が、今度は一斉に名指しされた女性の方へと向けられた。古びた旅館で、とある家族を襲った怪死事件。その犯人がまさか身内の者だったとは、その場にいた誰もが予想していなかった。


「まさか……彼女が犯人!?」

「…………!」


 信じられない、と行った具合に刑事の一人が驚嘆の声を上げた。だが先ほどひょろ長の探偵によって披露された奇妙奇天烈なトリックの全貌。そして突きつけられた動かぬ証拠は、誰がどう見ても彼女が犯人だと告げている。


「そんな……じゃあ旦那さんを殺したのは……美佐枝さん!?」

「おい、何とか言ってくれ! こんな探偵の言う馬鹿げたトリックなんか、嘘っぱちだって言ってやれよ!」

 徐々に広間が騒がしくなっていく。だが、女性は一向に顔を上げようとしなかった。やがて、全員の視線に囲まれた彼女は、俯いたまま、足元の赤い絨毯に一粒の涙を零した。


「探偵さん……よく分かりましたね……」

「!!」


 それは、一週間に及ぶ怪事件を終焉させる、真犯人からの敗北宣言だった。


「嘘だ……嘘だ! 自分の家族を、牛カルビで……!?」

「トリックが奇抜すぎる!」

「なんて弱肉強食な女なんだ!」

 彼女の告白に、広間に集まった全員がそれぞれ驚きの声を上げた。犯人はまるで糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちると、顔を覆った両手の隙間から大量の涙を零し始めた。


「美佐枝さん……。アンタ、一体何故こんなことを……」

「ううぅ……」

「何か理由があるんだろう? 話してくれないか?」

「美佐枝さん……!」

「うぅ……! 実は、夫は……人間の皮を被った、悪魔だったのよ……!!」

「!!」


 やがて観客に囲まれた女性が、声を震わせながら犯行動機を語り始めた。今にも悲劇的なバックグラウンドミュージックが聞こえて来そうな、犯人の、犯人による、犯人のための独演会が幕を開ける。見事事件を解決した探偵は興味なさそうに探偵帽を被りなおし、話が長くなる前にさっさと退散することにした。


□□□


「先生! 真田一行目先生!」

「ん?」


 真田一行目と呼ばれた長身の探偵が旅館の門をくぐると、一人の男が後ろから声をかけてきた。小太りの中年男性が、何故か嬉しそうに笑みを浮かべながら転がるように階段を駆け下りてくる。男は真田に追いつくと、膝に手をつき、息を切らしながら玉のような汗を床に滴らせた。


「ハァ……ハァ……」

「貴方は……確か第一発見者の、織田さん」

「覚えてくださったんですか!」


 綻んだ表情をさらに破顔させ、織田と呼ばれた男はぴょんっ、と体を飛び上がらせた。


「真田先生、お手並み拝見させて頂きましたよ! やはり噂通り、一行目で事件を解決してしまったんですね!」

「一行目『が』、です」

 真田は渋い顔をして訂正を入れた。

「一体……?」

「嗚呼、申し遅れました! 私、実はこう言う者でして……」


 織田はキレのいい動作で、ポケットから名刺を取り出した。ひょろ長の探偵は、紙に書かれた仰々しいフォントの文字をマジマジと覗き込んだ。


「『プロ第一発見者』・織田信七……?」

「どうですか先生。お話がてら、珈琲でも一杯!」


 何とも怪しげな肩書きだった。真田が返事をする前に、織田は有無を言わさず彼の手を掴むと、最寄りの喫茶店へと引っ張って行った。


□□□


 やがて二人は、現場近くの年季の入った喫茶店に入って行った。こじんまりとした空間に小さな机が三脚だけ並べられていて、客は一人もいなかった。店内ではジャズセッションがバックグラウンドミュージックとして流れている。織田は有無を言わさずアイスコーヒーを二杯頼むと、早速向かいに座った真田探偵に笑いかけた。


「いやあ、お初にお目にかかれて光栄です! 私、先生のファンでしてね! ずっと陰ながら応援してたんですよ!」

「はあ」

「今日のあの、『弱肉強食トリック』なんか、もう痺れました! まさか牛カルビがね……。是非私も、プロとして手ほどきを受けたいものですな!」

「いやいや、私なんか。まだまだでして……」

「そんな、ご謙遜なさらず!!」


 織田は有無を言わさず真田の手を取り、熱く握りしめた。


「先生。探偵にとって、一番必要なものは一体なんだと思いますか?」

「い、一番必要なもの……?」


 織田の巨大な瞳に熱視線を送られ、真田は引きつった笑みを返した。何だかとても面倒な人に巻き込まれてしまったようだ。


「うーん……。やっぱり、推理力とか……観察力とかじゃないでしょうか……?」

「そう! 探偵に一番必要なのは、如何にさり気なく事件に巻き込まれるか! 『巻き込まれ力』なんです!!」

「ま、巻き込まれ……? 何ですか、それは?」


 真田の答えを聞き終わる前に、織田は有無を言わさず答えを言い切った。


「文字通り、『事件に巻き込まれる能力』ですよ。どんな優れた探偵だって、常に仕事の依頼が舞い込む訳ではありません。旅先やふと立ち寄った観光名所なんかで、如何に『偶然を装って』事件に介入していくかが、探偵業の収入を大きく左右するのです」

「はあ」

「一流の探偵と言えど、推理小説に匹敵するくらいの大掛かりなトリックを使った事件に巻き込まれるのは、年に一回あるかないかです。トッププロでも、週に約一回。それ以外は浮気の調査や、失せ物探しで小銭稼ぎをするしかありません。知っていますか真田さん? 全国の約八割以上の同業者達が、探偵一本では飯も食えていない状況なんですよ」

