第14話 リビングメッセージ殺人事件 後編

「ワシは近所で寺を営んどる。お前さん。どうじゃ、寄って行かんか?」

「お寺……ですか」


 どれほどの時間が経っただろうか。夜風に晒され小刻みに震える真田を見て、老人が優しくそう告げた。辺りはもうすっかり夜に染まっている。

「仕事柄、ワシも多少はこの世ならざるものが見聞き出来てな。『彼女』がここに住み憑いとるのも、昔から知っとる」

「…………」

「ちょうどお前さんのような、かつて慕った男に似た奴に道端で声をかけておるようじゃ。百年前騙された恨みを晴らすために、の……」

 老人は意味ありげに含み笑いをした。真田は何故か背筋に冷たいものを感じ、ブルっと身を震わせた。


□□□


 真田は徐ろに桜を見上げた。

 もし『彼女』が幽霊で、百年以上もの間事件に囚われているのだったら……それほど哀しいことはない。一人の探偵として、何か出来ることはないだろうか。ぼんやりとそんなことを思いながら、真田はふと昔とある事件の依頼主にもらった『お札』を思い出した。

 自称未来人を騙る、随分怪しげな依頼主だったが、とある事件を解決してくれたお礼として、『お札』をもらったのだった。何でもそのお札を身につけておくだけで、どんな災いや悪霊からも守ってくれるのだと言う。何とも眉唾ものの話だったので、彼はずっとコートの胸ポケットにそれを入れっぱなしにしていた。真田はクシャクシャに丸められたその札を封筒ごと取り出した。


「お爺さん。もしよかったらこれを『彼女』に渡してくれませんか?」

「何じゃこれは?」

 探偵の手から差し出された丸まったゴミのようなそれを見て、老人は眉をひそめた。

「別に大したものじゃありません。私のほんの気持ちです。でも、もしかしたら『彼女』の助けになるのかも……」

「ふむ。これはワシが預かっておくとしよう」

 老人は自称未来人のゴミを受け取ると、それを上着の内側にしまった。


「それはそうと……お前さん、どうするんじゃ? 熱いお茶でも一杯飲んでいかんかの?」

「…………」

 真田は目を伏せた。何故だか分からないが、こんなところまで来てしまったのも何かの縁かもしれない。見ず知らずの老人ではあるが、お言葉に甘えてしまおうか……彼が老人に頷こうとした時、後ろから彼の名前を呼ぶ声がした。


「先生! 真田一行目先生!」

「……助手君?」

 鬱蒼と生い茂った雑草の陰から飛び出して来たのは、事務所にいるはずの少女だった。学生服姿の少女は転がるように彼の元へと駆け寄ると、膝に手をついてしばらく苦しそうに息を整えた。どうやら全速力でここまでやって来たらしい。


「こんなところに! 探しましたよ!」

「一体何事だ? 君こそどうしてこんなところに?」

「何事だじゃないですよ! さっきの密室殺人の依頼主、先生が返事しないから事務所まで乗り込んで来ちゃいましたよ! さあ、早く帰りましょう!」

「何だって?」


 真田が目を丸くした。それを伝えるためだけに、助手はわざわざここまでやって来たらしい。傍で黙って二人のやりとりを聞いていた老人に、真田は助手に引っ張られながら頭を下げた。

「すみません、お爺さん。仕事が出来てしまった。またの機会に寄らせてもらいましょう」

「そうかい……残念じゃのう」

「先生! 早く!」

 すでに草むらの向こうに到達した少女が、真田に向かって大きく手を振った。


「お主も中々元気な娘さんを連れておるのう……是非今度、ご一緒にお茶でもどうかの?」

「ええ。喜んで」


 もう一度頭を下げてから、彼は少女の元へと歩を進めた。ふと振り返ると、先ほどまでそこに立っていた老人の姿はもう夜の闇に飲まれて見えなくなっていた。辺りを覆い尽くす暗闇の中に、一本の桜の木が美しくその色を際立たせていた。真田は名も知らぬその桜とそこに纏わる女性に心の中で静かに別れを告げた。


「……流石に私も、百年も前の殺人事件は解決出来そうに無いな」


 そう言って寂しげな笑みを浮かべた真田は、助手に引きづられるようにして事務所へと戻った。


□□□


「やあ、遅かったじゃないか。あんたが真田一行目先生かい?」

 事務所にたどり着くと、すでに例の密室殺人の依頼主がソファに座って待っていた。扉を開けてその人物を見るなり、真田は思わず素っ頓狂な声を上げた。


「あ……あんたは!?」

「?」

「どうしたんですか先生?」


 腰を抜かす真田を、助手と依頼主、二人の女性が不思議そうに眺めた。真田は床にへたり込みながら、依頼主をもう一度マジマジと眺めた。その顔は、数日前桜の木の下で出会ったあの女性と瓜二つだった。

