第二幕
第17話 心休まる、癒し系スローライフ殺人事件
「犯人は貴方ですね、女将さん」
静けさが残る、夕刻過ぎの老舗旅館。丁寧に整えられた日本庭園に聳え立つ松の木が、細長い影を旅館の一室へと伸ばしていた。窓から入り込む松の陰に身を半分ほど潜めながら、先ほどの台詞を吐いた男がゆっくりと帽子の唾を上げた。華奢なその体の天辺に乗っかっているのは、今時珍しい鹿射ち帽である。かのシャーロック・ホームズが愛用していた由緒あふれる帽子に、薄茶色のトレンチコートで着飾った男。さながら探偵の真似事でもしているのだろうか。『犯人』、などと気取った言葉を使い、男は和室の中心に座り込む一人の女性をじっと見据えた。
「そんな馬鹿な……!?」
「この地方の伝説になぞらえて……!?」
女性を囲んだ人々が、口々と驚きの声を上げている。毎年シーズンになると、この旅館に泊まる常連客達。皆この旅館が好きで宿泊しに来ている上客である。彼らを悩ませた『日本七地獄伝説連続殺人事件』の犯人が、まさか旅館を取り仕切る女将だったとは、皆夢にも思っていなかっただろう。馴染みの客であるはずの彼らには目も暮れず、女将は恨めしそうに探偵帽の男を睨みつけた。
「悔しいけど……私の負けね、探偵さん」
「!」
彼女から次に絞り出された蚊の鳴くような声は、事実上の敗北宣言だった。マッチ棒のように細い男が、探偵帽を深く被り直しその下で不敵に笑ってみせた。探偵と呼ばれた若い男が肩の荷を下ろしたように力を抜く中、常連客達は逆に体を強張らせ驚きを隠せずにいた。
「!」
「まさか……女将さんが、犯人だって!?」
「何て商売上手な女将なんだ!」
知る人ぞ知る、日本七地獄の伝説。本来経営を苦しめるはずの惨劇を、女将が自ら行っていたことになる。予想外の人物が冷酷な殺人鬼として白日の下に晒され、その場にいた誰もが一瞬言葉を噤んだ。
「女将さん……」
「一体どうしてこんな事を……!?」
「女将さん……何故!? 人殺しだなんて……!?」
やがて、十八畳の大広間に至極当然の疑問が広がっていく。女将が口を開きかけ、皆が彼女を食い入るように見つめる中、いつの間にか探偵帽の男は忽然と姿を消していた。
□□□
「先生! 真田一行目先生!」
「!」
薄暗い旅館の廊下に、何処からか若い少女の声だけが響き渡った。真田、と呼ばれた先ほどの探偵帽の男が、姿の見えない声の方角を探して暗闇に目を凝らす。やがて薄明りの向こう側から、学生服姿の少女が現れた。まだ年端もいかない少女は人懐っこい笑顔で、肩付近まで伸びた髪を靡かせながら男の下へと駆け寄ってきた。
「また一行目で事件を解決してしまったんですね! 先生!」
「助手君」
自分の胸よりも背丈の低い少女を『助手』と呼び、真田はコートの内ポケットから刻みタバコとパイプを取り出した。
「君はまた『てにをは』を間違っているぞ。この私、一行目『が』解決したんだ。一行目『が』」
「先生、私一つ疑問に思ったんですけど……」
「何だい?」
「先生は犯行動機、聞かないんですか? 今だって、犯人さんが絶賛独白中ですよ」
「フ……」
少女が不思議そうに明りの漏れる廊下の向こうを指差した。真田はパイプを咥えながら、何故か眉間に皺を寄せ天井を見上げた。
「私は探偵だよ。『謎』を解くのが仕事だ。何故殺したか……それを聞いて一体どうする? 結局、その理由に最終的に向かい合わなくっちゃいけないのは、本人じゃないか。『それじゃダメだ』とか、『そんなの間違ってる』とか、そりゃ終わった後で外側から彼是言うのは簡単だよ。でも、それなら最初っから殺人なんて起こってないはずだろう?」
「なるほど! 単に、面倒な人間関係に巻き込まれたくないだけじゃないんですね!」
「……当然じゃないか」
廊下の陰に渋く作った表情を半分溶かし、斜に構えて格好つけた探偵に少女がにっこりと微笑んだ。
「先生、私もう一つ疑問があるんですけど……」
「……何だい?」
「何でタバコ吸えないのに、わざわざパイプなんて買ったんですか?」
