第10話 『ムシャクシャしてやった、今は反省している』事件

「犯人は……太郎くん、君だね?」

「!」 


 探偵が扉を勢いよく開けると、部屋の中にいた少年が、右手に包丁を握りしめたまま驚いて振り返った。突然の明かりと来訪者に目を丸くさせる少年に、探偵は涼しい顔で告げた。


「この部屋にもう君のターゲットはいないよ。すでに君の用意したトリックは全て解き明かし、事前に避難させてある。投降した方がいい。私だって君のような若者を、殺人犯にはしたくない」

「……観念するんだな、田中太郎。脅迫及び殺人未遂で現行犯逮捕する」


 扉の前で佇む探偵の横から、現場に踏み込んできたトレンチコートの警部が低い声でそう告げた。大柄な大人達にあっという間に羽交い締めにされ、少年は何もできないまま床に叩きつけられた。カーペットの上に転がった刃物が、廊下の明かりに照らされ妖しく光った。


「違う……! 俺じゃない! 俺は……」

「今更何言っても無駄だ。大人しくしてろ!」

 最後の悪あがきなのか、必死に抵抗を続ける少年。そんな彼の姿を見て、扉の前に集まった関係者達はしきりに驚きの声を上げた。


「そんな……まさか彼が犯人だったとは……!?」

「何て心慌意乱な子なんだ……!」

 さざなみのように広がっていく不安や恐怖を背に、探偵は深く息を吐き出した。見事に事件を解決させ、後は警察の仕事だと言わんばかりに踵を返す彼の元に、人ごみをかき分け一人の少女がやってきた。


「先生!」

「助手君」

 助手君、と呼ばれた少女は一際背の高い探偵のそばまで来ると、何だか誇らしげに微笑んだ。

「やりましたね真田先生! またしても一行目で事件を解決してしまいましたね!」

「嗚呼。トリックが先か、それとも私が解決するのが先か。最近ファンの間では、そんな論争が絶えないらしいんだよ。ハッハッハッハ!!」

「先生にファンなんていましたっけ?」

 首をかしげる助手の肩をポンポンと叩き、真田と呼ばれた探偵は一人高笑いを決め込んだ。


□□□


「信じられない。太郎坊ちゃん」

「一体何故、君のような好青年が殺人なんて……」

「太郎さん……」

「太郎……」

「話してもらおうか。一体何故お前は、こんな事件を起こしたんだ」


 マフィア顔の警部が打ち拉がれた少年にそう告げた。警察に取り押さえられようやく大人しくなった少年を、家族や使用人達が心配そうに取り囲んだ。両手に銀色の手錠をかけられた少年は、無理やり椅子に座らされると苦々しげに吐き捨てた。

「別に……」

「……やっぱり」

 皆の視線が、泣きそうな顔でそう呟いた彼の母親に向けられた。


「やっぱりあの事を、恨んでるの?」

母親は目にハンカチを当て、喉の奥から震える声を絞り出した。強面の警部が尋ねた。


「あの事とは?」

「私が……私が昔貴方の部屋に押し入って。貴方が大切にしていた漫画やらゲームやらをみんな捨てちゃって……。あの時貴方、カンカンに怒って一週間家に帰って来なかったですものね……。あの時のことを、貴方はまだ……」

「違えっての……」

「じゃあれか。小学生の時のキャンプ」


 思い出したように、今度は彼の父親が甲高い声をあげ、皆の視線がそちらに向けられる。警部が眉を吊り上げた。


「キャンプ?」

「ええ。実は昔夏休みに、家族で飛騨に行ったんですよ。あの時、太郎だけ熱を出して参加できなくて。帰ってきたら、大泣きしてたんですよ。今思い出した。お前、あの時のことをまだ……」

「んな訳ねえだろ……」

 鎖に繋がれた少年が苛立たしげに呟いた。そんな彼の様子を見て、年老いた白髪の執事がおずおずと前に進み出た。


「これは私の勝手な憶測ですが……太郎坊ちゃんはご両親が多忙で家に中々帰ってこれないことに、幼い頃からずっと寂しさを感じておられました。恐らく、その時の辛い記憶がまだ……」

「だから違うって……」

「いや……違う。きっと俺のせいだ!」

 少年の声を無視して、次に出てきたのは彼の二つ上の兄だった。今度は彼に視線が集まる番だった。


「俺が弟だからって、ぞんざいに扱いすぎたんだ。ちょくちょく財布から金盗んでたし……俺がもっと可愛がっていれば、きっと太郎だって……」

目を潤ませる兄を、少年が睨みつけた。

「だから違えっての! 金のことも今知ったし、つーかよりによって兄貴かよ!」

「え? マジか……じゃあ言わなきゃよかった」

 頭を抱える兄を尻目に、父と母が顔を見合わせた。


「だったら何で犯行予告なんて出したんだ? 小遣いが少なかったか? まさか学校でいじめに遭ってたのか? それとも……」

「どれも違え! ウザってえ、別に深い理由なんて無えんだよ! いつだって、あんたらはそうやって俺の話も聞かずに……」

「理由もなく犯罪に手を染めようだなんて、そんな訳ないだろう。イライラしてたのか? そうだよな、お前ももう思春期だからな。そうなんだよな?」

「もしかして好きな子に振られちゃったの? それともお勉強が上手く行かなくて……」

「あーもう!」

「気にするな、少年」


 そのうち少年そっちのけで『犯行動機』を議論し合う家族達。そんな彼の横に、いつの間にか探偵コンビが立っていた。真田がそっと彼の肩に手を置いた。


「彼らはな、君に殺人まで決意させた狂気の『理由』が必要なんだ。君が『何でこんなことをやったのか』、ちゃんと説明のつく理由がないと不安になるんだよ。理由もなく人を殺そうとする奴がいるなんて、彼らにとっちゃ殺人よりも怖いことなのさ」

「……あんたは違うってのか?」


 涼しげな笑みを浮かべる探偵に、少年が噛み付いた。真田は肩をすくめた。


「私は違う。私は謎を解き、警察にも手に負えない難事件が解決できればそれでいいんだ。理由なんて事件に関係なければ別に知ったことじゃない」

「…………」

「それはそうと、君が残したあの暗号。あれは中々の歯ごたえだったよ。きっと君はいい犯罪者になれる」

「いい犯罪者……」

「ダメじゃないですか」


 隣にいた助手の冷たい小声を無視して、真田は少年に手を振った。


「じゃあな、少年。我々はもう行かなければ。次の謎が待っているんでな。それっぽい犯行理由を思い付いたら、今度聞かせてくれよ。知り合いの推理小説家に教えてやりたいからな。さあ助手君、もう行くぞ」

「はーい」



 半ば呆然とする少年を残し、探偵コンビは颯爽と現場を後にした。その向こう側で、強面の警部が必死に家族を宥めている声が響いていた。


「まあまあ、皆さん。落ち着いて。きっと彼も彼なりに、ちゃんと理由があったのでしょう。詳しいことは署で調べますので、今日のところはこの辺で……」

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