「あんたは……百年前死んだはずじゃ!?」

「え?」

「何言ってんだ。私はこの通り生きてるよ」


 そう言って依頼主の女性は名刺を差し出した。唖然としたまま、真田はそれを受け取り助手とともに覗き込んだ。

「心霊探偵・夜霧涼子……?」

「そう。初めまして真田先生。私は夜霧涼子……探偵さ。あんたの同業者だよ」

 夜霧と名乗った二十歳前後の女性は、長い黒髪を優雅になびかせ、どこか自慢げに豊満な胸を張って見せた。助手が名刺を指差しながら聞いた。


「心霊探偵って何ですか?」

「うん。まあ信じるか信じないかはそっちの勝手だけどさ……私には少し霊感があるんだよね」

「れ……霊感?」

 真田がぽかんと口を開けた。夜霧が笑って頷いた。

「そうだよ。第六感を使った捜査なんて、日本じゃまだ年末のバラエティの見世物でしかないけどさ。私は霊能力を使って警察に協力してる」

「第六感……」

「すごぉい!」


 助手が感心したようにため息を漏らした。真田は助手の力を借りて、ようやく床から起き上がった。霊能力……そんなものが実際に存在するとは、彼にはにわかに信じられなかった。だが現に目の前に、先ほどまで幽霊だと思っていた女性が生きたまま現れている。多少『珍妙』な現象が起こっても不思議ではないのかもしれない、と真田は自分に言い聞かせた。夜霧はそんな真田の様子を見て頬を膨らませた。

「あぁ〜! その顔、信じてないね? 見た所、あんたも少し霊感があるみたいだけど」

「私が?」

 突然の指名に、真田は眉を吊り上げた。


「生憎だが、私はそんなものは持ち合わせていない」

「あの爺さんの幽霊に会って来たんだろ?」

「何?」

 動きが固まってしまった真田に、女探偵が肩をすくめてみせた。

「そのくらい、私の第六感なら分かるよ。桜の木の下にいる、地縛霊紛いの爺さんさ。寺に取り憑いてる」

「何だって?」


 真田が目を丸くした。突然現れた心霊探偵が一体何の話をしているのか、彼にはさっぱり分からなかった。

「バカな。何を言ってるんだ。幽霊は百年前に首を吊った女性の方で……」 

「女性の方は数年前に私が助けて成仏させたよ。あんた気づいてないみたいだから言うけど、あの爺さんは、殺人事件の罪を女性に擦りつけた真犯人の男の方。百年モノの幽霊だよ」

「ええ!?」

「何ィ!?」

 ソファに座りなおした夜霧が、優雅に珈琲を啜った。真田が彼女に詰め寄った。


「そんなバカな!? じゃあ、私がこの間桜の木の下で見た女性は……!?」

「そんなの知らないよ。あんたの見間違いだろ。とにかくあの爺さんは、未だに私が例の女性を逃したのを根に持っててさ。あの桜の木の下で、少しでも霊感のある人間を呼び寄せては、寺に連れ込んで呪い憑きまとってる」

「呪いって……そんなことが……」

「何か怖い話になってきましたね、先生……」

 助手が不安そうに唇を小刻みに揺らした。自分が幽霊だと思っていた女性が生きた人間として現れて、人間だと思っていたお爺さんが、実は幽霊だった……なんて、そんなことがあり得るのだろうか。彼女の話が本当ならば、あのお爺さんはとんだ悪党だったと言うことになる。真田は混乱する頭を抱えた。


「真田先生も霊感持ちで狙われたんだろうけどさ。今回はその女の子が駆けつけて助けてくれたんじゃないか? 流石にあの爺さんも二対一じゃ難しいと思ったんだろうね」

 そう言って美人探偵は不安がる助手に優しく微笑んで見せた。助手がポッと頬を紅く染めた。

「え、えへへ……。良かったです、先生の体内にGPS仕込んでて」

「何? 助手君、今何て言った?」

助手の言葉に、真田がぎょっとなった。

「とにかくだ」

 何かと騒がしくなってきた事務所内で、心霊探偵が一つ咳払いをした。


「あの爺さんは中々厄介な悪霊でさ。百年以上幽霊やってるのもあって、私じゃまだまだ除霊もできないほど強いんだ。倒すには、それこそ自分から『悪霊退散のお札』を胸ポケットに入れさせるくらいやらないと……」

「良かったですね先生。私達二人とも危ないところだったんですよ」

「そんなことより、君は何故私の居場所が分かったんだ?」

「あーもう!」

 依頼主そっちのけで騒ぎ立てる真田に、とうとう夜霧が声を荒げた。


「もういいだろ! そんな百年前に死んだ人間の話より、生きてる私の話を聞いてくれよ! こっちは恥を偲んで依頼で来てるんだ。今回の密室殺人、あんたにぜってえ協力してもらうからな!」

「す……すいません」


 女流探偵に凄まれた真田は、慌ててコートを脱ぎ捨てその場に正座するのだった……。

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