第15話 ダイイングメッセージ活人事件
「犯人は貴方ですね、奥さん」
探偵の放った一言に、その場に集まった全員の視線が中央にいた女性に集まる。一瞬石のように固まった彼女は、やがて小刻みに震えだした。ぐにゃりと歪んでいくその表情が、探偵の推理が正しかったことを物語っていた。
「申し訳……ございません……!」
「!」
蚊の泣くような声で絞り出された声に、皆が息を飲んだ。探偵は犯人のその一言を福音のように噛み締め、一人唇を釣り上げた。
「そんな……まさか彼女が犯人だったなんて!」
「何て快刀乱麻な女なんだ……!」
白日の下に晒された真実に、周りの人物達も驚きを隠せないようだった。次第に大きくなっていく騒ぎを嫌ってか、探偵は静かにその輪の中から距離を取り始めた。誰にも気に留められる事なくそっと壁際に移動した探偵は、自らの大役を終えホッと安堵の表情を浮かべた。中央ではちょうど床に崩れ落ちる犯人を、警察官が取り囲んでいるところだった。ここから先は警察の仕事だ……そう言わんばかりに扉から部屋を後にしようとする探偵の元に、一人の少女が駆け寄ってきた。
「先生! やりましたね先生!」
「助手君」
笑顔でそばまでやってきた少女を、長身の探偵が晴れやかな顔つきで出迎えた。
「またしても一行目で事件を解決してしまったんですね、真田先生!」
「嗚呼。体調不良でね。今回は危うく二行目までかかってしまうかもと焦ったが、全くそんな事はなかったよ。ハッハッハ!」
「何を仰られてるのかよく分かりませんが、相変わらず凄い自信! 流石、真田一行目先生!」
「ハァーハッハッハァ!」
半ば盲目的に褒め称える少女の賞賛に気を良くしたのか、真田と呼ばれた探偵は誇らしげに笑ってみせた。
□□□
「……ーッハッハッハァ! フゥーハア! フハハ……フハハハハハハァ!」
「もう先生、笑い過ぎですよ。お客様に失礼です」
「ハッ! ハァ……ハァ……申し訳ない。つい興奮して……!」
「いえいえ、お構いなく。先生には一週間前大変お世話になりましたので……」
お茶を運んできた助手が、恥ずかしそうに真田を咎めた。真田の様子に若干引き気味の顧客が、光る禿頭に伝う汗をハンカチで拭った。
「確かにあの事件は、笑いたくなるほどの大活躍でしたな、真田先生」
「いやあ、それほどでも……ンフフ」
探偵事務所の真ん中に備え付けられたソファに踏ん反り返って、真田は破顔するのを抑えきれず思わず笑みを零した。そんな探偵の様子を見て、助手は呆れた顔でため息を漏らした。向かいに座っている顧客の男性が猫なで声を上げた。
「先生が謎を解いてくれたおかげで、殺された父も浮かばれます」
「こちらこそ。貴方のお父さんの無念を晴らす事が出来て光栄です」
「それで、こちらがとりあえずの1000万です……」
「いやあ、申し訳ないですねえ!」
テーブルに置かれたアタッシュケースを見るなり、真田の声色が一際高くなった。その後ろで、助手のため息は更に深くなっていった。
「いやはや、人助けはしておくべきですね。まさかこんな見返りを期待して探偵業を営んでいたつもりはないんですが……」
「受け取って下さい。生前の父の、最後の遺言ですので。『私を殺した犯人を捕まえたものに、全財産を明け渡す』……と」
「ありがたく受け取っておきます。便利な時代ですよ。今や死ぬ直前、スマホで遺言が遺せるんですから」
そう言って真田はまた高笑いを決め込んだ。
□□□
一週間前、大富豪の主人が何者かに殺された事件。犯人は被害者が寝室で寝ている隙に、後頭部を花瓶で殴った。被害者は急いで病院に運ばれたが、現場は大混乱に陥った。何せ被害者の寝室は、完全な密室だったからだ。
この不可解な密室殺人を解決し見事に犯人を的中させたのが、他ならぬ真田だった。そして彼は死ぬ間際彼が遺したダイイングメッセージのおかげで思わぬ大金を手にすることになった。目の前に積まれた大金に顔を緩ませる真田を見て、助手が低い声で呟いた。
「全く、これじゃどっちが悪党だか分かったもんじゃありませんね……」
「何か言ったか? 助手君」
「いえ、なーんにも」
愛想を尽かした少女はそっぽを向いて隣の部屋へと移って行った。面白くなさそうにその様子を見ていた真田に、被害者の息子が深々と頭を下げた。
「まさか我々も、あんなに父と仲の良かった母が犯人だとは夢にも思わず……何もかも、先生のおかげです」
「何を仰る。事件を解決するのが探偵の務めです。何より私もおかげで、こんなに素晴らしい事務所を作ることができましたし。ハァーハッハッハ!」
笑いが止まらない真田は広々とした空間を振り返り、優雅に両手を広げて見せた。
そう、真田は手にした思わぬ成功報酬を使って、早速事務所を東京の一等地に移転したのだった。窓からは大都会・首都東京を一望出来る高層ビルの一角。そこに『新・真田探偵事務所』は設置された。