「行こう。そろそろ女将が犯行動機をしゃべり終えた頃に違いない」
真田は少女の問いかけを無視して、眉間に皺を寄せたまま関係者の集まる大広間へと戻った。
□□□
「なるほど……そうだったのか!」
「可哀そうに……そんな深い理由があったのね……!」
「なんて感慨無量な動機なんだ!」
真田が戻ると、広間は大いに盛り上がっていた。乾杯の挨拶に参加しそびれたような気分で、真田が隅っこの方で居心地悪そうに愛想笑いを浮かべていると、犯人の息子が彼に話しかけてきた。
「これはこれは、真田さん」
「何かあったんですか?」
大げさな騒ぎに眉を潜めながら、真田は首を傾げた。
「実は、少々困ったことになりまして……」
「困ったこと?」
まだ二十代かそこらの、女将の若息子が眉をへの字にして頷いた。
「実は今回の『七地獄伝説殺人事件』……先生の解いたトリック通りだと、余りにも手口が残虐過ぎるというか」
「しかし、その通りじゃないか。彼女は『七つの地獄』を守る鬼達の伝説に見立てて、被害者の胴体を……」
「まあまあまあまあ、先生」
別の青年が慌てて真田の言葉に割って入った。
「これをこのまま世間に公開してしまうと、刺激が強過ぎるというか、私達の旅館へのイメージが……」
「これ以上、ウチも経営が厳しくなるのはちょっと……そこで、先生も含め、口裏を合わせて頂きたいなと」
「うーむ。言わんとしている事は分かるが。だが、人が殺されておいて隠蔽する事はできんでしょう」
「まあまあまあまあ、先生」
青年が真田に割って入った。
「何も、事件そのものを隠蔽しようだなんて、そんな滅相も無い。ただ、私達の旅館も、昨今は『ゆるふわ系のお手軽非日常系旅館』って事で売り出しているので……『七地獄』だとか、『鬼』だなんて言われると、どうもねえ」
「ゆるふわ系の、お手軽非日常系旅館……」
殺人事件を起こしておいて何を言っているんだ、と言う顔をしながら、真田は擦り寄る若者達に曖昧に頷いてみせた。
「地獄ってのは、何分言葉の響きが悪い」
「そこでですよ先生……せめて事件の名称だけでも……『心休まる、癒し系スローライフ殺人事件』なんて名にならないものでしょうか?」
「なる訳ないだろ」
呆れる探偵に、若者達が割って入った。
「まあまあまあまあまあ、先生」
「ウチもイメージがありますので……」
「イメージっつったって……」
真田は眉を顰めた。女将の息子を中心に、その場に居た全員が話に加わろうと集まってきた。
「そうだ! 凶器も……わざわざ××××××だなんて残酷なモノ公表しなくても……『疲れの取れる、この旅館だけの限定天然石鹸』って事にしたらどうかな?」
「そりゃあ良い!」
「ダメに決まってるだろ。凶器で宣伝するな」
「まあまあまあまあまあまあ、先生」
疲労の色を隠せない探偵に、若者が割って入った。次第に大広間の騒ぎの輪は大きく広がっていった。
「ウチにもイメージがありますので……」
「それにしても、このままじゃあ余りにもトリックの展開や犯行動機が激し過ぎるよね」
「旅館としては、ちょっとな」
「もっとのんびりとした、こう、家族旅行向けの犯行動機ってないのかなあ……」
「そんな動機はない!」
「まあまあまあまあまあまあまあ、先生」
「ウチにもイメージがありますので……」
□□□
大広間での騒ぎは、それから夜通し続いた。傍では、女将が『イメージ戦略会議』に熱を出す常連客や関係者達に、手料理を振舞っていた。
「ダメだこいつら……」
「完全に今回の事件を商売にする気ですね……前向きと言うか、何と言うか」
ぐったりと項垂れる真田の横で、助手の少女が半ば呆れたように呟いた。やがて関係者達が今回の事件にスポンサーを募集するかどうか盛り上がっている間に、真田は次々と割って入ってくる若者達を押し退け逃げるように老舗旅館を後にするのだった……。
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