第13話 リビングメッセージ殺人事件 前編

「犯人は私なんです。先生……」

「は?」


 突然背後から声をかけられ、真田は思わず立ち止まった。真田が声の主を探すと、何処か寂しげな表情を浮かべた、二十歳前後の若い女性がそこに佇んでいた。薄明かりでも分かるその美貌に、真田は思わずギクリと体を強張らせた。もう夕日も山の向こうに沈みかけ、蒼と橙の入り混じった陽光が彼女の整った顔を妖しく照らしている。酔いを覚まそうと、ふらふらと道を外れて風に当たっていた真田は、一気に熱が頭のてっぺんに昇っていくのを感じた。


「……失礼。お嬢さん、今何か仰いましたか?」

「先生。真田先生。お願いです、助けてください……」

「一体……?」

 何が何だか分からず、真田は戸惑いを隠せずにいた。若い女性が今にも泣き出しそうな顔で、その場に崩れ落ちる。真田が慌てて彼女を支えようと近づくと、後ろの方からまたしても彼を呼ぶ声がした。


「先生! 真田先生!」

「助手君……」

 振り向いた先にいたのは、真田も良く知る少女だった。助手、と呼ばれた学生服の少女は、道端で半腰になった真田の元へ子犬のように駆け寄ってきた。


「何やってるんですか? そんなところで」

「え? 何って……あれ?」

 もう一度真田が先ほどの女性の方に目を向けると、いつの間にか彼女はその場から姿を消していた。目の前には、伸びきった雑草が通り雨に降られて、しとどにその葉を濡らしているばかりだった。混乱する真田の頭上から、雨に濡れた桜の花びらがひらりと舞い落ちて来た。


「何かあったんですか? ここで……」

「いや……分からん。それより助手君。もしかしたら私は、一行目よりも早く事件を解決する力に目覚めてしまったのかもしれない……」

「もう、何言ってるんですか。花見だからって飲み過ぎですよ。皆もう帰るって言ってます。ほら先生、立って!」


 いつの間にか夕日は沈み、辺りは夜の色がそこまで迫っていた。顔をほんのりと紅く染めた真田を、少女は呆れた顔で引っ張って行くのだった。


□□□


「先生、依頼のメール来てますよ」

「んー?」

「殺人事件ですって。洋館で起きた密室殺人。どんな探偵に頼んでも匙を投げられたそうで、是非真田先生に解き明かして欲しいって」

「んー…」

 ぼんやりと窓の外を見上げ、何を言っても上の空で生返事を繰り返す真田に、少女は首をかしげた。

「おかしい……。目の前に謎があれば子供みたいにはしゃぎまくる真田先生が、密室殺人に反応しないだなんて……」

「……助手君」

「はい?」


 いつになく真剣な表情で、真田はふらふらと立ち上がるとソファに座っていた少女の元に近づいた。

「ど……どうしたんですか?」

「ちょっと……風に当たってくる」

「ええ?」


 目を白黒させる助手の前を通り過ぎ、真田はふらふらと壁にかけられたコートを羽織った。

「ちょ、ちょっと先生! 依頼はどうするんですか!?」

「……助手君、後は任せた」

「ええぇ!? ちょっと……!」

 少女が何か言う前に、探偵は覚束ない足取りで事務所の外へと消えてしまった。後に一人残された少女は、しばらくぽかんと口を開けたまま閉ざされた扉を見つめていた。


「……三度の飯より謎が大好きな真田先生が、目の前の事件を無視するだなんて。ご病気かしら」

 少女は窓の外を見上げた。ビルの隙間から見える青空はどこまでも晴れやかで、時折風に乗って宙を舞う桜の花びらが美しく景色を彩っていた。誰もが浮足立ちそうな春の風景を眺めながら、少女はポツリと呟いた。


「もしかして……恋?」


□□□


「お前さん、こんなところで何をやっとるんじゃ?」

「……え?」


 不意に後ろから声をかけられ、真田は思わず我に返った。そこに立っていたのは、和服に身を包んだ老人だった。立ち止まった真田の頭上から、雨に濡れた桜の花びらが舞い落ちる。雑草が生い茂る轍さえない森の真ん中に、古い桜の木が誰に見られる訳でもなく伸びている。いつの間にか真田は、先日見知らぬ女性と出会った場所まで歩いて来ていた。


「ここは……」

 真田が戸惑った声を上げた。一体何故自分がここに向かっていたのか、自分でも説明がつかないようだった。何となく無意識に、何かに吸い寄せられるように、彼はこの場所まで歩いて来た。そんな彼の様子を見て、老人は妙に納得したように蓄えた顎髭をひと撫でした。


「ははあ……お前さん、もしかして霊感があるんじゃろう?」

「れ……霊感?」

 話の意味が分からず、いよいよ真田は混乱した。老人が雑草を掻き分け、真田を手招きした。

「来なさい。『彼女』はこっちじゃ」

「彼女?」

 眉を潜める真田が促されるまま老人に着いていくと、やがて開けた場所に辿り着いた。そこに有ったのは……苔の生えた、古いお墓だった。


「これは……」

「昔ここで、殺人事件が遭ってな」

「殺人事件?」

「嗚呼。とある洋館で起きた密室殺人。犯人は大層気性の荒い男だったんじゃが……」

 老人がお墓の前で、ポツリポツリと語り始めた。捜査の甲斐もあり、密室殺人は無事解決。犯人も身柄を拘束されたのだが、自らの罪を断固として認めなかったという。


「中々落ちないその男に、警察も痺れを切らしておった。やがて、彼を慕う一人の若い女性がじゃな、『自分が犯人です』と警察に自首して来たんじゃ」

「……彼を庇うためですか?」

「嗚呼。もちろんバレバレの嘘じゃ。じゃが警察にしてみれば、犯人さえ捕まれば一件落着の殺人事件。あろうことか男を釈放し、その子を真犯人として再逮捕してもうた」

「…………」

「そして釈放された男の方じゃが、別の女と遠方へ逃げ、そこでまた殺人を犯し逮捕されたそうな」

「何てこった……」


 あまり気分の良くない話に、真田は唇を噛んだ。身も凍るような冷たい夜風が、お墓の周りの雑木林をざわざわと揺らした。

「そのことを知った若い女は……数十年の服役後、寂れた洋館に戻り、やがてあの桜の木の下で首を吊って亡くなられた。彼女が最後に遺した言葉……『犯人は私なんです』だったそうな」

「え……」

 その言葉に思い当たる節があり、真田は思わず体を強張らせた。


「……もう百年以上前の話じゃよ」

「!」


 真田が目を見開いた。老人はしばらく何も言わず、黙ってお墓の前で手を合わせ続けるのだった。

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