天井にはシャンデリアが無駄に何個も取り付けられ、床には毛皮の虎が無駄に何匹も敷き詰められていた。部屋の中には壁一面を使った観賞用のプロジェクターに、高級熱帯魚やトレーニング用の機材までが並ぶ。およそ悪党の根城としか思えないこの探偵事務所を、真田は報酬を当てに全て一括で購入した。その額は、優に九桁を超える勢いだった。
□□□
無駄に笑顔の超富豪探偵が、無駄に備え付けられたワインセラーからシャンパンを無駄にするために取り出した。
「さて、じゃあ乾杯でもしましょうか。お父上のご冥福を祈って!」
「え、ええ……先生の今後のご活躍をお祈りして……ん?」
真田が顧客にワイングラスを差し出すと、突然彼の携帯が鳴り出した。
「はいもしもし……。はい? えっと……貴方は……え!?」
「なんだ……?」
「な……何だって!?」
顧客の男は電話口で一際大きな声で叫んだかと思うと、次の瞬間携帯を取り落とし、白い顔で震え出した。真田は慌てて彼の元に近づいた。
「ど、どうされたんですか? 大丈夫ですか?」
「先生……大変です。父が……父が生きてたみたいです……!」
「は!?」
真田がワイングラスを落とした。床に敷き詰められた虎の顔が赤く染まった。顧客の男が震えながら目に涙を浮かべた。
「さっき病院から連絡があって……危篤状態から復活したって!」
「そ……そんなことが……」
「先生、実はもうここに、父が来てるみたいなんです」
「何?」
事態を飲み込めず、混乱する真田の耳に、呼び鈴のベルが届いた。
「はーい。今開けます」
それに気づいた助手が玄関から新たな客を事務所に招き入れた。無駄に高級な装飾が施された扉の向こうから現れたのは……他ならぬあの日の被害者だった。顧客が叫んだ。
「父さん! それに母さんも!?」
「な!?」
杖をついた白髪の老人に寄り添うように、その後ろに立っていたのは、あの日真田が指名した彼の奥さん……犯人その人だった。突然の被害者と加害者の夢の共演に、その息子も真田も混乱するばかりだった。
「こんなところにおったのか、三郎」
「と、父さん……一体何が起こってるんだ?」
「何が起こってるんだ、じゃない。いいから帰るぞ。殺人事件なぞ、起きておらん」
「ええっ!?」
「どういうことだ?」
困惑する二人に、白髪の老人が杖を振り上げて説明し出した。
「全てはワシの飛んだ勘違いだったんじゃ。そもそも妻は毎晩ワシの寝室に来て花瓶の水を変えておった。最近歳をとって、すっかり物覚えが悪くなったワシは、あの晩てっきり賊が押し入ったモノと思いこんでしまった。そしてこの恨み晴らさずおくべきか、と思わず遺言を残したのじゃ」
「すいません、私が悪いんです。最近歳をとって、すっかり体が動かなくなった私は、あの晩うっかり花瓶を夫の頭の上に落としてしまったんです。そして動かない主人を見て、私が殺してしまったんだと、怖くなって……」
二人の話に、ソファに座っていた男達はぽかんと口を開けた。
「じゃ、じゃあ……父さんは、殺されたんじゃなかったんだね?」
「勿論じゃ。妻が私を殺すはずないじゃろう」
「ごめんなさい、貴方……」
そういうと夫人は夫を支えるようにその肩に寄り添った。およそ被害者と加害者とは思えない仲睦まじさに、真田と息子は呆気に取られっぱなしだった。死人だったはずの人物が生き返り、犯人だったはずの人物を庇い出す目の前の光景に、真田は思わず目眩を覚えた。
「さ、帰るぞ三郎。殺人事件でも何でもないのに、探偵事務所に用はあるまい」
「う、うん……父さん、それにしても無事で良かった……」
戸惑いながらもアタッシュケースを持って帰ろうとする顧客に、次に慌てたのは真田だった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「何じゃ?」
必死に三人を引きとめようとする真田を、生き返った被害者がジロリと睨んだ。
「それじゃ、遺言は……私の取り分は……」
「何を言っておるんじゃ。死人が生き返ったんじゃから、遺言は勿論無効じゃ」
「いやいや……いや、ちょっと待って……」
「先生、ありがとうございました。依頼金の一万八千円は、後日お支払い致します。それじゃ、我々はこの辺で……」
泣き出しそうな探偵を残し、三人はお互いの無事を讃え合いながら扉の向こうへと消えて行った。
「待って……待って……」
「どうしたんですか、先生? 先生?」
怪訝そうに顔を覗き込む助手にすら気づかず、真田は呆然と虎の上でのたうち回り譫言を繰り返すのだった……。
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