幕間
第16話 シュレディンガーの猫 VS パブロフの犬
「犯人は貴方ですね、猫さん」
探偵が動かぬ証拠を突きつけそう告げると、テーブルの下で丸くなっていた黒猫は眠たそうに「にゃー」と鳴いた。その姿を見て、隣にいた少女が甲高い悲鳴をあげた。
「きゃー! 可愛い!」
「うーむ。君はあくまで罪を認めないつもりか……」
空っぽになった餌受け皿を片手で掲げながら、探偵が唸った。
「先生、猫さんは喋りませんよ」
「バカな……何て自由奔放な動物なんだ……!」
唇を噛むひょろ長の探偵を見て、学生服姿の少女が笑った。
「そういえば、今回の『猫さん餌独り占め事件』も一行目で解決してしまったんですね、真田先生」
「……そんな興味なさそうに言わないでくれ、助手君。一応、私はこの仕事に誇りを持っているんだ」
黒猫の喉を撫でてやりながら美味しそうにケーキを頬張る助手に、真田と呼ばれた探偵が悲しそうに珈琲を啜った。にゃーにゃーと戯れてくる色取り取りの猫達に足元をくすぐられ、助手がカフェを見回しながら微笑んだ。
「猫カフェかぁ……たまにはいいものですね先生。こうやって何の事件にも巻き込まれず、ゆっくり休養を取れるのも……」
「フン。私は落ち着かんよ。一刻も早く現場に駆けつけて、極上の謎を解き明かしていたいものだ」
「先生は難しい謎やトリックがあると、涎垂らして飛びついていきますもんね」
「人を犬みたいに言うな」
黒猫を膝の上にのせ、幸せそうに顔を緩ませる少女とは正反対に、真田は面白くなさそうに眉間に皺を寄せてみせた。
□□□
「あー……どっかで難攻不落の怪事件が起きてないもんかな……」
助手の少女と別れ、猫カフェを後にした真田は都心の本屋を目指していた。求『謎』情報誌・『マンスリィ・ミステリィ』を購入するためだ。ビルの立ち並ぶ駅近辺の繁華街は、休日と言うこともあってか沢山の人で溢れていた。真田が人混みを避け、路地裏を目指して色取り取りの若者達の群れを通り抜けていると、ふと彼に声をかける者がいた。
「お兄サン、ちょっとお兄サン」
「ん?」
彼が振り向くと、丁度ビルとビルの間で影になった隙間に、妖しげな少女が立っていた。パーカーのフードをすっぽりと被った少女は、妖艶な笑みを浮かべながら真田に手招きした。
「お兄サン。いい『謎』あるヨ。ちょっと見ていかナイ?」
「謎?」
人混みの中で立ち止まり、真田は改めてその小柄な少女をジロジロと眺めた。
白のパーカーにデニムのホットパンツ。一見すると小学生かと見間違うほどの背丈だ。ヘッドフォンには猫耳のような飾りが取り付けられていて、少し離れた所に立っている真田にもそこから馴染みのない音楽が漏れ聞こえてきた。褐色の肌や首元から見え隠れするタトゥーは、何処か異国の雰囲気を醸し出している。妖しさ満点の少女は棒付きの飴玉を咥えたまま、尻ポケットから三枚のカードを取り出した。彼女が突き出したカードに書かれた文字を、真田は屈んで覗き込んだ。
【再三再四】
【七年連続】
【二人三脚】
「何だ、こりゃ?」
意味がよく分からず、真田が首を捻った。少女が楽しそうに笑った。
「欲しいんだったラ、『謎』上げるヨ。もちろんチューカイ料はもらうケド」
「ははあ。君は仲介者というわけか」
合点がいったように真田が唸った。アルバイトだか何だか知らないが、彼女は恐らく大手謎提供会社か何かに雇われ、ここで探偵やその手の人物に『謎』を売り歩いているのだろう。路地裏へと足を運んだ真田が、少女から三枚のカードを取り上げじっと見比べた。カードの裏を捲ると、そこには【場所】だけがシンプルに記載されていた。
「これだけじゃどんな謎か分からんが……行って確かめろということかな?」
「そうだヨー。気に入っタ? お値段はネエ……」
「嗚呼。だが待て。一つ、気になることがある」
長身の探偵は少女に覆いかぶさるようにその顔を覗き込んだ。
「君はどうして、私に声をかけた? 何故私が探偵だと分かったんだ?」
「みんな知ってるヨォ。この世界の人は、みーんな。真田一行目探偵。謎があると飛びつかずにはいられナイ、『パブロフの犬』」
「何だと?」