「はあ」

「一部の特権階級にいる名探偵達が、羽振りの良い事件を独占しているんです。これは大変由々しき事態だ。このままでは、日本から探偵が絶滅してしまう……あ、別に真田さんを批判する訳じゃないんですけどね」


 そう言って織田は、運ばれてきたアイスコーヒーを有無を言わさず二杯とも一気に飲み干した。織田は満足そうに口元を拭うと、何やら意味深な表情で身を乗り出してきた。


「失礼ながら、真田先生の『巻き込まれ力』を事前に調べさせていただきました。先生の『巻力』は、大体平均して一五〇〇から二五〇〇程度……」

「『巻力』……」

 織田はタブレットを取り出すと、数字が細かく動き続けるカウンターのようなものを真田に見せてきた。一体どうやってその『事件に巻き込まれる力』を数値化したのか。そもそも一五〇〇から二五〇〇という数字が、果たして高いのか低いのかさえ真田には分からなかった。


「ちなみに週刊誌に事件の詳細が載ってるようなトッププロは、十万越えがゴロゴロしていますから。残念ながら今の真田先生の『巻力』では、全国で戦っていくほどの力は備えていません」

「全国……戦う……」

「そこでです。真田先生。私と組みませんか?」

「組む?」

 真田は首をかしげた。

「私、こう見えても昔、探偵を志したことがありましてね……」

 織田は窓の外に目をやると、有無を言わさず遠い目をして見せた。


「残念ながら私には、プロ並みの『巻力』がなかったものですから。回ってくる事件といえば、迷子犬の捜索や身元調査など小さな事件ばかり……。稼げなくなって、今の仕事に転職したんですが」

「はあ」

「今ではプロの『第一発見者』として、数々の殺人事件の被害者を発見しています。きっと真田先生のお力にもなれますよ!」

「何ですか? そのプロの第一発見者って?」

「文字通り、『被害者を第一に発見する』仕事ですよ!」

 織田が自信満々に頷いた。店内では相変わらず、ジャズセッションのバックグラウンドミュージックが続いている。


「正式名称は『第一発見代行サービス』です。殺人事件における、煩わしい第一発見のあれこれを、事件解決のノウハウを持った我々が代わりにやっているんです!」

「具体的には、どのように?」

「例えば本部がSNSやGPSを駆使して殺人事件の発生を確認すると、近くのコンビニとかパチンコ屋に駐在している我々に指示が飛びます。そこからは、もう競争ですね。如何にライバル達より早く現場に辿り着き、仏さんを確認するか。第二、第三の被害者の発見に全力を尽くします。中々の体力仕事ですよ!」

「ははあ。良くわからんが、世の中には色んな仕事があるんですね」


 全くの部外者が突然旅館に大量に押し寄せて、我こそが第一発見者にならんと押し合いへし合いしている様を思い浮かべながら、真田は曖昧に笑って見せた。


「どうですか先生? 私と全国を目指しませんか?」

 織田は有無を言わさず矢継ぎ早に言葉を吐き出した。

「真田先生ほどの『巻力』は持ってないんですが、事件が起きた後のさらなる被害者の『発見力』には、些か自信がありますよ。私の『発見力』は五三万です。私の会社と組めば、今何処でどんな殺人事件が起こっているか、リアルタイムで把握することが可能です。これは探偵にとってかなりのアドバンテージですよ。実際、我が社を利用した探偵さん達の『巻力』は飛躍的にアップし、収入の方も……」

「折角ですが……」


 真田は椅子から立ち上がると、織田の話を遮った。


「え?」

「では私はこれで」

「ま、待ってください、先生。どうしてですか? お安くしときますよ!?」


 真田は静かな目を織田に向けて、やがて小さく口を開いた。


「私は別に、推理小説や新聞に載るような大事件ばかりが探偵の仕事とは思っていませんよ。貴方の言う『巻力』が無くたって……浮気調査や失せ物探しだって、人のためになる立派な探偵の仕事だと思ってます」

「!」

「それに、私にはもう助手がいるんでね……」

「あ……先生!」


 織田はまだ何か言いたそうだったが、真田は有無を言わさずその場を立ち去った。店内に流れていたジャズセッションが、真田と入れ替わるように、悲しげなラプソディーのバックグラウンドミュージックへと変わっていった。


□□□


「あ! 先生! やっと見つけた!」

「ん?」


 喫茶店を出ると、外はもう暗くなっていた。ふと向かいの角から、真田の元に駆けてくる少女の姿が見える。少女は真田のそばまで来ると、嬉しそうに声を張り上げた。


「先生、遅かったじゃないですか! 流石の先生も、今回ばかりは一行目では解決できませんでした?」

「馬鹿な。事件はとっくに解決したさ。この私、一行目『が』な。助手君、君こそ何処に行ってたんだ。電話してくれればいいじゃないか」

 助手君と呼ばれた制服姿の少女は、ポケットから『圏外』と表示されたスマートフォンを取り出した。

「それが、ここのところあまりに事務所に事件の依頼が無くて。支払いが滞って、私達、携帯会社から利用を止められてしまったんです」

「なんだって?」


 真田は慌てて携帯電話を取り出した。液晶画面には、確かに『圏外』の文字が浮かんでいた。


「本当だ……しまったな。変な男に巻き込まれている場合じゃなかった」

「今時ケータイが使えないだなんて、どんな殺人事件よりも一大事ですよ」

「うーむ。いや……ちょっと待て。私の携帯が止められるのは分かるんだが、何故君のまで使えなくなってるんだ? まさか君、ウチの事務所の口座から支払っているんじゃあるま」

「あ! 先生、急いで! もう帰りの電車の時間、来ちゃいますよ!!」


 真田は口を開きかけたが、少女は有無を言わさずに彼の手を引っ張って駅のホームへと走って行った。

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