第11話 ゆうか ―その2―

 クリスマスイブにボーリングへ行った帰り、バスの中でゆうかが言った。

「お正月、家に一人でいたいんだ……」



 兆候はその年の五月ごろから始まっていた。

 母親に恋人が出来たようだ。十歳以上、年下の。

 それ自体をとやかく言うほど野暮ではないし、ゆうかも相手の男性を「いい人」と言っていた。けれど、母親が出張帰りに彼の家へ行って泊ってくるようになってしまう。

 今までも一人で家にいたとは言え、母親が仕事で頑張っているからこそ我慢できた。理解はできても、寂しさは募っていく。そんなゆうかは言動も荒れ始め、

「家に帰りたくない」

「学校なんて爆破されればいい」

「みんな死ねばいいのに」

と口癖のように言うことが増えていった。


「なんで私だけ、自分で掃除して、洗濯して、ご飯作らなきゃいけないの?みんな、そんなの親にやってもらってるじゃん!」

 そう言われたときには、気の利いた言葉一つも掛けてあげることが出来なかった。ただ愚痴を聞いてあげて、「――気持ちは分かるよ」としか……。



 それでも、登校班の子供たちとは途中まで一緒に行ったり、学校が終わってからは事務所でゆうきちゃんと遊んだり、それまでと同じ生活をしていたけれど――


 最初のは十月末だった。

 毎朝のように登校班へ顔を出していたのに、来ない日が続いた。事務所へも顔を見せない。二日、三日と過ぎたので、ゆうかの携帯に初めてショートメールを打った。


『具合悪いの?大丈夫?』


 友達とハロウィンパーティーをやると言って、楽しそうにお菓子メニューを調べていたのに、その日も過ぎてしまった。

「急な病気か事故で、入院でもしたのか?」と不安に思っていた六日目の夜遅く、ゆうかからショートメールが届いた。


『お母さんに、へ無理やり行かされてた』


 はぁっ?何それ……。ちょっと意味が分からない。

 とにかく、元気なことに安心して返信すると、詳しいことは明日事務所に来て話すという。

 聞けば、学校も休まされて滝行などを行う寺へ預けられたそうだ。

 きっかけはハロウィンパーティー。

 自分の家でパーティーをする了解を取っていたのに、直前になって彼が来るから駄目だと言われ、母娘喧嘩に。その翌日から寺へ……という話を聞いて、私の方が怒ってしまった。

 本人は怒りよりもショックの方が大きく、疲れ切った表情をしている。ゆうか自慢の長い黒髪が、男の私でも分かるくらい傷んでいたのが、ただただ切なかった。

 翌日に会った時、髪は切られて肩までのボブになっていた。




 母親との喧嘩が増え、そのたびに落ち込んで『また、ケンカしちゃった』とショートメールを打ってくる。

「別に仲良くするのはいいけれど、私の前で手をつないだりするのはやめて欲しいんだよね」

 中学二年生の女の子として、ごく当たり前の反応だと思う。

 なぜ、母親として、それに気づかないのだろう。

 恋する女性は廻りが目に入らなくなってしまっているのか。


 正月休みは、母親と一緒に彼の家へ泊りがけで行くように言われたけれど、嫌だから残るという。ゆうかにしてみれば、気を遣って「二人でどうぞ」という気持ちもあるのだが、母親は「こどもは親の言うことを聞きなさい」という考え。

 結局、ゆうかは一人で家に残った。


 学校も休みだし、年の瀬の少し浮かれた気分になっている時に一人で家にいるなんて、夜遊びしたりしないよな。ゆうかはそんな子じゃないけれど……。

 と思ってしまうのが、おせっかいなおじさんのさが

「二十八日の夜、町会の防犯パトロールがあるけれど、一緒に行く?」

「うん、いく!」


「あそこの神社へ初詣に行ったことある?」

「ない」

「並んでいると神主さんがお祓いしてくれて、昆布茶を振舞ってくれるんだよ。行ってみるか」

「行きたいっ!」

「それじゃ、お母さんにも連絡して伝えておいてね」


『今日は事務所にいるの?』

『正月は事務所もお休みだよ』

『遊びに行こうと思ったのに』

『これから買い物に行くけれど』

『一緒に行く』

 ショッピングモールのお菓子屋さんで、お菓子の詰め合わせ福袋を買わされた。




 そして、正月休みも明けたある日。

 ゆうかの母親が事務所へ来た。

 それまでも何度も顔を合わせてるし、クリスマスのボーリングの後も「いつも、すいません」と言っていたが、この日は明らかに様子が違った。

 ゆうかをそそのかすのをやめて欲しいという。

 彼氏に何か言われたのか。

 年末に一人で家に残ったのも、自分に反抗するのも、全部あなたがそそのかしているからだ、と。

 久しぶりに、頭に血が上るのを実感した。

 言いたいことは山ほどあったけれど、「もっと自分の娘と向き合って欲しい」とだけ伝え、お引き取り願った。


 学校が始まり、また事務所へ遊びに来るゆうかに、

「お母さんがいろいろ言ってるし、すこしウチへ来るのも控えた方がいいんじゃないかな」と言うと、

「いいんだよ。ほっとけば」と答えた。

 しかし、ほっとけない事態にと進んでいくことになる。


 二月のある日、数学の宿題を教えてあげた後、ゆうかが唐突に言った。

「昨日、警察が来た……」

「えっ、何で?」

「わからないけど……。色々聞かれて……」

「何を?」

「……もし迷惑かけちゃったら、ごめんね」

「俺に?俺なら大丈夫だよ」

 事情が呑み込めなかった私は、翌日にゆうかの言葉の意味を知る。

 事務所へ来た警察官が言うには、母親が私を告発したということだ。それで娘のゆうかに事情を聴いたけれど事件性はないと判断した、とのこと。

 私よりも年配の課長補佐が最後に言った。

「昔は近所の子供も叱ったり遊んだりしたもんですがね。私自身もそうして来たけれど、最近は関わられるのを嫌がる親御さんもいるし。ちょっと距離を置いた方がいいですよ」


 その日の夜は眠れなかった。

 

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