少女は悪びれる様子も無く、真田を見て可笑しそうにクスクス笑った。気を削がれた真田に、少女はさらにその身をぐっと近づけた。
「ネエ、気に入ったナラ、その『謎』どれか解いテ見たら? それともお兄サンじゃ難しすぎル?」
「む……」
猫撫で声の少女に挑発され、真田は【二人三脚】のカードを抜き取った。小柄な少女が意味ありげに笑みを浮かべた。
「フゥン……そのカードを選ぶンだぁ……」
「何だよ? 何か文句でもあるのか?」
「ううん。なーんにも」
ムキになる真田を、彼女はさらっと受け流した。
「でも……お兄サン知ってル? 『探偵が出向くから、事件が起こる』って都市伝説……」
「…………?」
「行く先々で事件に巻き込まれる探偵は、実は疫病神なんじゃナイかって、噂。もし探偵が旅館に出向かなかったラ、その場所で殺人事件なんか起きてなかったンじゃないか……っテ」
少女が陰にその身を半分隠しながら、ニヤリと口元を釣り上げた。
「もしお兄サンがそのカードを選ばずに、その場所に行かなかったラ……そこにいる誰かは死なずに済んだのかもネ……」
小柄な少女が残りの【七年連続】と【再三再四】を破り捨てながら言った。二人の足元に散らばる紙屑を見つめながら、真田は【二人三脚】の謎カードを握りしめた。もし自分がこれじゃない別のカードを選んでいたら……破り捨てられたどちらかの場所で何らかの謎が、事件が起きていたのだろうか? ふとそんな考えが彼の頭を過ぎった。
「……フン。君は『アキレスと亀』という話を知っているか?」
「亀?」
突然尋ねられた少女は、キョトンとした目を真田に向けた。
『アキレスと亀』は、紀元前四九〇年頃に生きた古代ギリシアのゼノンが考えたパラドックスである。
昔々あるところに、アキレスと亀が住んでいて、二人で競走することになった。だが、当然人間であるアキレスの方が足が速いので、亀がハンデとしてスタート地点よりも先(A地点とする)から出発することになった。
さて、いざ競走がスタートすると、アキレスがA地点に着く頃には、亀はアキレスがA地点に到達するまでの時間分、先(B地点)に進んでいた。次にアキレスがB地点に達した時には、亀はまたその時間分だけ先(C地点)へ進む。さらにアキレスがC地点に来た時には亀はD地点へ、D地点に来た時にはE地点へ……と、結局アキレスはいつまでたっても亀に追いつくことは無かった……という話である。
確かにこの話は一見理にかなっていて、『明らかに足の速いアキレスが、足の遅いはずの亀に追いつくことはできない』ように思える。だが、実はこれは『亀がアキレスにある地点で追いつかれるまでは』追いつくことはできない……という、至極当然のことを述べたに過ぎない。
現実には亀は遅かれ早かれある地点でアキレスに追いつかれることになるが、それがどの地点かまでは明確にされていない。追いつかれる地点(Z地点)までは、AだろうがEだろうが、当然二人が並ぶことはない……というだけの話だ。このように、前提が隠されることで、あたかも聞く者に『アキレスは一生亀に追いつけない』という印象を与えるパラドックスである。
一通り説明し終わった真田が、少女を見下ろしながら言った。
「……君の言っていることは一見正しいように思えるが、そもそも前提が間違っている。探偵が出向くから事件が起こるんじゃあない。別に探偵がどんなに引きこもっていようが、そこら中で事件は起き続けているんだ」
「…………」
「それに、解決できるのに怖気付いてやらないなんて、そんなの私の目指す探偵じゃない。『できなくてもやる』のが私のモットーだ」
「フゥン……じゃあそのカードに書かれた場所に、行ってみるといいヨ。きっとお兄サンの大好きな謎に出会えるカラ……」
小柄な少女は真田から仲介料を受け取ると、路地裏の更に奥の闇へと走り去った。一人取り残された真田は、しばらくじっとその場で少女の向かった闇の先を見つめていたが、やがて踵を返し都会の喧騒の中へと戻って行った。
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